5 融けない雪に意味を見いだせない。
重力の作用で、海底に向かって沈んでいく粒子物質がある。海水との比重差が大きい粒子ほど、海底に向かって沈降する。真っ暗な深海にもし光が当たるとするならば、それはひらひらと雪が舞い落ちているようにも見える。



深さ数千メートルの深海は、もちろん太陽の光が全く届かない。完全に闇の世界だ。そしてその場所では気の遠くなるほど長い年月をかけて、少しずつ堆積物が海底に降り積もっていく。少しずつ、少しずつ、諦めたくなるような思いを落としていく。



現実に生きる俺たちの世界の雪のように、消えてくれることもなく。ただ、その小さな粒子は何層にも何層にも降り積もってしまう。





生まれ変わりよりも性質が悪いと思った。



他人の空似なんてレベルの問題じゃなかった。纏ってる雰囲気も、絶妙なタイミングで入れてくる相槌も、時々伏し目がちになる癖まで。



夏帆は彼女だった。



友人としての感情を持って接することのできる雷蔵とも、どこか屈折した愛情を持って接している兵助とも俺は違った。誰かがモニターでいるべきだと思った。




それでも何より理解できないのは竹谷の態度だった。



もし、俺があいつの立場なら、もう一度失うかもしれない恐怖には耐えられない。目の前で二度も、失いたくない相手を失ったらと思うだけで吐き気がする。「もう一度会いたい」なんて思うことにも抵抗がある。失ったらそこで最後だ、取り戻そうなんて思わない。



そこまで他人を想うことが出来ない相手と比較されても話にならないだろうが、だからといって竹谷が正常かと聞かれれば違和感がある。そうじゃないか?





「お前、竹谷といて頭おかしくなんねーの?」
「三郎って、いつも唐突だよね。慣れたけど。」
「雷蔵みたいに優しくないし、兵助みたいに甘くないから言わせてもらう。」
「三郎って低温の現実主義者だもんね。」



夏帆がいいやつであればあるほど、二人の歪な関係に疑問を持たずにはいられなかった。図式に起こしてみればいい。死んだ彼女の身代わりなんて、なんだそれ。なんだその果てしなく損な役回り。見てるこっちが頭おかしくなる。



「竹谷はお前を見てるわけじゃないんだ。一緒にいることに意味がないだろ。」
「意味があるかどうかは、私たちが決めることで他人には関係ないんじゃない?」
「死んだ人間に勝てると思ってんのか?」



目の前で悠然と微笑む夏帆は、それがどうしたの?という表情でしか俺を見ない。その冷静な笑い方が死ぬほど腹立つ。



「思ってないって言ったら?」
「はぁ?なんで自分から損な相手引き受けるんだよ。」
「単純なことなのにどうしてわからないのかなぁ。」



わかるわけない。もし、夏帆が言い切る次の一言でこのおかしな関係が成り立っているんだとしたら。それこそ世の中ひっくり返っても俺は認めたくない。



「好きなだけだもの。」



ほら。それだけで現実社会の全てを解決できると思うなら大間違いだ。そんな感情論だけで世間が動いたら、博愛主義が罷り通って世界は平和だ。俺の心も平安だ。



「竹谷が好きなら兵助と寝んのだけでもよせ。」
「寂しい者同士で結託してるだけで、害はないでしょ。」
「大ありだよ。俺らの関係どうしてくれんだ。」
「そんなの知らない。友人の彼女に手を出した男もおかしいし、傍観してる彼氏もいかれてんじゃない?ま、女が喜んで相手してるのが一番の問題って言いたいのかな。」



もう俺たちの中に、まともなやつなんていないのかもしれない。道徳?倫理観?



「お前ら見てると気持ち悪い。」
「それは一理ある。でもそういいながら忠告してくれる三郎が好きだよ。」



そうやっていつものように笑う。夏帆はいつでも笑顔を外さない。でも、それが何のための笑顔か少なくとも俺は知ってる。我慢してるんじゃない。辛さを隠したいんじゃない。



夏帆にとっては逆の意味を表しているだけ。笑えば笑うほど、容赦なく積っていくだけ。





消えてくれない雪ほど扱いに困るものなどない。消えてくれることに意味があるのに消化されない思いなんて、持て余すだけだ。そうだろう?



夏帆が竹谷を見続けても、竹谷はフィルターの役目を持った道具、失った彼女を再び見るための道具としてしか扱わない。



そんな螺子の外れた関係、壊したいと思うのは間違いなんだろうか。それとも自然に壊れていくのを黙って見ているべきなんだろうか。


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