彼の場合



数え切れない、でも少しだけ時間が経ったっていうのは実感する。一緒に泥だらけになって遊びまくって、庭でビニールプールとか入って、畳の上で雑魚寝みたいな昼寝して。春は何度も新しい門を手を繋いで潜って、桜が咲く前にはまた全員でお別れした。隣に並ぶ背筋は同じように伸びて、だけど中身は変わんなくて。



面倒くさいなぁとはかなり思う。お前ら俺を巻き込んでくれるな、と声高に叫びたい。大体、お互いに素っ裸の頃から知ってるっていうのに、今さら腹の探り合いとかなんなんかな、と俺は言いたい。それでも、まぁ、しょうがないよな。



幼馴染みで恋に落ちたってさ。



「兵助のばかぁあ!もう知らないんだから!」
「え?何、俺怒らせたんだ?」
「先帰るっ!」
「あ、そう。気をつけて。」
「…っ!!」



鞄を引っ付かんで、佳織がバタバタと階段を降りていった。おばさんお邪魔しました!あら兵ちゃんは?あの馬鹿はまだはっちゃんと一緒にいるそうですぅ!あらあら、しょうがないわねぇ。またいらっしゃいね。はーい!


「送らなくてよかったのか?」
「送る距離かよ、佳織ん家、ここから斜め右上だぞ。」
「そういう問題じゃないだろ。」



俺を見ることもなく、机の上に広げられたチャートをコツコツ解きまくっている幼馴染みその一。何が起こっても超淡白。慌てず騒がずいつだって冷静で、俺たちが混乱したら鶴のヒトコエみたいに氷を落としてくる。イエス、兵助ビークール。



「佳織の癇癪?ヒステリーは毎度だろ。一々付き合ってられるか。」
「付き合えよ、彼氏なら多少は。」
「あいつだってわかってんだから、いいんだ。」



そう言ってペンを置くと、モゾモゾとベッドによじ登る。俺の枕やら唯一のぬいぐるみ、修学旅行土産のプーさんを踏むな馬鹿野郎。そのまま兵助は、ベッド脇のブラインドを人差し指と親指で押し開いて笑った。



「はい、部屋にご到着。お見送り終了。」
「心配ならちゃんと送りゃいいのに。」
「佳織は確かに可愛いけど、ワガママ娘に振り回されてやるわけにはいかないからな。」
「その内、愛想つかされても知らないからな。」
「つかすなら俺が先だ。」



そんなこと言っておきながら、兵助が佳織と別れられないことは目に見えている。佳織は兵助がいなくたって、問題ない。あいつは誰とでも上手くやっていける。そういう才能に長けてるし、あいつが笑えば誰でも動かされてしまう。持って生まれたタイプだ。



兵助はそうじゃない。佳織や俺たちに振り回されないと、他人とはすーぐに没交渉になって、狭く縮こまろうとする。そんな兵助には、佳織みたいなやつがいないと、多分上手くいかない。



「兵助、ちょっとは、」
「はっちゃん、ここの数列間違ってる。」
「うへ?」



そう言ってニヤリとペン回しを続ける兵助が、それでもどんなに他人に無関心であろうと、佳織が心配する程度には、呼び出しを受けることも本当だ。だから佳織は、あの可愛らしい頬を膨らませていつも怒っているのだ。



「はっちゃん、飯食ってっていい?」
「おう。母さんに言ってくる。」



幼馴染みそのニの佳織も当然大事だけど、やっぱり男同士の付き合いは、疎かには出来ませんよなぁ。





「じゃあ明日な。」
「おう、ちゃんと仲直りしとけよ。」
「今から会いに行くから、そんな心配すんな。」
「あ、そ。」



なんだかんだ想いあってる両思い14年目のあいつらは、きっとこのままずっと続く。誰が何を想っていてもあの二人は途切れない。お互いの記憶に現れた三歳の時から、手を離したことなんてないから。





兵助が帰って、開け放した窓から、微かな匂いが入ってきた。俺の部屋まで届くこの消えそうな匂いが、隣からくるようになったのはいつだったかな。



「“喫煙は成人を迎えてから、みなさんも指導員の方の説明に耳を傾けましょう。”」
「何優等生みたいなこと言ってんの、気持ち悪い。」
「一言一句間違いなく、志乃が言ったんじゃん!」
「忘れてたぁ。アタシ、正真正銘魔性の優等生なんだったぁ。」



煙を俺の顔に向かって吹きかけながら、幼馴染みその三がゲラゲラ笑う。人差し指で頬をつんつんさせて眉を下げた困り顔は、さすが県立高校に舞い降りた女神、とか信仰されているだけある。中身は酷いほんとに残念。



「生徒会長がんなこと言っていいのか?」
「いーのいーの。仙蔵だってバレなきゃ良いって言ってるし?」
「立花先輩…」
「こぉんなに美人で、成績良くって、性格まで優しいんだよ?誰が想像するかっての。」



きゃはは!と下品な笑いを似合わない顔に浮かべる志乃は、俺より一つ上の高三。一応県下一の進学校で生徒会長をやって、テニス部の部長もやって、模試の成績まで誉められる、そんな彼女は俺の周りで唯一破綻した人間だと思う。ヤバイ。



勉強のお供に日本酒か焼酎か泡盛を飲んで、アタリメをかじりつつ寝ながら教科書を読んでにやつくのが趣味、とかほざく。にやつくのはもちろんそれだけ簡単だからと言う、男なら大気圏外に飛ばされる理由だ。



「それより見て見て!凝ってるでしょ?」



志乃にとって楽しいことは、無駄に均整の取れた自分の体型を生かして、コスプレすることだ。あいつの部屋はどこのモデルハウス?と聞きたいくらい綺麗で何もないけど、隠されたクローゼットにはその道具が物凄く丁寧に保管されている。ちなみにオハコはエヴァのア○カで、“頼まれて断りきれなくて着ちゃったの”みたいな顔をしながら去年の文化祭で披露して卒倒者を出した。いろんな意味で有罪だ。



「なんそれ。」
「今日はデ○ラララ!!のセ○ティ〜首あるけど!おとんのメット被りゃあ完璧だわ。」
「志乃ちゃん、受験勉強は?」
「なにそれうまいの?」
「コスプレよりかはな!多分な!」
「コスプレ馬鹿にすんな!明日は銀/魂のドSになってやる!」
「ほんと、お前がアニメのキャラクターだったらどれほど良かったか。」


志乃は一度部屋に引っ込むと文句を言いながら部屋着に戻った。普通の恰好してると、見慣れても美人は美人だ。そろそろ見飽きたい。



「ハチ、あの二人いい加減別れた〜?」
「またかよ!」
「わ・か・れ・たぁ?」
「別れてないし!てか別れないし!」
「ちぇっ。まだ飽きないわけ。」
「お前な…!」



そんな志乃は兵助のことが凄く好きだ。とても好きだ。馬鹿みたいに好きだ。佳織のことも昔からあんなに可愛いがってるのに、兵助が絡めばおしまいだ。上手く隠してるけど、佳織は馬鹿じゃない。気づかない振りをずっと続けて、でも佳織の前でも平気で兵助とくっついてるあたり、退く気はさらさらない。



「佳織ちゃん可愛いけど、私の方がいいのに。」
「彼氏が泣くぞ。」
「わかってて付き合うようなドMだもん、いーいの。」



全然良さそうな顔にならないのに。目の前の意地っ張りな幼馴染みは、それに気づきもしない。



「あーあ!私とハチが付き合ったらいいのにね。」
「俺を巻き込むなよ!」
「え、私になんの興味もないの?まったく?これっぽっちも?」
「……ねぇな。」
「……五秒しか迷わなかった!九頭身なのにDカップで美乳なのに…肌モチモチなのに…!」
「そういうとこが問題なんだよ!恥じらいを持て!」



ケラケラ笑いながら、何本目かの煙草をカップ酒に浸した。確かに、そういう二組だったらよかった。丸く収まったし、ズルい佳織が今でもそんなことを望んでいるのは知ってる。兵助は自分のものだけど、志乃が不幸せなのは嫌だって言う。まるで上から目線の自分勝手だけどわからないこともない。けどさ、俺は幼馴染みが大事なんだ。そういうことは嘘なら絶対にしない。



「私さ、兵助が私のモノになるなら後はいいなぁ。その辺に捨てる。」



そういうことを言う志乃の顔は、存外綺麗だ。言ってることは汚いのに、すごく綺麗だ。兵助はモノじゃないけど、志乃から頭の良さとか何をしても画になる美人度とかを抜くことは無理だけど。



「ハチは?そう思わないの?」



思ってもしょうがないとか、考えてどうにかなる問題なら勉強したかもしれない。俺に引き渡せるものがあったら、きっとそうした。



「考え過ぎて忘れた。」



ベランダ越しに笑う志乃は、やっぱり下品なのに綺麗だ。それでも思い出すのは、しょっちゅう膨らむ頬っぺたばかりだ。



大好きな幼馴染み、知らんぷりが上手くなった俺たち、それに助けられてる四人と、救われない関係。



誰だよ、俺たちをこんなにややこしくさせたのは。



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