静帝
ふわふわと、空をたゆたう綿毛のように、この心は引き寄せられた。
3月21日は春分の日。国民の祝日だ。
しかし静雄はいつものように、池袋のそこかしこで取り立てをしていた。元々、平日は仕事、週末は休日といった一般的な労働サイクルではないので、珍しいことでもない。
「よし、もういいぞ静雄ー。今日は次で終わりだな」
「うっす」
トムの言葉と共に掴んでいた襟首を離した。甲高い悲鳴を上げた男は一刻も早く逃げたいだろうにずるずるとその場に座り込む。腰が抜けたか。しかし、金さえ払えばトムや静雄にはどうでもいいことだ。
スラックスのポケットに手を突っ込んだ静雄は歩き出したトムに従い、本日最後の仕事場へと向う。人ごみの中でふと目に入ったのは、静雄と懇意にしている少年だった。
足を止めた静雄にトムが首を傾げたが、その視線の先にある少年を見て一つ頷いた。静雄にそこで待つと伝え、トムは少し離れた場所で壁に背を預けた。足元には一つの鉢がある。マダガスカル・ジャスミンと書かれた小さなプレートが刺さっただけの小さな鉢だった。
「静雄さん!」
「おう。帝人か」
声をかける前に、静雄に気づいた帝人が駆け寄ってきた。ふわりと笑う少年に、静雄が、さも今気づきましたというポーズを取ったのはなんとなく照れくさかったからだ。
「おめでとう」
「え?」
「誕生日だろ、今日」
こくこくと懸命に頭を振る帝人は小動物のようで微笑ましい。静雄はポケットから出した手でくしゃりと頭を撫でた。そっと、口の中で音を転がした。
「お前が大人になったら……」
「静雄さん? 何か言いましたか?」
「何でもねぇよ」
そうですか、と言いながら首を傾げる帝人はいつもと変わらない。
愛していると攫ってしまおうか。伝わらなかった音は空気に溶けて、静雄の中に逆戻り。それでも静雄は目を細めて笑った。
君は許してくれるだろうか
(それはただの逃避行だと後ろ指を指されても)
マダカスカル・ジャスミン(清純、二人で遠くへ旅を)
門帝
「サクラランって知ってるか?」
本を読んでいた門田が急に声を発した。
穏やかな昼下がり。門田の部屋で微睡む午後は程よい温度で、帝人を夢の国へと誘う。ふわ、と欠伸を零して帝人は口を開いた。
「それって桜ですか、やっぱり蘭ですか?」
「どっちも外れだな」
「ややこしいですね」
「俺もそう思った」
沈黙の中を漂う気持ち良さも、意味のない会話も帝人は好きだった。けれど、いつもと違った語り口で話を進める門田にタイミングが掴めずにいた。
帝人はぼんやり窓の外を眺めながら、ちらりと横目で門田を盗み見る。視線は本に注がれたままだ。それが何だか気に食わなくて声が少し尖る。
「……で、それがどうかしたんですか?」
「花が桜に似てて、蔓が蘭に似てるらしい。だからサクラランなんだと」
「へぇ、そうなんですか」
花の説明をし終えた門田が満足げに帝人に笑いかけた。目が合ってどきりとする。
「見たことあるか?」
「さぁ、花は詳しくないですから見たことがあるかもしれませんし、ないかもしれません」
「じゃあ一緒に見に行くか」
門田は本を閉じると帝人の傍にやって来た。
「何でそんなに見たいんです?」
「だってお前の誕生花だし」
「へ?」
「誕生日おめでとう」
おどき目を丸くした帝人を見て、門田はしてやったりと笑う。
(なんだ忘れてたわけじゃないのか)
ありがとうございます、と帝人は破顔した。
砂糖菓子みたい
(人生の出発の日は貴方の愛に包まれて)
サクララン(人生の出発、同感、満足、愛情)
赤帝
「えっと、赤林さんこれは…?」
帝人は困惑しながら目の前に差し出された真っ赤な花を見た。
赤い、紅い、アネモネが一輪。
「誕生日だって聞いたからお祝いに」
「あ、ありがとうございます」
へらりと笑う赤林から帝人は花を受け取った。誕生日プレゼントだと言われてしまえばそれを貰わない理由はない。
「赤林さんの花ですね」
「赤いからかい?」
「それもありますけど」
(だってこの花、血から産まれたんですよ)
美少年アドニスが流した血から産まれた花、アネモネ。
ギリシア神話を赤林が知っているとは思わない。だから帝人は説明せずににこりと笑ったのだ。そうすれば深入りして理由を聞く人じゃないことを知っていた。
案の定、赤林は次の話題を振ってくれる。
「アネモネの花言葉は知ってるかい?」
帝人は首を横に振った。
「色々あるけどねぇ、はかない恋、真実、君を愛すとか」
「そうなんですか」
「でもね、おいちゃんが君に贈る花言葉はねぇ」
嫉妬の為の無実の犠牲
(嫉妬なんてさせてくれるな)
アネモネ(はかない恋、真実、期待、あなたを愛します、信じる)
後書き
ちなみにアネモネだけは3月13日の誕生花です。マダガスカル・ジャスミンとサクラランは3月21日の誕生花。
そんな感じでハッピーバースディ帝人!どれもこれも甘くないけど、こればっかりは仕方ない。書けないんだから!
おめでとう帝人!ごめんね帝人!今年も可愛い君が大好きだよ!
2011/03/21