早春の動乱


その春のことを、きっと誰もが覚えている。各々が、今ここにいる確かな理由を小さな胸に秘めて、緊張したまま立ち尽くしていたこと。たった独りで、学園の門を潜った日のことを。



***



「僕に後輩は出来ないんでしょうか…」



春休み後、初めての委員会を終えて四郎兵衛が小さな呟きを漏らした。疲れていることに付加されて、表情がいつもより暗い。理由は明白。委員会に新しい顔が増えなかったからだ。



「しろは、後輩欲しいのか?」
「はい!絶対可愛がるって決めてるんです!」
「ふーん?」
「次屋先輩は、僕が入った時どう思いましたか?」



不安そうに三之助に尋ねる背中が、つま先立ちのせいか心許ない。チラリとこちらを伺う三之助に、返答次第ではこの後どうなるかわからない、と言う意味合いを込め、にっこり微笑んだ。



「…新たな犠牲者おいでませ…?」



ぽかん、としているにちがいない四郎兵衛に対して私と滝は笑うのを堪えてお腹に力を入れた。何故って三之助の後ろから委員長の影が見えたからだ。



「よし三之助、私と一緒に遊ぼうか。」
「そもそも七松先輩、認めるんですね。」
「真実を言い当てられても年上の分別と言うやつですよ。」
「志乃も滝もことごとく嫌みだ。酷い。可愛くない。」
「あの…先輩たち、」



三之助を人身御供に差し出して、四郎兵衛の頭をくしゃくしゃに撫でる。確かに、後輩が出来たときは素直に嬉しいものだ。滝も三之助も、入ったばかりの頃は本当に可愛らしかった。特に三之助は性格面において。



「もう少し、私たちの小さな後輩でいて欲しいんだけど、どうかな。」
「…志乃先輩がそういうなら、喜んで!」



四郎兵衛のいつもの笑顔が戻ってきたところに安心する。後ろで滝が七松先輩を必死に止めているけれど、三之助の意識は半分手放されつつある。隣の四郎兵衛も、一年経てば反応は苦笑混じりだ。



「志乃先輩。」
「うん?」
「七松先輩は、志乃先輩が入学したときからあぁなんですか?」
「九割方正解かな。」
「じゃあ初めて会った時の話とか、聞いてみたいです!」
「あの三人が収拾着くまで、でもいい?」
「はい!」



滝と三之助が手を取り合って先輩から必死に逃げてる。あの二人が共同戦線張るのは珍しいし、可愛い四郎兵衛の相手なら喜んで、だ。



「もう四年も前の話だね…」



***



私が体育委員会に入ったのは、籤で引いたからでも頼まれた訳でもない。自分から志望してのことだった。幼い頃から言われ続けた「華奢」や「ひ弱」と言った看板を、この手で粉砕したい一心での行動だった。



当時の委員長は、まぁ七松先輩とはかけ離れた性格の持ち主で、常識のある穏やかな先輩だった。だからこそ最初は苦笑混じりに反対されたのだけど。まともな思考の持ち主でも、体育委員会の内容を薄くするわけがなかったからだ。



負けず嫌いの私は、先輩が校庭の隅で昼寝をしている所を捕まえて「半刻で校庭を三十周」してみせると宣言し、出来たら認めてくれるように頼み込んだ。



時間内に走りきれず、俯いて戻ってきた時、先輩が笑顔で降参、と言ってくれたから私は体育委員になれたのだ。ど根性と彼の人は言うけれど、強ち間違いではない。



「志乃先輩がそんな無茶をするなんて。」
「必死だったの。これでもね。」



翌日、初めての委員会に向かうときはあり得ないほど緊張した。気にかけてくれた委員長が迎えに来てくれたお陰で、なんとか落ち着いたと思っても、すぐに戻るのだ。



「体育委員会は志乃を入れて五人。直ぐ上の忍たまもいるから、そんなかたくならないで、気楽にするんだぞ?」
「はい…!」



当時は三年生がいなくて、学年に開きがあったせいか、先輩たちはくのたまの私にも優しかった。元々私は末っ子だったせいか、年長者は一緒にいると無条件で安心していられるところがあって、初対面にも関わらず、先輩たちになついていった。でも、期待していた直ぐ上だという先輩の姿を見ることはなかった。



「今日も一人でマラソンしてんのか…」
「新入りが入るから、時間内に戻るようにはいったんですが…」
「そのうちひょこっと顔出しますよ!」
「志乃、もうちょい待っててな?」
「…はいっ…!」



その時、物凄い早さで私たちに向かってくる…いや突進してくる何かが見えた。あまりの勢いに先輩たちの後ろに隠れると、砂ぼこりを巻き起こしながら誰かが止まった。



「先輩先輩!一年どこですかっ!?」
「小平太、初対面の時くらい顔の泥を落とせ。」
「七松!委員会の時間は守れ。」
「すみません!体力有り余って裏山越えて裏裏山まで行ってました!」
「…委員会する気はあんのか?」
「もちろんです!それより、私の後輩は!?」



先輩たちが呆れながらも、その小平太とか七松とか呼ばれる相手を可愛がっているのが伝わってきた。そろそろと伺うように覗くと、顔も衣も汚れてしまった男の子がいた。



目が、とてもキラキラしていた。



「…!私の後輩!?」
「結城、志乃と申します。よろしくお願いいたします。」
「わぁ!うわぁ!先輩!私にも後輩が出来ましたよ!」
「よかったなぁ。」
「面倒きちんとみるんだぞ?」
「取りあえず、お前も名乗りなさい。」



ずいっと私の前に現れた先輩は、大きく笑ったまま手を差し出した。



「二年ろ組、七松小平太!よろしく!」



***



「案外普通の出会いじゃないですか。」
「そう思うでしょう。」
「続きがあるんですか?」
「残念ながらね。」
「…ところで、七松先輩を止めなくてもいいんですか?」



三之助は既に地面に転がっていて、滝が高速バレーボールを必死に避けている。先輩もいつの間にボールを用意したんだろうか。



「あ、顔面に受け取ったね。」
「滝夜叉丸先輩…ご愁傷様です。」
「意外に四郎兵衛ってば言う。」
「さぁさぁ続きを話し下さいね!」



私たちに気づいた七松先輩が、楽しそうにバレーボールを手にしている。えーと逃げようか、四郎兵衛?



***



差し出された手を握り返した時まではよかった。ただ、中々離して貰えないなぁと表情を確かめた瞬間、私は七松先輩にぎゅうぅっ!と抱き締められてしまった。対人、と言うよりは枕か何かのように形が変わるくらいぎっちりと。



「わっ!」
「ぎゅう!」
「こ、こら!馬鹿七松!お前は力が有り余ってんだからそんなぎっちり抱き締めたら駄目だ!」
「嫌です!」
「小平太、志乃が困ってるから離しなさい。」
「えーっ!!」
「なんで益々力を込めんだよ!」
「ぐ、ぐるじい…!」
「七松!志乃の意識が飛ぶから!」
「え、あ…!」



七松先輩からの突っ走った期待か何かを受けた私は、そのまま気を失い保健室に運ばれた。初めての委員会は、保健室で保健委員に白い目を向けられながらだったと、後から聞いた。



その日から半年間、私は七松先輩恐怖症に半ば陥り、先輩は先輩で初めての後輩にも関わらずなつかない私に衝撃を受けたらしかった。私は欠片も悪くないと自負している。



「どう?いかにもでしょう?」
「なんていうか…成長って言葉はどこにあるんですかね!」
「四郎兵衛、あの先輩にそれだけは求めちゃいけないよ。後、反省と自重も。」
「ですよね…!」



何故か委員会が終わったにも関わらず、屋根の上を四郎兵衛と全力疾走している。四郎兵衛に向かって投げられたボールに、蹴りを食らわせる。ちらっと振り替えれば後ろから、角が隠れた鬼が迫る。



「…七松先輩!バレーボールそれ以上壊したら、予算が減らされます!」
「だって後輩たちが私に意地悪なんだもの!」
「そんなことないです!私は先輩大好きですもん。四郎兵衛もだよね?」
「ぼ、僕もです!大好きなんです!」
「ほんとか!?」



ようやくとまった暴走に、二人で息を整えていれば、にこにこしながら七松先輩がやってくる。



「お前たち、大好きだ!」



四年前を咄嗟に思い出した私は、一瞬身を引いた。やはり隣にいたはずの四郎兵衛が、七松先輩の抱き枕と化している。しかも身長差があるので、浮いて足をばたつかせている姿は…あわれ。



「なんだ志乃!避けるな!」
「ほんっとに学習しませんね…!」
「何がだ?」
「四郎兵衛が委員会辞めるなんて言い出しても、知りませんからね。」
「なにっ!!四郎兵衛が!?」
「ぐるじぃ…!」
「だから力を込めない!」
「え、あ…」
「あ…」



***



「小平太?何回目?」
「ごめんなさい。」
「でも今回は、結城がいながらどうして?」
「私も間違って助長させるようなことを言いました…」
「平も次屋も伸びてるし。初っぱなから何やってんだかなぁ。」
「ごめんなさい。」
「すみません。」
「起こったことはどうしようもないさ。ほら、時友が目を覚ましたよ。」



善法寺先輩に諫められながら、四郎兵衛の頬を撫でると、ぱっちりと目が合った。



「四郎兵衛、大丈夫?」
「はい、慣れっこですもん!」
「ごめんな、勢い余ってつい…」
「大丈夫ですよ、僕、こんなでも体育委員ですから!」
「なんて殊勝な言葉…!先輩、見習って下さいね。」
「お、おう…!」
「でも…このせいで新入生が入らないんだったら、僕、考えがあります。」



四郎兵衛の笑顔に、七松先輩が一瞬で凍りついた。可愛い振りして、体育委員会二年目の後輩は色んな意味で成長しているらしい。



「僕、」
「わわわかった!絶対に一年捕まえるから!」
「うわぁ〜ほんとですか?嬉しいなぁ。僕、絶対に可愛がりますね!」
「ま、任せとけ!」



そう言ってから七松先輩が保健室を飛び出した後、四郎兵衛は布団を被って楽しそうに笑っていた。



「僕が委員会辞めるわけ、ないじゃないですか。」
「先輩、意外に愛されてる自覚ないね。」
「志乃先輩もですよ!」
「四郎兵衛、いつから口が達者になったの?」
「僕だって二年目ですからね?」
「後輩、もう少し待っててね。」
「はい!」



これは金吾が私たちの前に現れてくれる、少しだけ前の懐かしい話。




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