言葉にするのは嫌いだった。苦手でもなく嫌い。伝えるべき相手が大事になればなるほど、気づいて貰いたくて察して欲しくてしょうがなかった。
僕はいつだって相手のことを思いやれない。
わかってるのにいつまでも同じことを繰り返してしまうんだ。
***
「雷蔵、お前も来ないか?」
「え、どこに?」
目の前で雑誌を指差しながら話している三郎とハチを放りながら、ページの進まない手元の本を弄っていた。
「だぁから!カラオケ!」
「いつ?」
「今日の放課後だよ!話聞いてないだろ…」
「悪いけどパス。」
「また図書室?」
「うん。」
「雷蔵って放課後当番毎日引き受けてんだろ?何でだよ、一日だけでいいはずだろ?」
「僕がやりたいだけだから。」
二人に直接告げたわけじゃないけど、きっと気づいてると思う。打算的で見返りを求めてばかりの僕が毎日放課後、図書室に向かうわけを。
「ま、何にも聞かずに応援だけはしますけど。」
「たまには俺らにも構ってくれよな。」
「はいはい、イイコ。」
最近彼女は図書室に来ても閉館前に帰ってしまう。笑って挨拶は交わすけれど、僕に話しかけられることを避けるように、ヘッドホンをしながら勉強をしている。そして閉館前に帰ってしまう。
書庫でのことが契機になってるのは間違いないんだろう。彼女は、僕が怖いんだろうか。でもそれなら図書室に来るようなことも、笑顔を見せるようなこともしないはず。
何が、問題なんだろう。
***
「不破くん、臨時の職員会議に出てくるから時間になったら閉めてもらえる?」
「はい、わかりました。」
19時前、人も疎らの図書室は残る生徒も閉館に合わせて帰り支度を整えている。ただ一ヶ所、机に勉強道具を広げたままの席があった。
返却された本を戻しがてら、図書室を回る。一番奥の外国文学の棚を揃えている時に、誰かの声が聞こえた気がした。
「泣いてる?」
棚の向こう側、本を退けた先にはきっと彼女がいる。一冊抜き取る、その隣、もう一冊、その隣、もう一冊。
「不破くん、」
彼女の頬が濡れていた。手を伸ばしてその顔に触れた。僕が泣かせたんだろうか。そうだったらいいのに、そうだったらどれだけ幸せだろう。添えられた手が震えていた。
「ごめんね。」
彼女の頬を撫でていた手が止まった。その言葉の意味は。
彼女が欲しくて、どうしても不安で、簡単な安易な方法を選んだ僕に対する罰か何かか。彼女の目が見えない。頬と細い首筋ばかりが覗いて見える。もう僕がつけた噛み痕は消えてしまっただろうか。
「好き、ごめんね。」
僕たち以外に誰もいないことを、ギリギリの理性と耳で確認した後、僕は彼女の唇を指で探し当てて触れた。また同じ形に動いた。す、き、ご、め、ん、ね、
***
「一言余計だよ。」
邪魔な本棚を飛び越えて彼女の前に立てば、ポロポロと零れる涙が図書室のタイルに染みを作っていく。
「不破くん、」
言葉にするのは嫌いだった。言った分だけ軽く消えてしまう気がして勿体なく思ったから。
「好きなの、ごめ…」
切れ長のアーモンドみたいな目、俯く度にサラサラ揺れる髪、細い肩に時々覗く骨張った鎖骨。全部僕のもの、そう言ってしまいたかった。
聞きたくない謝罪の言葉は唇を塞ぐことで遮った。この小さくて熱い口も大好きだ。
「好きなのは僕の方だよ。」
抱き締めた後でおずおずと回された腕に笑った。もっと強くても壊れたりしないのに。
「秋は、僕のものだ。」
僕のことを想って不安がる姿も、全部欲しい。
そう思うことを我が侭だとか独占欲だとか思わずに、当たり前だと思う僕はおかしいんだろうか。
でも好きな相手の全部が欲しいって思うのは、自然なことだと思わないか。そしてまた僕は彼女を抱き締めた腕を、強くするんだ。