8 海の底で、誰かが泣いているから。
海の中から見つめる太陽は、白い。存在が見えるのではなく光源として追い求めるせいだから、だろうか。



淡く揺れる光の元に顔を寄せれば、私ですらきっと息が出来ると信じて、浮き上がろうと腕を漕ぐのに。



何故だろう、振りほどけるほどの力で掴まれた手を、離せないのは。その手を握り直してまで一緒に沈もうとしてしまうのは。



そうして海の夢を見るとき私はいつも、自分から呼吸を止めてしまうのだ。





夢から覚めた時、目の前に竹谷くんの顔があった。



体勢が動かせないのは、竹谷くんに腰をしっかり抱かれているからだけれど…相変わらず両手は自由だ。



私はいつも、彼の輪郭を確かめてしまう。無駄な肉のない頬、筋の通った鼻、私のことを決して写さない瞳。



もしも願いが叶うなら、私は彼の綺麗な瞳を抜き出して、新しい瞳を嵌めるんだろう。そうすればきっと、私のことを写してくれるから。



寝惚けている頭は、夢や現実を行ったりきたり。とりとめのない思いつきは沫となって消えていく。

私はこのままずっと沈んでいたい。竹谷くんが違う誰かを見ていても、似ているだけで側にいることを許してくれるならそれでいい。



だからお願いです。彼がずっとこの夢から覚めないように、光の射す場所を目指さないように、いつまでも、あの居心地の悪い暗い世界に繋がれていますように。



「おはよう、夏帆。」



この柔らかい笑顔が偽物だとしても、私にずっと与えられますように。



「おはよう竹谷くん。」



私だけがずっと、息を吐けなくても。





「お前、顔色悪すぎ。」
「目の前でミン剤飲んでるでしょうが。」
「寝れてるのか?」
「ぐっすり。」



三郎のことは好きだ。私のことをボロくそに貶す辺りが正直ありがたいから。自分の築いた関係が正解だなんて、口が割けても言えない。私にとって一番でも、決して認めてはもらえない。



兵助は、何も言わずに抱きしめてくれる。雷蔵は、笑いながら慰めてくれる。



「お前の真っ白な顔見てると無性に腹立つんだよな!」
「どうぞ通り過ぎてください。」
「…今からラーメン食いに行くぞ。学食じゃなくて隣町の美味いとこ!」
「私今日徒歩。」
「漢文か。バイクだから乗せてやる。今すぐ用意して行くぞ!」


三郎は何を言っても、多分最後には彼なりに励ましてくれているから。



その励ましを、私が必要としているかは別にしても、誰かの願いとかどうしようもないただの欲を、応援できる相手は稀有だと思う。



「竹谷が夏帆に会ったことがって言うよりは、夏帆が竹谷に会ってしまったことの方が、俺にはマイナスに思える。」
「なんで?」
「お前は、どっちかって言うとあいつに巻き込まれて付き合わされてる。もちろん喜んで付き合ってるのはわかってるけどな。」
「重要なのはそこでしょう?竹谷くんが悪いわけじゃない。」
「…よくある例え話だ。誘拐された被害者が、犯人である加害者に感情移入するようになる話。感情移入どころか、好意を抱いてしまう。」
「私がそうだって言いたいのね。」
「今のままでいいのか?好きだからっていつまでも付き合うつもりか。相手は誘拐したことすら気付いてない、善人面したとんだ異常者だぜ?」
「三郎って本当に竹谷くんの友人?有り得ないよその言い草。」
「誰もあいつを糾弾しないから俺だけは言わせて貰うことにした。あいつはおかしいんだ。」
「わかってる。でも、もう私も十分おかしいから判断するのは無理。」



一度諦めてしまったから、もう私には浮き上がるだけの気力はない。ただ静かにのたうちまわっている位が、ちょうどいいのだから。



「夏帆、竹谷と距離を置け。俺たち、実際院に進んでも後二年だ。」
「このままの関係が続くわけないってわかってるよ。でも、一緒にいたいから隣を選ぶのは間違いなの?」
「間違いじゃない。だけどそれは、竹谷とお前にだけは適用出来ないんだよ。」



どうして、誰もが理性的な言葉を並べて突き付けるんだろう。あなたたちの関係は成り立ちません、道徳的に間違っています。



それなら道徳的って何?私と竹谷くんは兄と妹でもないのに、どうして好きでいることが誤りになるんだろうか。歪んでるとか、傾いてるとか、横から見ているだけなら放っておいてくれればいいのに。三郎は真正面からしか言わないから、その分ずっと苦しくなる。


「竹谷は、無理だったんだよ。」



どうして、過去形にするんだろう。



無理だとわかっていても、好きでいたい。誰かに願わないと、人を好きになってはいけないなんて、そんな約束はない。



「お前、自分をそんな表情にしかしてくれない相手、いい加減棄ててやれ。」





人魚姫の話を知っているだろうか。



沫となり、海に消えた女の子の話。



自我も家族も世界すら棄てたのに、王子様だけはそうすることを拒んだ女の子。



もし、竹谷くんだけを好きで居続けたら。私も沫となり消えることが出来るだろうか。



「夏帆。おやすみ。」



けれどもし私が人魚姫ならば、決して沫になんてなれないだろう。



そんな儚く消えられるほど、綺麗な構造を私がしていないのだから。きっと裁断されて海の底に投げ入れられるばかりなのだ。



「おやすみ竹谷くん。」



それでも止まらない涙だけは、同じ海の一部になって欲しい。


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