誰かと続いていくことは、きっと幻想なんだろう。
それでも誰もが話を聞いてもらいたいし、優しくされたい。抱えたままの寂しさが重すぎるから。
自分のような中途半端な存在を包んでくれるような、誰か。大勢の中の取るに足らないひとりでも、飲み込んでくれる、誰か。
でも、お互いが欲しがるばかりで与えることから逃げるから、すれ違う気持ちが消化されないままになる。
誰かに気づかないまま、流れてしまう。
だけど俺には夏帆がいて。彼女は与えるばかりで、笑顔も涙も、指先から伝わる熱すら。俺はただ気づかないまま、手に入れるだけで。そこに含まれていた彼女の思いも、聞けないままで。
自分の言葉を伝えるすべも失って、捨てられない言葉が邪魔になるまま増えていって。
失うよりはいっそ、この現実から目を閉ざしてしまいたいと、弱い俺は毎日思ってしまう。
記憶は曖昧に途切れたままだった。社会生活を送る上では何の問題もない。ただ彼女に関わる細かな記憶、思い出と呼べるものがバラバラに散った。
「入院中、一度も女の子のお見舞いがなかったんだけど。私って異性から嫌われるタイプだったの?」
「当たり前だろーが。いいか、俺みたいな男前侍らしてんだぞ?反感買いまくり。」
ケラケラと明るく笑う彼女の真っ白な腕には、包帯がまだ巻かれている。
「三郎はともかく、俺たち四人といっつもつるんでたからな。」
「でも夏帆って男っぽかったからさ!」
退院祝いと称して雷蔵が渡したのはオレンジのガーベラ。カスミソウでボリュームを出された小さな花束を、彼女が嬉しそうに受け取った。
「ありがと、不破くん。」
なんの曇りもない言葉が、俺だけじゃない、ここにいる全員を突き落とす。
「荷物貸して。車まで運ぶから。」
「ごめんね久々知くん。それに車まで出してもらっちゃって…鉢屋くんにも迷惑かけちゃったよね。絶対お礼するから。」
他人行儀に振る舞う姿を、咎めることなんて出来ない。彼女が辛い思いを抱えているのは確かなのだから。
彼女が遠慮する度に、距離を置こうとする程に、そして思い出せずに苦しむ姿を見つけては無力感に苛まれるだけだった。
「だーから、気にすんなって何回言わせんだよ。」
「今日は夏帆の好きなもの食べよう!」
「退院祝いな。今日だけ特別。」
ただ、嬉しかった。彼女が笑う姿を見れることが。もうそれだけで十分だ。そう思わない限り、心の中で繰り返す言葉は、内側を容赦なく抉っていく。このまま吐き出してしまえば、彼女を汚してしまうくらいに手酷く。
それでももう一度夏帆に会いたい。もう二度と届かなくても、彼女に会いたい。俺を知らない彼女に会う度、伝わらない思いをくすぶらせて、爆発しそうだった。
「竹谷、先に車回しとく。」
「わかった。手続きしてくるから。」
「竹谷くん、それ位自分で行けるよ。」
「いいから。」
「…ありがとう。」
そんな風に笑いかけないで欲しい。俺には彼女に笑ってもらう資格なんてない。でも、彼女の笑顔を見ていたかった。今の他人行儀なやつじゃなくて、いつも俺にだけ向けてくれた笑顔を。
俺は夏帆と最初からやり直したいんじゃなくて、あの場所から始めたかった。それでも、今の彼女を見続けるのは勇気がいった。無償で与えられていたあの笑顔を、思い出さずにはいられなかった。
書類を提出した後、玄関ホールに向かう廊下で誰かに呼び止められた。相手は、彼女の手術を担当した執刀医だった。俺自身も、何度か挨拶を交わしたことがある。
「彼女の身内の方、かな。」
「あ、そうです。」
「よかった、渡し損ねるところだったよ。」
そういって、相手は綺麗なハンカチから何かを取り出した。
「これ。退院日まで持ち越してごめんな。」
それは、俺がプレゼントした指輪だった。
「運ばれてきた時からずっと、握りしめていて離さなかったんだよ。よっぽど大切にしてたんだなぁ。」
その小さな指輪を、彼女がいつも大切に身につけていたことを、俺は覚えてる。赤が好きだと言われたから、それだけで選んだプレゼントだったのに。彼女の細い指にその大きさがあわなくて、ネックレスとしていつもつけていた。
嬉しそうに、首に回した姿を今でも思い出せるのに。彼女には二度と会えない。
「君、大丈夫かい?」
「す、みません。大丈夫です。」
涙が止まるわけなかった。
だけど今さら、俺に何が言えるんだろう。彼女を泣かしていたのは俺だ。苦しめていたのは俺だ。
それでも夏帆が好きだと言い続けるこの感情は止まらないのに。
「竹谷くん。」
ただ彼女の笑顔を見たい。
そのために。この手は今、一体何が出来ると言うんだろうか?