太陽の光が届かない深海は、高水圧と低体温から構築される極限の世界。つまり生きていく上で過酷な条件だけが選りすぐられて広げられている。そんな領域で生きることを選んだ生物たちが、どれほど醜いか知っているだろうか。
手に入りもしないのに、光を求めるだけ求めてしまう深海魚は、総じて体の割合に対して眼球が異様に大きい。そして自分だけを守るために、想像もつかないような変形を重ねた姿で、暗闇の中をのたうち回っている。
私はいつも不思議に思うのだ。深海魚と呼ばれる生き物たちはなぜ上昇することを諦めたのだろうかと。最小限の機能を最大限に伸ばして生きていくことを課せられている世界を棄て去ることが、そこまで難しい選択だったのだろうか。そうまでして、残りたい場所であったのかと。
そして私は一つの結論に至る。
大学進学と同時に別れた男は、単純なほど分かり易い相手だった。一言で言い切るなら、付き合う女を自分に対する付加価値としてしか見ることのできない人間だった。自分を飾るもの、周囲に置くものには一定以上の偏差値を常に測っているような節があって、私はいつも試されていたし、逆にそのレベルさえ満たしていればなんの文句も言わないという性質の一点だけを愛していた。と、思う。
アクセサリーの一つとして、記憶の欠片として二年間も付き合った挙句、遠距離なんて話にならない、というポリシーによって切り捨てられたわけだけど。
正直なところ、あの男の欲求を全て満たせるような相手は滅多にいないので、私と二年間も付き合っていたのは残りの人生を考えるとマイナスにしかならないかもしれない。もちろん大半の場合はその後に出会う人によって、自分は変えられていくことの方がずっと多いのだから問題は何もない。そしてあの男の心配をするほどわたしが成長したわけでもない。
そもそも17、18の時に一緒にいた相手が自分にとって一番の相手だったと、その時実際に気づける人間なんて、滅多にいない。自分にとって相手がどんな存在なのかとぼんやりとでも感じることは難しい。私にはとてもじゃないけれど出来なかった。だから、そんな相手を見つけてしまっていた竹谷くんは、何かが特別なんだと思う。
もしくは、そう思わせた女の子が特別なんだと、思う。
私が竹谷くんに対して抱いている想いは二つ。一つは、彼がどうしようもなく好きだということ。
彼は、私が望んでいるもの全てを与えてくれた。全て、とは言いすぎなのかもしれない。それでも徹夜明け、精一杯の笑顔で友達と話している時に、こっそり「疲れてんじゃね?」と声をかけられた時とか、遅くまでかかった実験の後に、大好きなミルクティーの差し入れをもらったときだとか、初めての映画にも関わらず単館系のブラックコメディーを選んでくれたところとか。どうして私の好きなものが、欲しいものが、言ってもらいたい言葉がわかるんだろうかと思っていた。
何も言わずに自分を理解してくれる相手が現れたら、誰だって魅かれるものじゃないだろうか。だから私が竹谷くんを好きになったこと自体は、何も間違いではない。
間違っているのは、今でも付き合っていること。そして好きでい続けたいとしつこく想うところ。
何かがおかしいと思い始めたのは、いつだったのか。私はそのきっかけとなった出来事を今でも忘れてしまいたいと思っている。全て忘れて、ただ何も考えずに罪悪感なんてもの持たずに、馬鹿みたいに明るい笑顔で隣にいたかった。けれど、おかしいと感じ取った私の微細な感覚が抜け切ることはなかった。
「ほんとに昔から青が似合うよな。」
初めて二人で海に出掛けた日。竹谷くんは、まっさらな笑顔でおかしなことを言った。海に二人で行ったのはもちろん初めてだし、出会ったのもその年の春だし、まして青い色をしたものなんて私は身に付けた覚えがなかった。
「ほら、貝殻。どうせまた拾うって言うだろうから先に集めといた。」
笑顔で手渡してくれた真っ白な貝殻は、少しだけ欠けていて、思わず握りしめた私の掌を傷つけた。竹谷くんは、気づいていない。自分が、自分の想っている相手とは違う相手と一緒にいると言うことを。そうぼんやりと確信した。竹谷くんは私以外の誰かを間違いなく私に重ねていると。
そしてその誰かのことを、彼はずっと大切にしていたのだと。今でも、大切にしているのだと?
振り返れば気づけてしまう多くの符合。彼は私のことを理解していたのではなく、私を通した誰かの喜ぶことをそのまま私にしていただけなのだ。私のためだなんてことは、欠片もなく、ただその誰かのためだけに。
それでもいいと許せるほど私は大人ではなく、本人を問い詰めるほど嫌な役を演じるのは我慢ならず、この状態を維持できるほど忍耐強くもなかった。私は、私のことを決して見てはくれない相手をいつの間にか好きになってしまったのだ。好かれていたと思っていた。私に笑いかけてくれるのも、隣に座る理由も、全てそうなのだと自惚れていた。
馬鹿みたいに陳腐な展開だと思った。相談に行った兵助の部屋で、隠しそこなった写真を見つけたのはそれから少ししてからだった。海を背景にした私の知らない四人。そして私にそっくりの知らない誰か。そこで知らない誰かの肩を抱いている、口を開けて豪快に笑う竹谷くんの姿。
彼のそんな姿は見たことがなかった。私の前では豪快に笑うこともしない、いつも冷静で静かに笑ってくれる優しそうに微笑んでくれる同い年には思えないくらい大人っぽい人。
何にショックを受けたのかは分からないけれど、放心して動けなくなってしまった私を見かねた兵助が、雷蔵と三郎を呼んだのはそれからだった。三人の優しいような宥めるような声が代わる代わる降ってきたけれど、ただ私の中で固まっていたのは二つの事柄だけだった。
「みんな知ってたの?」
冷静になって考えれば、わからないでもない。私だって傷心の友人を慰めたいと思った時にはなりふり構わず、いろんなものを利用したことがある。三人は傷心でありどこか壊れた人間の相手をしなければならなかったのだ。自分たちがおかしいとは分かっていても、あえてその手段を選ばざるをえなかったのかもしれない。だから、私は彼らを責めることが、できなかった。
「彼女、海が好き、だったの?」
「そう。だから遺灰の一部は海に散骨したんだ。」
「ハチは、一人で今でも海に行ってる。」
わかりきった答えを聞くたびに手のひらの傷が痛んだ。容赦のない答えをくれる優しさがありがたかったけれど、その一つ一つをかみ砕いて呑み込んでいくうちに、私の体内もしくは脳内が痛みで麻痺していくのがわかった。
「ハチは、笑わなくなったよ。」
私に向かって楽しそうに微笑んでいる姿は、決して笑っているわけではないと、私と一緒にいても笑ったことなどはないと、三人にとっては当然の真実を知った時に、私も笑い方を忘れてしまったのかもしれない。とりあえず、それ以来私は心の底から笑えたためしがない。笑っているはずなのに、鏡の前ではまるで愛想笑いのようにうすら寒く感情の無い自分がいるだけなのだ。
竹谷くんに抱いている想いの一つ、それは、ただただごめんなさいという気持ちだけ。目の前に現れてごめんなさい、何も知らないで隣にいてごめんなさい、それなのに好きになってしまってごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい、でもお願いだから私と一緒にいても楽しそうに笑って。そして好きでいさせて。
同じだけの想いを返して下さいなんて、もう二度と想いはしないから。
その日竹谷くんが迎えに来た時、いつもと同じように夏帆と優しく微笑んで、何も知らずに差し出された手を私は同じように微笑んで取ったのだ。
どこか壊れている人の隣にいるには、自分もどこかおかしくなるしかないと、そう言い切るつもりはないけれど。竹谷くんが優しそうに微笑んでくれる度に私はただただ居た堪れなくなり、泣きそうになり、その板挟みから逃れるためにひたすら微笑み返すという悪循環を繰り返していた。傍から見ていたら順調なカップルの一つにしか見えないと言う事実も辛かった。
優しい雷蔵や辛辣な三郎よりも、ただ話をゆっくりと真剣に聞いてくれる兵助の元に駆け込むことが多くなったのは、そのせいかもしれない。そして、耐えきれずに泣いてしまった私のことを、何故か私よりもずっとずっと泣きそうな顔で抱きしめてくれた兵助を、押し返せなかったのは誤りだったんだろうか。
だから、泣くしか能のない女は嫌いなのだ。他の誰かも巻き添えにしてしまうから。
そしていつしか傷つくことにも泣くことにも誰かを巻き添えにすることにも耐性がついてしまった私がいる。それでも私は差し出された手を自分から放そうなんて思わない。竹谷くんが笑えなくても、兵助が泣きそうでも、自分が苦しくても。
深海魚がその場所を動かない理由を挙げるとしたらそれは、地上を恐れたわけでも光から逃げたかったわけでもない。だからといって深海に愛着を感じていたなんてこともない。
ただ、一緒に沈んでいたい相手がいたからに決まっている。