9 注ぐ太陽の光が、見えなくても。
もし。私以外の誰かが彼を幸せに出来ると言われたら、私は自分の居場所を差し出すことができるのだろうか。



ただ好きだという理由で、いつまでも隣に居続けることはもう、無理なのだろうか。それとも最初から成り立ってもいなかったのだろうか。



正解じゃなくてもいいから、誰か私に安易な答えを与えてくれないだろうか。ただすがれるだけのその場しのぎでいいのだ。





「夏帆。」
「なに?」
「餃子、いくつ作る気?」



竹谷くんの家で、久しぶりに飲み会をすることになった。



講義が早く終わった私と雷蔵で、お好み焼きや、鉄板焼、簡単なツマミを用意していたはずが、餃子作りの最中にまた飛んでいたらしい。



「最近、危ういよ。」
「あぁ…泊まり込みで実験続いてたから。」
「そうじゃないだろう。」



そうじゃない。その通りだ。最近、自分の立場や彼との距離、埋まらない溝や過去を見ない振りをすることに、ガタがきているのだ。今さら。何年素知らぬ振りをしてきたのか。


好きでいることがこんなに難しい作業だったなんて、知らなかったから。



雷蔵の前だと取り繕わなくてすむ、そう思って気を緩め過ぎていたんだろう。むしろ、彼らの前でこそ綻びを見せないようにしなくてはいけないのに。



私は、四人の仲を確実にぐちゃぐちゃにしてしまったのだから。平気な態度を取り続けないと、自分を許せない。優しい人たちをこれ以上傷つけないためにも。我が侭を通したい自分のためにも。



「僕は夏帆が友達として好きだよ。」
「うん。」
「でもハチも同じくらい大事なんだ。」
「ちゃんと、わかってるよ。」
「ごめんね。」



ごめんね、雷蔵。あなたにそんな言葉を並べさせてごめんね。



知ってた。ずっと申し訳なさそうに私を伺っていたこと。いつも謝りたがっていたこと。自分たちが、巻き込んでしまったと責めていたこと。そんなこと、ないのに。勝手に好きになったのは私で、誰かの代わりでも側にいたいと、選択をしたのも私なのに。



「雷蔵が大好きだよって、言ったら怒る?」
「泣いちゃうかな。」
「じゃあ、大好き。」
「じゃあってなんだよじゃあって!」



お願いだから、こんな人間のために心を痛めないで。もっと自分のことだけで一杯にしてあげて。一緒にいてもらえるだけで、私にはすぎた友人なのだから。



「色々と、夏帆の好きにしなよ。」
「よし、じゃあ全部焼き餃子にしちゃえ。」
「真面目に言うと馬鹿を見るよね…」
「ほら、そろそろ集まってくるから焼き始めようね。」



その少し困ったような笑い方が、私は大好きなんだよ雷蔵。それなのに曇らせてばかりで、ごめんね。そしてあなたの友達を笑わせてあげられなくて、ごめんね。



「腹減ったぁ!」
「豆腐料理ある?」
「酒買い込んで来た。」
「今作ってるよ。」
「冷や奴でも食べて。」



雷蔵の優しさを無視しても、三郎が二人の関係を否定しても、兵助が想いに蓋をし続けても、彼らは当然のように一緒にいてくれる。



何故だろう、その事実だけで満足してしまえればいいのに。



「夏帆?」



竹谷くんさえいてくれれば、何もかも消え去ってかまわないなんて思ってるなんて、そんなこと言えない。大好きなのに、居なくなってもかまわないって思ってる私はなんて自分勝手。





「酒切れちゃったなー」
「買い出し行ってくるよ。私、ちょっと外の空気吸いたいし。」
「なら俺もついてくかな。お前ら、何かいる?」
「僕ウーロン茶欲しいな。」
「雷蔵もう移行すんのか…甘くない酒適当によろしく。」
「兵助は?」
「あー、アイス食いたいかな。安いのでいいからバニラ。」
「私も食べたいかも…何か箱で買ってくるよ。じゃあ行ってきます。」
「あ、夏帆。俺財布持ったから。」
「はーい。」





夜の道を竹谷くんと歩く。この道は通い慣れた道、歩き慣れた道。一人でも二人でも。



私たちは、長い間一緒にいたはずなのに。どうしてこんなに遠いんだろう。煙草を吸いながら前を歩く竹谷くんは、私と言う存在を認知しているんだろうか。



「満月だね。」
「…明るい月の裏側は、真っ黒に違いないのにな。」



二人で真っ黒で明るい月に照らされながら、歩いた。夜に二人きりで話すことなんてないのに。



私たちは、お互いの距離を計ることから逃げて楽な方に流されてしまった。話すよりも寝ると言う、コミュニケーションに行き着いてしまったのだ。



「夏帆は大学に残るのか?」
「そのまま院試受ける。竹谷くんは外部?」
「まさか。夏帆と離れるわけ、ないだろ。」





泣いてしまいたい。



泣けば竹谷くんが混乱してしまう。なぜ泣いているのか理解できないに違いないから。私が自分の言葉にどんなに左右されるのか知らないから。私のことを好きでもないのに、欲しい言葉だけ知っているのはなぜだろう。



それでも、もう無理なのだろうか。最近現実を生きている感覚が薄い。誰かのために自分を失うことを恐れているくせに、彼を欲しいと思った。でもこの想いは実らないのに消えてくれない。変わりに私が潰れてしまいそう。



いつから彼の前で泣かなくなって笑えなくなったのか。もう私、疲れてしまった?





点滅した信号が、その場に立ち止まってしまった私と竹谷くんに距離を生む。本能的に小走りで渡ろうとした瞬間、小さな金属音が響いた。





『夏帆が好きだって言ってたから。』



落ちたのは、毎日着けているネックレス。私が好きだと言った、赤い石が嵌め込まれた指輪を通してある初めてのプレゼント。



竹谷くんが覚えていてくれた私が本当に好きな色。



切れてしまった銀の鎖と、落ちてしまった太陽の色を見て、私は今度こそ泣いた。しゃがみこんで拾っても直ぐには立ち上がれなかった。



周囲が夜以上に真っ暗で、竹谷くんさえ見えなかった。



あぁ、私は地上にいても暗い世界に一人きりでいるのだ。





突然視界を貫いた閃光が、唯一の味方のように見えた。真っ赤に変わった信号機を前にして私は歩道の真ん中で止まったままだったのだ。光があたたかく見えた。手の中の太陽を閉じ込めて、ゆっくり目を瞑った。



不思議と身体は動かなかった。



「夏帆!!」



叫ぶような竹谷くんの声を耳に、身体に異常な衝撃を受けて、私は意識と別れた。




世界が二人にしてくれないなら、私は自分で二人になれる場所を見つけるしかない。



それが、結局自分で造ったまがいものでも。



真っ暗で何も見えないはずなのに、最後に目にしたのは、彼の泣き出しそうな顔だった。



ごめんね、大好き。


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