望んでいたことが現実になった。
もう傷ついた表情を見ないですむ。作ったような感情を受け止めずにすむ。貼り付いたような笑顔から、解放できる。
絡まって歪んだこの関係性を、時間がかかっても解していければそれでいい。そう受け入れたつもりだった。
「夏帆、飯食いに行こうぜ。」
「鉢屋くんゼミは?」
「休講!に、した。」
「教授に睨まれても知らないよ。」
「いんだよ、ほら行くぞ。」
竹谷と夏帆が別れた。
当然と言えばその通りの、流れに任せた結果だったと思う。だってそうだろ?初めからあんな関係狂ってた。共依存なんて生温い表現じゃ示せない。どちらかが崩れるまで間違いに気づかなければ、きっと二人はどこまでも側に居続けた。離れるなんて選択肢を思い浮かべもしなかったはずだ。
その点のみ、夏帆が記憶を手放したことは、決してマイナスなんかじゃない。それでも本当なら、二人で納得して別れればいいと思ってた。記憶を無くしたからこれ以上付き合わせるのは申し訳ないなんて、そんな馬鹿みたいに理性的な判断で終わったなんてそんなの、あんまりだ。
矛盾してるのはわかってる。二人を否定してきた俺が、そんなこと思うなんておかしい。それでも、竹谷が夏帆を見つめる視線なんて、外野でしかない俺が見ていてもくるものがある。
その人が生きているだけで嬉しくて、顔を見るだけで幸せで、でもそんな状態がどこか不安定で怖い。そんな思いに陥るような相手と、竹谷は二度も出会ってしまった。そして二度も失った。それがどれほど幸せで、反転して想像に描けないほど辛いのかはわからない。
俺はそんなのごめんだ。その相手だけで自分が一杯になるなんて、耐えられない。怖い。その一人を失ったら俺が独りになる。そんな相手、作ろうとも思わない。
「鉢屋くんは、私と一緒にいて面倒じゃないの?」
「あ?なんだそれ。」
坂を下って駐輪場まで出る。中途半端な時間帯のせいで、誰かとすれ違うことも少ない。今でこそ落ち着いたものの、それこそ復帰したときの夏帆に対する好奇の目線と言ったらなかった。確かに、事故で記憶が抜け落ちたなんて滅多にあることじゃないが。
「だから、」
「なに、つまりこう言うことか?記憶喪失になったから迷惑かけてるって?お前、そういう変にバカなとこ変わんねーな。」
「うわ、失礼。もう鉢屋くん相手に遠慮するの止める。」
「そんなの早々に止めとけ。迷惑なんて前から被ってたし。」
「私も鉢屋くんにかけられてた気がする…すごくする。」
すこしむつけたような顔で、夏帆が笑った。今じゃ名前で呼ばれないことにも慣れたし、違和感を感じても表情には出なくなった。こっちが傷つけば、倍になって彼女が落ち込むから。
俺は、彼女が友人として大切だ。記憶が曖昧になったからって、この関係性を絶つつもりはない。雷蔵はもちろん、恐らく兵助も、夏帆と関わるのは止めないだろう。
だから、今の状況に少なからず不安を抱いている夏帆を支えたい。それを竹谷も望んでいるはずだから。隣に一番いたいと願っていた竹谷が、彼女のことを考えて空けた場所を、俺たちが埋めていければいい。そう思うしかない。
「で、何食いたい?」
「うーん…」
悩むように視線を泳がせた夏帆が、一点を見て止まった。
この時間帯は、上にある学部内で、動物の相手をしているはずなのに。なんでこのタイミングで目の前にいるんだ。図書館のガラス越しに、真面目な顔をして文献を調べてる竹谷がいた。
「夏帆、」
彼女が竹谷から目を逸らすことはなかった。今までもこれからもそれは変わらないんだろうか。別れたのに、忘れたのに、それでも視線が追ってしまうのは、どこかで覚えてるから?
「美味しいラーメン食べたい。塩だな塩!今の気分は断然塩!」
「…りょーかい。」
わかってた。友達が、俺が出来ることに限りがあるって。側にいて欲しいのが実際誰かなんて。二人が一緒にいることが一番だって、その事実をなかったことにすることだけは、絶対に出来ないって。
竹谷は気づけたのに。夏帆が大事だって、夏帆だから側にいたんだって。
「チャーシューよりもシナチクが多いといいな。」
「俺はナルトがのってればいい。」
「なら私のあげるー」
「…好き嫌いだけは変わんねーのな。」
無理してる時にいつもより喋る癖も健在。そんなにどこかで忘れられないなら、離さなければよかったんだ。
自分にとっての一人、を作ることはどうしても怖い。だけど違う、あの二人はお互いを作りあったんじゃなくて、見つけ出しただけだった。
そんな風にお互いを見ているなら、もう一度隣に立つ方法を見つけ出してくれないだろうか。
矛盾していても、それが二人を見ているしか出来ない俺の、願いだ。