彼女の一言を聞いたとき、俺の心臓は大きく跳ねた。






「土門飛鳥、だな。うん、良い名前だ、」
『はい、どーも』
「まぁ、前の中学がどうだったかは知らないけど、此処は比較的ゆるいから、」
『…』
「すぐ馴染めるだろう」

ははは、と笑った担任、であろう教師にへらりと笑い返す。この学校には馴染めなくて良い、あくまでスパイが目的だからね。この人も校長先生も、純粋そうだなぁ。ま、その方が見抜かれないで…って教師は生徒を疑わないか。廊下には登校したばかりの生徒たちがちらりと此方を見ながら通り過ぎて行く。…なんでドア、開いてんの?

「そろそろホームルームか、」

先生が時計を見て言う。行くのか、よし、ゆるく、ゆるく。

「悪い、先生これからすぐ出張なんだ」
『…え!?』
「副担任の先生は…もう教室行っちゃっただろうなぁ」
『え!?』

困ったように笑う先生。廊下をきょろきょろ見渡す。

「おお、井上。ちょうど良いところに!ちょっと来い!」
「えー遅刻しちゃーう」
「今行ったってもう遅刻だろ!先生には俺が言っておく」

会話しながら入ってきたのは女子生徒だった。胸くらいまである黒髪で、スカートは少し短い。

「お前、スカート短いな」
「いやいや、規定通りですよ。ほら」
「…ギリギリじゃないか」
「でもセーフです。……それで、何ですか?」
「ああ、」

こいつ、と言って先生が俺の肩に手を置いた。女子生徒がくるりと此方を向いた。無表情ながらにその顏には若干の威圧感があった。取り敢えずへらりと笑っておく。

「…転校生、?」
『ああ、はい』

よろしくね、とにっこり笑った顏は美人で、いや無表情でも充分美人だったけど、ドキッとした。やっべ、好みかも。よろしく、と返すとうん、と微笑んで先生の方を向いた。

「で、転校生がどうしたんですか?」
「そうそう、俺、すぐ出張行かなきゃいけないんだよ」
「え、副担の…えーっと…」
「もう教室に向かっているだろう」
「転校生放置で?」
「……色々とすまん。出張なのを朝学校で思い出したんだ」
「なにそれこわい。……で?」
「で、お前に教室まで案内してもらおうと」
「…おおう」
「良いだろ、お前も転校生なんだから」

で、クラスは…と説明している先生。この人、転校生?だった、のか?……それにしても、この学校緩すぎだな…こんなんで良いのか?「…くーん、土門くーん」はっとして声のした方を向くとその女子生徒がすぐ近くにきていた。

『…ッ!…は、い』
「じゃあ教室まで私が案内するから。行こッ」

それから彼女は行ってきまぁすと先生に言って校長室を出た。小さく失礼しました、と言って俺も小走りで校長室を出る。「自己紹介まだだったよね、3年の井上まゆこです、よろしくね。君の名前とクラスは先生から聞いたから」と彼女…井上先輩は笑顔で言った。俺は取り敢えずああ、とだけ返した。それから先輩は通りかかる教室のひとつひとつを丁寧に説明してくれた。

「で、此処が学習室。……まぁいきなりこんなに覚えきれないよね。あ、何か聞きたいこととか、ある?」
『あ、あの、さっき先生が先輩転校生って』
「ああ、二年生の三学期くらいに沖縄から来たの。」
『沖縄、すか』
「うん、どうせ進むならこっちの高校に進みたくて。色々調べて雷門に決めたんだぁ」
『へぇ、でもあんま沖縄の人っぽくないすね。肌真っ白だし、訛りもないし』
「そう?まぁ、親が沖縄の人って訳じゃないからねぇ」

なるほど、と返すと先輩は、あ、此処だよと教室を指差した。確かに。ドアの前には副担任らしき人物が申し訳なさそうに立っていた。先輩にお礼を言おうとすると腕を引っ張られた。耳元に先輩が手を近付けた。近い…!!

「それじゃぁ、スパイ活動頑張ってね。帝国学園サッカー部DFくんッ!なんて」

彼女が小声で言ったその一言で背筋が凍る。え、なんで知って、ん、だよ、誰にも知られてねぇ筈だったんだぞ!?誰かが密告か…?でも何でわざわざあの人に…?あの人、サッカー部のマネージャー、とかじゃ…ッ…!「じゃぁね、また今度ー!」と彼女は笑顔で走り出した。副担任の人が何か言っているような気がするけどそれ所じゃない。頭ン中はぐちゃぐちゃだし心臓はバクバク言ってるし汗も垂れてきた。それから俺がどんな自己紹介したかとか、席とか、授業内容とか、一切思い出せない。俺の頭には先輩が放った一言が離れなかった。





鬼道さん、スパイ失敗かもしれません。

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