望みの彼方、光年先
普段は静かな真昼の森の中も、特別に喧騒に包まれる理由が発生する時があるけれど、それでもこの一画だけは静かなままだった。今日は二か月振りにくノ一と合同の演習が行われていた。籤で二人一組となるまではいつも通り、今回の目的は、あらゆる手段を使って渡された札を他の相手の組からより多く奪い取るというものだった。単純で素朴、そして粗野で暴力的。わかりやすい授業内容に、言い渡された時は少しだけうんざりした。
それでも常ならば、この場には緊迫した空気と、ピンと張りつめた集中力を保たせていなければならなかった。高学年の演習とは、特に彼女たちと組まなければならない場合は普段に増してでもピリピリとしているものだし、そう自然となるものだからだ。
と言うのは、俺を除いた級友たちの論。
「陰謀だよね。」
「異論なし。」
どうして俺がこの特殊な演習中でも寛いで、というと言いすぎかもしれないが、割と自然体を装っていられているかというと、相手が相手だからだ。
「久々知くん、組みやすいけどさすがに飽きてきたというか…」
「一回くらい他の誰かと組んでみたいよな。」
それもこれも前々回、前回に引き続き、結城志乃が相方だからだ。籤で決めているとは言え、三郎が言う通り、誰かがわざとこういう組を作れるようにしているんじゃないだろうか。そもそもいくら彼女の能力が高いと言っても、同じ相手と組まされていたんじゃ経験を積むという意味で勉強にはならない。確かに、組みやすさはずば抜けているからある程度ためにはなるし、毎度判定は良いものだから楽だ。
「札、いくつ集めたっけ。」
「七つ。」
お互いに他の組に見つからないように気配を殺しつつ、木の上で背中越しに陣取っているものだから、顔は見えない。思えば俺たちの関係もこういうものだろう。勉強を抜きにした結城のことと言えば、知っていることはそれほど多くない。ただ忍たまの中には見た目に騙されて憧れている奴も多いけど、俺はさすがに演習で何回も当たっているわけで、中身も見えてきているから一緒にいてもなんとも思わない程度には知っている。
「…暇だね。」
「…暇だな。」
「お菓子持ってるんだけど食べる?」
「え、豆腐持ってきた?」
「君さ、豆腐って言わなければそれなりにかっこいいんだって自覚したら?」
「え、豆腐について知りたい?」
「 豆乳ぶっかけられたいの?」
「え、してくれるのか?」
恐らく、人形みたいな顔を盛大に歪ませているんだろう。一人で笑っていたら、千代紙に包まれた金平糖が投げつけられた。俺の知っている結城は、馬鹿な六年生に夜這いをかけられる程度には美人で、その頭の足りない男を再起不能寸前にする程度には強く、翌日に朝から涼しい顔をして味噌汁のお代りをする程度に愉快な性格をしている。くノ一の中では割と親しいし、人間として親近感も持てるし、正直見た目と違って男っぽいところが一緒にいて楽だ。
「ところで。結城ってやっぱり七松先輩と付き合ってるのか?」
「久々知くん、睫毛抜かれたい?」
「悪い悪い。噂で聞いたんだ。」
「出所潰しに帰っていいかなー。そもそもやっぱりってなんだ、やっぱりって。」
「時間まで後少しだから我慢。ちなみにうちの級長から聞いた。」
「それなら、明日からい組の委員長は久々知くんが兼任したらどうかな。」
「…面倒だから適当に生かしておいて。」
何より、委員会のことになると(特に委員長の七松先輩が絡むと)人が変わったようになるところが好きだ。唯一からかえる話題だからかもしれないけれど。反対側で疲れたように息を吐いている結城の姿が目に浮かぶ。でも実際、浮ついた話のたたない結城の相手は結局七松先輩なんじゃないかと、割と誰もが思っている。
「七松先輩との関係をそう邪推されるのがなによりも耐えられない…」
「少しも好きじゃないのか?」
「恋愛感情はない。というか持てない。」
「七松先輩、頼りになると思うけど。」
「あの人の暴君振りを、五年も側で見続ければそうは言えないと思うよ。」
「そんな酷いのか?」
「初めての委員会の時に、おもいっきり抱きつかれて呼吸困難に陥った。」
「…わー激しい。」
「二年の時、滝と一緒に二人で抱えられて何故か川に投げ入れられた。水遊びのつもりだったみたいだけど。」
「やることが豪快でいいな。男らしい。」
「…三年の時、裏山にマラソンに行く予定が途中で熊退治に変更されてた。」
「当時の、委員長は…?」
「去年、予算会議の最終兵器は結城志乃だ、って言われて潮江先輩と戦わされた。」
「これって笑っていいところなのか?」
確かに、こんな人間離れした目に合わなければならない要因を作り出す先輩と、噂をたてられたら頭を抱えたくなるのかもしれない。それでも想像するのは外野の特権だ。七松先輩は、七松先輩で、いろんな噂のある人だからこんなことになるんだろう。先輩に関しては本命がきちんといて、後はただのお遊びなんじゃないかというのが周囲の見解だ。これは俺も含んでいるけど。その本命が結城なのかそうじゃないのかは結局、みんなどうでもいいんだろう。そういう下世話な噂をする人間には、どこか結城のことを貶めたいというせこい感情がある。美人が世渡り上手なんて論理、まかり通っていたらよっぽど世間はおめでたい。
「久々知くんこそ、あんまりくノ一教室の子、泣かせないでよね。慰めるの大変なんだから。」
「やっぱり皺寄せって結城辺りにいってたんだ。」
「そういうこと。頼むからほどほどにいい子選んでよ。そしたらみんな諦めるし、私は睡眠時間が確保できる。」
「結城のそういうさばさばしてるところ、けっこう好きだ。」
「切実なんだってば…」
「じゃあ結城が付き合ってくれる?」
「じゃあってなにじゃあって。最近久々知くん私に気兼ねなさすぎ。」
俺と結城は、どこかで嫌いあっている部分と好きあっている部分がある。つまり、同族嫌悪で見たくない自分を見せられている部分と、似た者同士で気が許せる部分。ずっと一緒には居られないし居たくもないけど、たまに居ると居心地がよくなれる相手。そういう意味でも忍たまとくノ一という立場はちょうどよかったんだと思う。たまにしか関わり合いのない相手。だから時々、言えば怒るようなことを聞きたくも言いたくもなる。陰で噂を言わない分、俺は本人に直接言えてしまう。
「結城ってどんな男に魅かれる?」
ちょうどその時なった集合の合図の笛の音のせいで聞こえなかったのか、聞かない振りをしたのか、さっさと一人木を降りてしまった結城は、集合場所へと歩みはじめてしまった。こんな質問をしておきながらも俺は、彼女のことを恋愛対象としては見たことがない。でも一人の人間としては興味がある。同学年の忍たまにも勝ってしまう、すでに城からのスカウトも来ているというくノ一に対して興味を抱かない方がおかしい。だからわざと怒らせるようなことをいって試してみたりもする。
「久々知くん、もし今回も私たちの組が一番だったら、今日の夕飯の冷や奴あげるよ。」
「貰う。」
でも、成功したことはない。隣を歩く彼女は何をいっても最後にはやっぱり微笑んでいる。動揺もしないし怒りもしない。ただ、悲しんでいるところも心底楽しそうに笑っているところも俺は見たことがない。
だから益々わからなくなるばかりだ。
なんとなく思うことは、例えば俺みたいな中途半端に興味を持っている人間が適当に踏み込んでいくよりは、もっとずっと、深く理解してくれる存在がそっと近づいていくのが一番いいんだろう。だから、そういう存在がいるっていうことに、お互いが気づけばいいんだ。中途半端な奴が頑張ろうとする前に、気づいてしまえばいいんだ。そんな風に誰にでも。俺にも微笑む前に。
「質問の答えだけど、笑顔の人が好きだよ私。」
「…ふーん、案外、普通。」
「だから久々知くんも笑ってくれたら楽しい。」
「笑ったら付き合う?」
「豆腐の角に頭ぶつけてきたら嬉しい。」
あー。彼女は、誰だったら笑うんだろう。豪快に、口をあけて目元には涙まで浮かべて。誰の前だったら、心を許すんだろう。
悔しいから、どうせなら俺の知らない誰かであってほしい。俺の前から綺麗さっぱりいなくなってから、そんな風に笑えるようになればいいんだ。
*似た者同士の話し。がしかし、まるで久々知の片思いじゃないですか、なぜだ。そんな予定はないのに…そしてどこかにも書きましたが、七松の彼女は小悪魔美人。そこだけは譲れない!!同学年の忍たまたちにはいろんな意味で憧れられたり煙たがられている主人公です。
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