もう一人の彼女の場合
誰かにとって都合の良い選択は、誰かにとって最悪の終わりを結んだりもする。
小さな私に、誰かがそう言った。きっと、ズルい私のことを見越した誰かが、忠告するように伝えたんだと思う。その言葉は間違ってなかったし、私の頭の片隅にはいつでもファイルに保管したその言葉が残っていたけど、どうにもならなかった。
私は誰かの考えてることを察するのだけはバカみたいに得意だから。それを使わずにはいられないズルい性質だから。そうやってずっと私だけ楽しく過ごしてきたから。
私の側にはいつも志乃ちゃんがいた。大好きなお姉ちゃんで自慢の幼馴染み。それでも志乃ちゃんが、どれだけ完璧かみんな知らない。兵助もはっちゃんも、異性である限り絶対にわかってくれないレベルの問題がある。毛穴レスはお人形より勝ってるし、睫毛の上向き具合はビューラーいらずだし。元が良すぎるんだと思う。プラスして頭が良い癖に嫌味がなくて大概イイコちゃんだし、成長してからの好きでもない相手と直ぐに付き合っちゃう曲がり方だって、いじらしいと思う。そう言ったありがちな欠点さえ完璧だから嫌になる。ちょっと可愛いぐらいで、どこにでもいる女の子の私には絶対に勝てない。絶対に勝てない志乃ちゃんの隣で、私は一生懸命考えた。どうしたら引き立て役にならずに志乃ちゃんに引け目を感じずに対等なまま好きなまま側にいれるだろうって。
完璧な彼女には勝てなくても、負けない方法が一つだけあった。それさえ掴めば負けないって言う方法が。
「兵助、好き。」
志乃ちゃんを嫌いにならないために、ずっと好きでいるために、私は代わりに兵助を好きになることにした。多分、志乃ちゃんがはっちゃんを好きだったとしたら、私ははっちゃんを選んだと思う。大切な幼馴染みをそうやって道具の様に裁断して、私は自分のために使った。
だから一瞬で私を見切ったその人のことを、未だに私は神様だと思ってる。
日曜日の午後。いつもこの時間になると出掛けてしまう兵助のご両親を二人で見送って、お昼ごはんを作って食べるのが習慣。はっちゃんが混ざったり志乃ちゃんが遊びにきたりもするけれど、最近は二人が多い。
「志乃ちゃん、尾浜くんと付き合い始めたってほんと?」
「ほんと。」
「やるなぁ尾浜くん。」
兵助以外に興味がないのに、志乃ちゃんは他人からの好意に緩くて好きだと言われたらすぐに付き合ってしまう。だから彼氏はいつだっていた。でも、当然そうした気持ちの向かない相手とは続かなくて、今まできたけど。
「積極的な尾浜くん、初めて見た。」
「俺も。」
いつも志乃ちゃんが付き合うタイプは、志乃ちゃん至上主義の従順な騎士と言うか…あまりに完璧な志乃ちゃんの前に自然と平伏してしまうような人が多かった。でも尾浜くんは例外で。志乃ちゃんが怖がって逃げ回るくらいに笑顔で迫っていたから。
「勘ちゃん、入学当初から志乃を好きだったから。」
「一目惚れ?」
「んー…図書室で眉間に皺寄せて、本読んでる姿にきたんだって。」
「わお。」
志乃ちゃんの手首を掴んでは、にやにや笑ってばかりの尾浜くん。引け腰の志乃ちゃんを追い詰めては、にっこり微笑む尾浜くん。優しい人が本気になると怖いらしい。志乃ちゃんはいつの間にか包囲網を張られて絡め取られていた。だけどそれってとても幸せなことだと思う。そして何より私にとって有り難い話だ。
「志乃がいなくて、寂しい?」
「寂しい、けど兵助がいてくれるから大丈夫。」
私が兵助を好きになった理由は、真っ直ぐじゃなかった。だけど志乃ちゃんはそんな私を知らない。無邪気な、素直な、少し抜けてる天然な幼馴染みだと思ってる。志乃ちゃんには、だから幸せな恋愛をして貰わなくちゃダメだ。もし、私が兵助に呪文のように「好き」という言葉を隣で植え付け続けなければ、きっと兵助も志乃ちゃんを好きになったはずだから。それでも複雑に思うのは私の勝手だ。
「今度は上手くいっちゃうかな。」
「なんだよ、上手くいかれるとやなのか?」
「だって私、はっちゃんと上手くいって欲しかった。そしたら、」
「いつまでも俺たちは一緒?」
道具の様に使ってきたのに、幼馴染みの枠を一番抜け出られないのは私だ。きっと、私だけだ。いつからか毎日会わなくなって、休みも過ごさなくなって、それが三人には普通に思えても、私だけがすがって生きてる。それをちゃんと知ってる。
「それは佳織が我儘だ。我儘よりも傲慢って言うか。」
「何それ。やな言い方。」
「だってお前、ハチが自分のこと好きなの知ってるだろう。志乃が俺のこと好きだったことも。」
卵をときほぐす手が止まった。隣では、兵助が器用にチキンライスを作ってる。相変わらず料理も淡々とこなす私のパートナーは素晴らしい。だけど今、この幼馴染みは何て言った?
「他人の機微に敏感なのが、自分だけだと思うなよ。」
「あ…」
「知らない振りも、知った上で利用する狡さが俺にはないなんてどうしたらわかるんだ?」
「兵助、私、そんなつもりじゃなくて。」
「佳織が、昔から一番大好きなのは志乃だって知ってるよ。その相手を俺にとられたくなくて、自分が俺をとったことも。」
知られてた。バレてた。完璧な志乃ちゃんの隣にいても、引け目を感じないために、負けないために兵助をとったんじゃない。全部、全部バレてないって確信してたのに。私はみんなの一番でいたかった。それを防ぐものは摘んでおきたくていただけだ。そして、きっと私は志乃ちゃんを、少しだけ異性の視線で好きだった。
「わかるよ。俺は佳織が好きだから。ずっとずっと好きだからわかるんだよ。」
放心している私の手から卵を奪うと、綺麗にオムライスを仕上げていく。兵助は、私が自分のことを好きなわけじゃなかったって知ってたんだ。知っててそれに付き合ってくれてたんだ。
「気持ち悪くないの?私、志乃ちゃんが一番好きなんだよ?私、女だよ?」
「別に。」
「あり得ないよ!兵助馬鹿でしょ!」
「確かに佳織は志乃が好きだけど、今の一番は俺だろうし。それに志乃に対する好き、は憧憬だと思うし。」
「た、確かに他の女の子には興味ないけど!それに、今は兵助をちゃんと好きだけど前は、そういう意味では見てなかったんだよ…」
「今、ちゃんと好きならそれでいいよ。」
ケチャップで熱心に何事か書いている兵助の横顔は、いつも通り涼しげで読めない。考えてみると、幼馴染みで彼氏彼女でやってきたのに、この相手の思考を覗けた試しがない。
「なに、今も好きじゃないって?」
「好き、だよ。」
「ま、知ってたけど。」
そして差し出されたオムライスには、ちょっと歪みながらも、恐ろしく恥ずかしい文句が書いてあった。
「ゆーらぶみー…」
「俺のはこっち。」
「らぶみーてんだー…」
「よし、食べるか。」
動けない私を無視して、テーブルに運び出す兵助は、やっぱり小さな頃から今でも何をどう考えてるのかさっぱりわからない。多分、私のことを好きだって言うことしかわからない。でもなんで私のことを好きになったのかがわからない。やっぱり読めない幼馴染みだ。
「ねー、なんで私のこと好きなの?」
「何をいまさら。」
「だって聞いたことない。私の洗脳の賜?」
「佳織ごときに洗脳されてたまるか。」
「じゃあなんで?」
「そういうのは、小出しにして教えてやるよ。」
「出し惜しみはんたーい。」
ガツガツとお皿のオムライスを消費していく兵助と、粘って見つめる私の攻防戦。そこに間抜けなインターフォンが響いた。
「タイムオーバー。」
「絶対に聞き出してやる。」
ニヤリと口角を上げながら、席を立って玄関に向かう兵助を、確かに私は今一番に好きだ。まだまだ知らないところの多い彼だけど、この先何年経ったとしても好きでいられる自信はある。
「ずるーい!オムライス食べるなら呼んでよ〜!佳織ちゃん私にも作ってくれる?」
華やかな甘い匂いがする。香水じゃない、シャンプーでもない、志乃ちゃんの甘い香りだ。やっぱり今日も特別にスポットライトを浴びた様な志乃ちゃんがいた。
「志乃ちゃん!作る作る、座って待っててね!」
「お土産にケーキ買ってきたよ、後で四人で食べようね。」
「四人?」
「佳織、俺の分もある?朝から飯食ってないんだよー母さんも出てるし、兵助んとこ来たら上手いもんあるかなって。」
「はっちゃんのもー?」
「なんだよ志乃はよくて俺はダメなのか!」
「作るよーわかったよー。」
後から兵助とはっちゃんが一緒に入ってきて、久しぶりの日曜日の午後になった。勝手に冷蔵庫から飲み物を出しては注いでいく志乃ちゃん。私が作ったオムライスに、下手な絵を載せるはっちゃんとバカ笑いしてる、兵助。
みんな大好き。一番なんて決められなくて、決めるのが怖くて。だけどみんなの一番でいたくて。それを察して私を甘やかしてくれる三人が大好き。ズルくてどうしようもない私でも、呆れないで付き合ってくれる三人が大好き。
神様の忠告は間違ってなかったけど、私と私の幼馴染みは、それよりずっとずっと予想外に動いてきたんだから。
「佳織ちゃん!今日はホラー見ようね、勘くんに借りたんだ〜」
「うわ…えげつないチョイスだね…」
「俺絶対見ねぇ。このシリーズ、むかーし志乃に見せられてからトラウマなんだよ!」
「あ、面白そう…夕飯ピザ取るから、夜に見よう。」
「へぇすけぇえ!俺の主張聞いてた?なぁ!」
「「「はっちゃん(ハチ)の主張なんて、ねぇ。」」」
「お前らが一番えげつねぇよ…」
ほら、いつだって四人で集まればこうなっちゃうんだから。成長したって、こうなれるんだから。
あんまり幼馴染み、ナメないでよね神様?