青い自画像

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高校に入って最初の夏休み、先輩に誘われて海の家で短期のバイトに励んでいた。どうしても原付じゃなくて二輪の免許が欲しくて、親に内緒で資金集めに必死だった。免許さえ取ればあとはこっちのもん、後はなんとか説得してまた自分のバイト代を貯めて400CCを買うつもりでいた。これはガキん頃から、バイクの免許が取れる16歳になったら絶対にやろうと思っていたことの一つだ。



「さくー!!掃除が終わったら帰って大丈夫だぞ?」
「マジっすか、お疲れ様ですお先失礼します!!」
「おう、明日も頼むな〜お前元気あるしよく動いてくれるし店長も助かってるって。」
「うわ、ありがとうございます!!ところで食満さんはまだ帰んないすか?電車の時間きますよ?」
「ん。俺はあいつ待ち。で、今日はバイク。」



三つ上の食満さんは姉貴の友達で、俺にとってはバイクの話がとことんできる身近な存在。バイク以外にもギターとかプラモとか色んな話題で盛り上がれるから、食満さんならと思って、今回のバイトもついつい相談して頼ってしまったわけだ。ちなみに食満さんはこの短期の他に、CDショップでも高校の頃からバイトを続けていて、俺は時々内緒で店員割引してもらってたりする。



「あいつ、ですか?」
「そ。俺のまぁ妹みたいなもん。幼馴染っていうか。」



視線の先には誰かが防波堤に腰掛けて海を見ながら一身に手を動かし続けていた。もう辺りは陽が沈みつつあるのに、何を必死になっているんだろうか。少しだけ冷たい、そして独特のベタつく海風がさっきからそいつの長い髪を舞い上げている。



「俺が海の家でバイトしてる、って言ったら青い色が見たいから遊びに行っても良いかって言われてな。」
「青い色が見たい?…えーと、色が見たい、ですか。」
「いや何を言いたいのかはわかる。不思議ちゃんでも電波でもないけど、独特なんだよなぁ。ま、しょうがないといえばそうなるけど。」



困ったように説明し難いんだよな、と笑って食満さんは一言残すと、手に持っていたパーカーを持って防波堤まで駆けて行った。でも一度呼びかけただけでは振り向かず、相手は何度目かにしてようやくゆっくりと、そしてぼーっとした表情のままで、小脇にA3程度のノートを抱えて降りてきた。初めて寒いとでも思ったのか、右腕をさすっている。



「あほ、夏って言っても夕方は風が出んだよ。パーカー持ってきたなら側に置いとけっつったろ?」
「うん、ありがとう留兄。」
「朝からずっと太陽の下に出ずっぱりで疲れないのか?明日は絶対帽子被らせるかんな。」
「帽子被ると髪の毛ペタッてなるからやだ。」
「なら連れてこねぇぞ。」
「まだ色付けてない…せっかく朝から夕方までの海の変化を描けたのに。」
「なら約束な。しかも、せっかく昼飯に焼きそば持ってったのに半分しか食ってねぇじゃねぇか!!」
「あ、ごめん…時間があっという間で。い、今から食べる…!!ごはんは残さない…!!」
「はぁ…お前はほんとに描くことにしか興味がなくなったんだなぁ。」



…兄妹みたいな会話を身近に聞きながら少しだけ既視感を覚える。どっかで聞いたことがある声、話題、そしてこの姿。



「…結城?」
「んあ?富松、志乃のこと知ってたのか?」
「…1−2組の富松作兵衛くんだ。」
「あぁ、そうかお前ら高校一緒だったなぁ。顔くらいみたことあるか。」
「結城は有名人ですけど、なんでそっちが俺の事を知ってるのかは…しかもフルネーム。」



結城志乃、の名前が学校中に広く出回ったのは夏休み前の終業式だった。部活や個人で表彰を受ける生徒たちが壇上にあがるのは恒例だけど、一年生がこの時期にあの場にいるのはどう考えても珍しいことだった。俺や藤内、孫兵は運動部、しかも個人競技ということもあって一年ながら大会にも出場しやすく、県大会を突破していたから例外的に並んではいたけれど。



「あー美術の授業で、運動をしている人物を素描する、っていう課題があったんだけど…」
「俺、選択芸術は音楽だからなぁ。」
「えー、と。」



最後に名前を呼ばれた結城は、記憶に間違いがなければ一度に三つの賞を受けていた気がする。どれも金賞、最優秀賞、新人賞、とか大層箔のついたタイトルばかりを読まれながら。あのときざわついた体育館は相当面白かった。この学校に有名人が誕生した瞬間でもあったんだろうから。その結城が、抱えていたノート、どうやらスケッチブックらしきものをパラパラと捲り始めた。



「これ。」
「ん、おぉすげ!!そっくりだなこれ。」
「なんですか?」


結城が食満さんに渡したスケッチブックを覗き込めば、そこには黒の濃淡だけでさらさらと描かれた、胴着袴に竹刀を持って素振りをしている俺の姿があった。凄い、誰がどう見てもこれは間違いなく俺、だ。感心してポカンとなりながらもそう理解した瞬間、恥ずかしさに顔が真っ赤になるのがわかった。



「な、なんで俺!?あれ、面識ないよな!?」
「ないけど、誰を何の運動をしている人を描こうかなってブラブラ歩いてたら、富松くんが目に入ったから。」
「他にもいただろう?よりによってなんで一年の俺?先輩たちの方が上手いはずだけど。」
「剣道に関してはなにもわからないけど、外から道場を覗いた時に、全体を見て目に入ったのが富松くんだったから。」
「ま、まじか…」
「人物画は本当に苦手だけど、課題だったから描いた位に思ってたけど、これは上手く出来たと、思うの。」
「なんか全然そんなこと知らなかったけど、これ、すげぇ特徴捉えてくれてると思う。」
「ほんと?本人に言われると自信になる…ちょっと待って、」



肖像画なんてそんな事は言わないけれど、それでも結城が描いたこの姿は、堂々と自慢したくなるような、そんな俺がいた。結城はしゃがみこんで慎重にスケッチブックからその一枚を破り取るとクルクルと巻きなおし、ブレスレットのようにつけていた髪ゴムで丁寧に押さえた。



「もし、こんな風に話せるくらい仲良くなれたら渡そうと思ってたんだ。勝手にモデルにしてごめん。」
「や、こっちこそありがとな。大切にする。」
「もし、本当に人物画を描けるようになったら、またモデルになってくれるかな。」
「おう。」



お高く止まってるのかと誤解してた。高校一年生で、というよりは16歳でたくさんの人間から注目されて、持ち上げられてチヤホヤされることが当たり前なんだと享受しているやつかと思いこんでいた。でも、思い返せば学校で見かける結城はいつも普通に友達と笑っていて学食でも一番やっすいラーメンとか啜ってて、俺たちと変わるところなんてなかったのに。



「お前ら、一気に打ち解けたのはいいけどな。とりあえず富松これ。」



食満さんに突然メットを手渡されると、すぐに後ろに跨るように声をかけられた。あれ、なんでだ?食満さんは結城を乗っけて帰る予定なんじゃ。



「電車まで時間ねぇから駅まで乗っけるわ。志乃、店長に待たせて貰えるように頼んどいたから大人しく待っとけよ。」
「留兄、私、もう16歳なんだけど…」
「どうせ明日も連れてきてとか言うんだろうから、明日また喋れよな。」
「け、食満さんすみません!!」
「良いから掴まっとけよ。」
「はい!!結城、また明日な!!」
「うん、ばいばい。」



俺が結城と知り合ったのはそんな夏だった。それ以来ほぼ毎日食満さんに連れられては遊びに、と言うより真剣に絵を描きに来る結城と休憩時間やバイト終わりにポツポツと話すようになり、休み明けに学校で会う頃には富松、と呼びつけで声をかけられる位に仲良くなった。





「お前今元気ないだろ。」
「なんでわかんの?」
「食満さんに教わった。人前で姿勢を崩さない結城が、壁に背中を預けてたら疲れた証拠だって。」
「留兄はまた余計と言うかお節介というか…ちょっと気質が似てるよね富松も。」
「そうか?で、なんかあった?」



部活終わりの水飲み場で、珍しく結城を見かけた。この時間はほぼ美術室に籠っているはずだから、こんなところにこいつがいるのはイレギュラーだ。気晴らしに散歩にきたのか、火曜日ではないから数馬のところにも行けなかったのか。



「絵、が描けないの。」
「なんだよ巨匠も壁にぶつかったってか?」
「…どうしよう、このまま描けなくなったら。」



普段なら冗談も軽く返してくるはずなのに、今の結城には余裕がない。よく見れば秋も終わり、部活の終わった俺はともかくワイシャツの上に何も来ていないこいつが寒くないわけがない。きっと、汚れ防止のエプロンを外してそのままフラフラ歩き回っていたんだろう。慌てて道場に上着を取りに行こうとしたら、袴を弱く引っ張られた。



「富松、どうしよう。」
「落ち着け結城、今はたまたまそういう時期に陥ってるだけだろ。今までのペースがペースだったんだよ、少しスローに入ったからって心配にならなくても、」
「どうしよう、走れなくなって、もし今度描けなくなったらどうしよう?何も残らなくなっちゃう。」
「…走る?」



俺はこの時、まだ何も知らなかった。結城が何を失って何を得たのか。だからこそ失うことに人一倍恐怖心を抱いていることも。結城は自分の絵が評価されるかどうかなんていうのは、本当にどうでもよくて、自分の満足できる絵が描けなくなることだけを本当に怖がっていたことを。



「描き上げたかった。描けると思った。富松に似合う青い色で、今度こそデッサンじゃなくてきちんと完成した絵を、描きたかった。」
「お前、ちゃんと描いて…?」
「ごめん。でもやっぱり私にはダメみたい。人を、特にその人が大好きなことに打ち込んでいる姿を描こうとすればするほど、羨ましくてそれが許せなくて、心狭くてほんとにごめん。」
「…あのな!!俺全然わっかんないけど何に悩んでるのかも知らないけど、お前の絵は、すげーってことしか言えないけど。だから、描いてくれてるって聞いて嬉しいけど、こんな無理してしか描けないなら止めろよ。」
「でも、」
「あのな、友達がこんな辛そうなの見てるの嫌なわけ。だから、また描けるようになったら引っ張り出してくればいいんじゃねぇの?俺ならいついつまでも待ってるし。」
「あ、ありがとう…富松って、富松って物凄く良い奴だね。…初めて知ったよ。」
「いやいやいや、初対面から好印象だったろ!!」
「…目つき悪くて怖かった。」
「人の好意を握りつぶしやがったな…」





とりあえず、宥めたものの不安定な結城を一人で帰すのは心配だったから、藤内辺りに連絡したのに奴は女とすでに帰宅済み。わかってた、予想してたけどめちゃくちゃいらっとした。こうなると最終手段で、俺は携帯のアドレス帳からある名前を探し始めた。



「なんで呼ぶの!!富松の馬鹿!!友達止める!!」
「せっかく来てくれたのにその態度は無いだろ!!俺こそこんな礼儀の無い奴が友達なんて願い下げだっての!!」
「学校に来られるのは別なんだってば!!」
「わざわざ大学から着てくれたんだぞ!!まずは礼を言え、礼を!!」
「11月にバイクの後ろなんて寒くて死ぬっつーの!!」
「あのさ、頼むから外野で喧嘩しないでくれ。ついでにそういうと思ったから今日はダチの車。」
「…ま、まさか…」
「やっほー志乃ちゃーん!!ひさしぶりー!!一緒にご飯食べに行くって言うから留三郎乗っけてきちゃったー!!」
「ぜ、善法寺さん……」
「わ、この車すげーかっこいい…」
「褒めてくれてありがとう。僕の愛車なんだ〜君が学校での志乃ちゃんの保護者なんだって?僕の代わりにありがとう。」
「へ?」
「違います、富松は全く関係ありませんただの友人です、そしていつから保護者に成り変ったんですか!!」
「あぁ保護者じゃ結婚できないもんね、ごめんごめん。」
「留兄!!」
「作、今日は連絡ありがとな!!とりあえず今日はこの辺で!!」
「富松、覚えておきなさいよ…」
「はいはい愛の逃避行〜タンデムランデブ〜♪」
「善法寺さん、医者目指してる人間が飲酒運転してどうするんですか。」
「わかる、わかるが志乃、ナチュラルハイなだけだ。」



翌日聞いたところによると、食満さんの友人である善法寺さん(黙ってれば間違いなくイケメン)は、自分に徹底的な拒絶反応を起こしているにも関わらず結城のことが可愛くて仕方ないらしい。たまたま食満さんの家に善法寺さんが遊びに来ていた時、隣に住んでいる結城がお使いとして回覧板を持って行った時に出会ったと言う。(食満さん曰く、その時のあいつの恰好がショートパンツだったのが理由らしい。)『僕の理想的な脚!!』と目を輝かせて自己紹介をし始めた姿にドンびいたと、憔悴しきった顔で結城が説明してくれた。それ以来、何かにつけて現れるようになった彼に、若干の恐怖心を抱いてるとかいないとか。



「俺が言うのもなんだけど、お前の周りっていいひとばっか集まってんだからさ、もっと頼ればいいんじゃね?」
「う、そうかな、でもそうかもしれない…」
「ま、溜め込む前に吐きだせよな。」
「うん。…あのさ、青い絵、今はまだ白い布に包んでる状態だけど、絶対に完成させるから。」



もし結城が自然体のまま、大好きな絵を描けるようになれたら、俺は友人代表として神様に礼を言いに行ってやってもいいんだけどな。



「そうやって気負わなくていいんだよ。」
「うん、でもね。富松が海を背景に立っている姿は、私にとって、とても印象的だったの。」
「自分ではさっぱりわかんねー。」



朝から晩まで海と空の青を見ながら思った。明るく澄んだ色から、濃く沈んだ紺に至るまで、青のヴァリエーションは豊富。そしてその変化は、人間の感情の変化の複雑な過程に密接に結びついている。


「ね?富松が剣道している姿にはぴったりだと思うでしょう。」



そっくりそのまま返してやる、そういった時のポカンとした間抜けな表情は、今でも覚えてる。結城は俺にとって、左門と同じくらい大切な友人だから。


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