センチメンタリズム少々
教室から見える空は快晴、気温は暑すぎず寒すぎず、適度に風が吹き、つまりは最高。今日も明日も委員会日和、のはずだった。
放課後になって、いつものように一番に教室を出ようとしたら、声をかけられた。ついこの間行われた試験。六年にまでなって相変わらずの無勉強で調子こいた結果、筆記試験を落としかけたせいで、教科担任に首根っこふんずかまってしまった。補習課題をたっぷり渡されて、小言の集中砲火で諭されていたため、久しぶりの裏裏裏山までのマラソンがお陀仏になるところだった。生憎、間に入ってくれる長次がいなかったため担任からの説教にかなり時間を割いた。
「滝のわからず屋!!」
「先輩のお節介!!」
「金吾寄こして一人で走ってこーい!!」
「四郎兵衛の教育上悪影響です!!こっちに渡してください!!」
否、結局のところ私の楽しいマラソン計画は無残なほど木端微塵になり果てていた。なぜって、ウチの委員会の二大巨頭が揉めてるからには、委員会機能が正常に作動するはずがない。
放課後に各々正門の前に集合。それが昨日私の出した指示だったはずだ。それが校庭のど真ん中で、尚且つなぜ金吾と四郎兵衛が抱き枕と化しているんだろうか。滝が足元にひっついている金吾を抱きしめて、四郎兵衛が半ば強引に志乃に抱きしめられていて………正直四郎兵衛、その立ち位置羨ましいから今すぐかわりなさい。
「三之助、あの姉妹は何をしているんだ?」
「七松先輩、まずこの状況でそういう発言は自重したほうがいいっすよ。」
一人だけ平然とした顔で暇そうに、近くの木にもたれていた三之助にでも事の次第を確かめようと近付いたら、後方斜め六十五度辺りから、異様な殺気を受け取った。首元の頸椎とかに。つまりは人体の急所へ。
「「誰が姉妹だこのやろー!!」」
体育委員会のお花ちゃんたちよ、なにがあった。仙蔵に言わせると私みたいな上司には勿体ないくらいの見目良い人員構成らしい。でも別に、私が欲しいっていったからここにいるんじゃないんだけどもな。
「………私の可愛い後輩たちが漢になっている…」
「いやいやいや片方は生物学上男です。」
「おっと忘れてた。」
「(この人たち本格的に馬鹿だな。)」
「失礼なこと考えてないでほら、なんでこうなったか説明しなさい。」
「あー、なんていうか………」
普段が普段なだけに、目の前でいがみ合ったままの志乃と滝を見ているのは実に不思議な心持がする。ここに仙蔵辺りを呼んできたら喜んで眺めてそうだな。美しい者は激昂しているときさえ美しい、とか言いそうだ。うわ、想像するのやめておこう。
「志乃先輩、お、落ち着いてくださぁい!!」
「滝夜叉丸先輩も、冷静になりましょう、ここは。」
「しろべっ…」
「金吾!!」
…おかしいだろう。山で熊にあっても「熊が可哀想だから」といって委員長である私を遠ざけてでも、二人だけで対処するくらい冷静な上級生二人が、二人だけにしておくと常に茶会でもしてそうな雰囲気の下級生二人にどうして宥められているんだ。しかも四郎兵衛と金吾の心の底から大真面目に奮戦している様子を見ると、状況は着々と進行していたと見える。
「先輩たちが喧嘩しはじめると僕たちどうしていいのか…」
「七松先輩と次屋先輩がする分には問題ないんですけど…」
「「こらこらこら、そこ本音漏れてるぞー。」」
お互いに仁王立ちになっている志乃と滝の間に涙ぐましく入り込んでいるちみっこい二人を見ていると、なんだか助けに入る気を…無くすな、あんまり絵柄が楽しすぎて。
「でもね、女には引いちゃいけない時があると思うの。そしてそれが今なんだと思いたい!!」
「そうだぞ、ここで黙ると後で悔いが残りそうだからな、言いたいことは言わせてもらわねば。」
「志乃先輩…」
「お二人とも…」
「…そんな可愛い顔しても絶対だめ!!」
「四郎兵衛も私に加勢するんだ!!」
「何言ってんの滝!!」
確かに、色白の志乃の頬に赤みが差している姿なんて滅多に見れないし、いつも不自然なくらい見た目に気を使う滝がなりふり構わなくなっている所は興味深い。
「で?三之助。」
「はぁ、実はですね。」
それでも、一応一番上なんだから、下二人が喧嘩してたら原因くらい把握しようと思う。どんなに普段暴君とか、考えなしとか体力馬鹿とか言われていようが。
「そもそもこんなに疲労困憊状態で、どうしてマラソンに参加しようなんて思うかな。」
「見た目に怪我は負っていますが、私はまだまだ元気です。」
「その傷、この痣で何言ってるの?火傷まで拵えてるじゃない。」
「これは!!こんなのはすぐに治りますからいいんですってば!!」
「…滝、どうしたの?傷が一つでもあったら大慌てで保健室に行く子なのに…」
「……今日は、マラソンしたい気分だったんです!!」
「今日の朝、“どうにかしてさぼりたいです”ってシケタ顔してたのに。」
「おぉっと、それは委員長として聞き捨てならないな!!」
志乃の言う通り、近年稀に見るほど滝はボッロボロだった。委員会最中もかなりひどい有様になるけれど、今の滝はさすがの私でも保健室に連れて行こうとするだろう。このままだと手の火傷なんて、絶対痕に残ってしまう。
「志乃先輩、卑怯ですよ!!先輩だって、“三之助を人身御供にして、金吾と四郎兵衛連れてお団子食べに行こうかな”って言ってたじゃないですか。」
「へぇー?同じ後輩なのにひどい差別ですねぇ。」
「だ、だって、金吾と四郎兵衛は可愛いじゃない。三之助はにょきにょき身長伸びちゃうし、なんか皮肉屋に育っちゃうんだもの。」
志乃は志乃で、しゃがみこんで金吾と四郎兵衛の頬をぷにぷにといじりながら、三之助を上目遣いに見上げている。その姿は殺人級だと認めよう。上向きに揃った睫毛と、それらに縁取られたぱっちりした瞳、口角の上がった形のいい唇。認めるが、三之助を真っ赤に出来ても入学した時から知っている私までは騙せないし、すぐ下で見てきた滝にも効きはしないだろう。やっぱりあからさまな志乃の姿を見て、溜息をついたのは滝だった。志乃は志乃で、困ったように笑っている。
結局この二人が喧嘩なんて出来たもんじゃない。
「滝、一緒に保健室行こ?」
「…はい。」
志乃が女らしく振舞っても、滝は絶対になびかないけれど、この一言に直ぐ陥落するのはしょうがない。滝にとって志乃はいつまでも変わらない姉のような存在なんだし。
「滝夜叉丸先輩、今日はお休みしてゆっくり怪我を治してください!!」
「マラソンなんてまたいつでも出来ると思います!!」
「おまえたち…」
そして、四郎兵衛と金吾の二大癒し系巨頭にも敵うはずがない。怪我をした滝の手を心配そうにさすっている姿は、なんていうか…
「かーわいいー。思わず抱きしめたくなるー。」
「七松先輩気味悪いんですけど。先輩が抱きしめると二人の骨が軋むので止めてください。」
「私はもう、志乃を可愛いとは思えなくなったけど、四郎兵衛と金吾が可愛いのはわかる。」
「それは自明の真理です。でも先輩がいうと怪しい方向に聞こえるので、いますぐ二人から離れてください。金吾、四郎兵衛、こっちにおいで。」
「「?はーい。」」
四郎兵衛と金吾を抱きしめていると、滝の傷の具合を見ていた志乃があからさまに胡散臭そうな物でも見るような目で近づいてきた。なんでこう、黙ってると人形みたいなのに喋るとその辺の男どもよりも漢前なんだろうか。結局湯たんぽのような二人を取られてしまい、恨めしげに志乃を睨むしか手段はなかった。
「志乃先輩も、そのデレデレって言う顔…ウチの委員会以外の男が見たら可哀想なのでやめてください。七松先輩も、情けない顔しないでくださいよ。」
呆れたように滝の傷の手当てを始めた三之助が、地味な睨み合いをしている上二人にいい加減にしろ、という顔を寄こした。それに笑った志乃が、滝に振り返って宣言した。
「滝ちゃん。」
「…っ!!な、なんですか!?」
「保健室、行こ。」
差し出された手を、珍しく滝は払わなかった。
「滝夜叉丸先輩ずるいですー!!」
「志乃先輩、僕たちもそう呼んでくれないんですか?」
「んー?滝ちゃんだけなの。でも四郎兵衛も、金吾もぎゅーっとしたげるね。これでいいでしょ?」
「うーん…ちょっとずるい気もしますが、我慢します。」
「いいなぁ滝夜叉丸先輩。特別なんですって。」
「う、うるさい!!」
「全く素直じゃないなぁ、滝ちゃん先輩は。」
「三之助ぇ!!お前が言うと何かが減るから言うな!!」
「…それでお前ら、楽しそうなのはいいけど。」
滝と手を握ったままちみっこい二人とじゃれている志乃、志乃に手を握られたまま、三之助に手当てされている滝、滝の手当てをしながら上二人ををからかう三之助。下二人は楽しそうにケラケラ笑ってて。全く心底楽しそうにしてるのはいいけど、私から突っ込まれるくらい、本筋が逸れてるぞ。
「そうだ、なんでこんな満身創痍なのにわざわざ委員会に来たの?」
「そっ、それは、ですね…マラソンが!!」
「今さらそのネタは使えませんよぉ。」
「そうですそうです、ほんとのところを教えてください!!」
「金吾も四郎兵衛も、二人して先輩側につかなくてもいいじゃないか…」
「駄目です、僕も滝夜叉丸先輩の怪我が心配なんですから。」
「そうですよ、早く手当てしてもらいましょうね。」
「で、早く吐いて下さいよ。ほら、楽になりますよー?」
「三之助って、拷問上手そうだよね…私、捕まらないようにしよーっと。」
「ちょっと、ちびがいるんですからそういう印象を植え付けないでくださいよ!!」
「次屋先輩こわーい。」
「こわーい。」
「………ぐれてやる。」
「ごめんってば三之助!!それで滝?ちゃんとした理由じゃないと、七松先輩にかついででも連れてってもらうからね。もしくは私が姫抱きしちゃうよ。」
滝を俵のように担ぐのは全く問題ないけど、志乃が滝を姫抱きにするのは…面白すぎてこんど委員長命令でさせよう。志乃の発言に観念したのか、滝がポツリと言葉を吐いた。
「誕生日、だから。」
「「「「「は?」」」」」
「だから、志乃先輩の誕生日だから!!」
「え?え?」
「あ、すっかり忘れてた。志乃おめでとー!!」
「まじっすか?えーと何歳ですか?とにかくめでたいっすねぇ。」
「先輩おめでとうございます!!」
「なんで言ってくれなかったんですかぁ?おめでとうって一番に言いに言ったのに。」
「わ、忘れてた…そっか、今日誕生日だった。」
本当に驚いているらしい志乃(志乃が目を丸くしている姿は本当に珍しいのだ。)を囲んで、とにかくみんなでおめでとうおめでとう、といいまくって囃したてた。
「滝ちゃん、覚えてくれてたの?」
「先輩が自分の誕生日を忘れるのは、毎年のことですから。私ぐらい、覚えてないと駄目でしょう?」
「…っ滝ちゃーん!!大好きすぎる!!」
「うわぁっ…」
突然飛びついた志乃を、滝は少したじろぎながらもしっかり抱きとめて、照れながらも胸の合わせから何かを取りだした。
「これ、先輩に。」
「滝が取って来てくれたの?」
「本当は、もっと先輩の喜びそうなものを渡したかったんですけど…思いつかなかったので。」
滝が渡したのは、一輪の真っ青な矢車草だった。
「私が矢車草好きって、覚えててくれたの?」
「私が先輩にあげたもので一番喜んでくれたのが、これだったので。」
「取ってくるの大変だったでしょう?」
「ぜんっぜん!!」
あの誰に何を言われても、何をされても滅多に泣かない志乃が今にも泣きそうになるのは、絶対ウチ絡みって決まってる。志乃も気づいたんだ。滝がこんなにぼろぼろなのは、授業の実習のせいだけじゃない。深山の谷合に自生することの多い矢車草だ。今の時期に見つけて、摘んでくるには大変だったに違いない。随分昔、まだまだ私たちが下級生だった頃。裏山での委員会中にたまたま矢車草の群生地に行きついたことがある。その時の志乃の喜びっぷりを、滝は覚えていたんだろう。
「ありがと、ありがとう滝。」
「花一輪で泣きそうになるなんて、志乃先輩も簡単ですね。」
「滝が突然こんなことするからいけないんでしょ!!もう、保健室まで強制連行してやる!!」
「え、ちょ、ちょっとちょっと降ろしてください!!やーめーれー!!」
真っ赤になった志乃は、そのまま勢いで滝を姫抱きにすると超高速で保健室まで走り去って行った。
「なんだかんだいって、あの二人は仲良しですよね。」
「いいなー、志乃先輩って僕たちのことも可愛がってくれますけど…」
「滝夜叉丸先輩はまた別格って感じですよね。」
「うーん、お前らのこともすーごい可愛がってるし大事にしてると思うぞ?滝は、あれだ。初めての後輩だから。」
「ちょびっとだけやきもち焼きます。」
「ぼーくも。」「そんなこと言ってないで、私たちも追いかけるぞ。」
「今日はマラソン止めましょうね?」
「先輩のお祝いしないと!!」
「よし、そうとなったら先に準備して待ってるか!!」
「「はーい!!」」
「三之助も、返事!!」
「うっす。」
***
矢車草の花言葉を、私は珍しく知っている。ずっと前に、図書室で調べたことがある。確か、「優雅、幸福、繊細」そして、「あなたを信じます」。
志乃が、好きだと言ったから。似合わない場所で益々似合わない本を開いたんだった。懐かしいな、今とは違う緑色の制服の私。
志乃は、気づいただろうか。滝がどんな思いを込めてあの花を一輪、大切に渡したかを。
「それで、あなたは何をしているんですか。」
「志乃せんぱぁ〜い!!」
「せんぱいせんぱい、ほらこれのんでください、おいいしいれすよ!!」
「いやー、甘酒のつもりだったんだけどなぁ。」
「この匂い、どう考えても度数の強い冷酒じゃないですか!!」
「うーん…えへ。」
「可愛くないって言ってるでしょうが!!滝、滝飲んじゃ駄目だよ、ってあぁー!!」
「さんのすけ、これうまいなぁ!!」
「でしょでしょ?うまいれすよね、ななまつせんぱいどーもーってかんじれす!!」
「「「「あはははははははっは」」」」
「あーあー、四郎兵衛、寝ちゃった…金吾、お水飲みなさい。ほら。」
「三之助と滝は大丈夫だろう。」
「大丈夫なのはわかってますよ…もう、なんで最後の最後でこういうことするんですか!!」
「ま、たまには二人で話そうよ。」
「五年も一緒にいて、今さら話すことなんてないですよ。」
「志乃も可愛くないなぁ。」
「先輩の前で可愛い振りしても、全然効果ないって知ってますからね。」
「やっぱり?それにしても誕生日、おめでとう。」
「どうも、ありがとうございます。」
部屋に花を飾りに行った志乃が来る前に滝に酒を飲ませたら、こんなことを言っていた。
『さっき、先輩が抱きついてきたとき。』
『ん?あー、いいなぁ私も志乃に抱きつかれたいよ。』
『七松先輩…志乃先輩、軽くって華奢で、なんだから、少し悲しくなりました。』
『それは、しょうがないことだよ。それでも滝にとって志乃はいつまでたっても姉のようなものだろう?』
『そう、ですね。なんだかお互い年を重ねたんだな、と思いました。』
『ほら、感傷に浸る暇があったら飲め!!』
時間が過ぎるのは、早い。それでも一緒に酒が飲めるくらいお互い成長したこと、この年までどちらも学園に留まれたこと、そのことが嬉しくてその夜酔いが回るのがはやかったことは内緒にしておこう。年を重ねることは怖くなんてないって、あいつらにもちゃんと教えてやんなくちゃな。
※15000のお礼で書いた話です。相互様の咲喜ちゃんから頂いたリクエストでした。
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