珍しく定時に仕事を片付けた静雄は家で一人、缶酎ハイを片手にテレビを見ていた。何とは無しにバラエティ番組を見るが、最近の流行りは分からない。以前見たときはお笑いブームの絶頂期で芸人ばかりだったが最近はそうでもないだろうか。シーズン毎に代わる顔ぶれに見覚えのある顔は少ない。
結局、静雄にとってテレビはその程度なのだ。弟が出る番組くらいはチェックするが、特に贔屓にしている番組やアナウンサーはいない。ただ、耐え難い静寂を紛らわせるのにこれ以上のものはないだろう。
何が面白いのか小さな箱の住人たちは皆一様に大きな口を開けて笑っている。それを見ながら何の感慨もなしにアルコールを流し込んだ。空になった缶をテーブルに上に置く。
「……寒い」
思わず口をついた言葉に身体を震わせた。酒を飲んで火照った身体に冷えた空気は丁度いい。けれど、物理的ではない寒さが身に染みた。
アイツは今、どうしているだろう。ふとしたときに考えるのは、昨日この部屋にいた幼い恋人のことだった。
誕生日だからと夜にやって来た帝人に静雄は照れくさく思いながらも素直に喜んだ。
二十歳を過ぎた頃から誕生日に有り難みなどなかった。家族と上司が祝いの言葉をくれるだけで、普段とあまり変わらない。特別と言えば、弟がプレゼントだと買ってきてくれるケーキくらいか。甘いものが好きな自分のために用意してくれるケーキは年に一度ということもあって少し高級な贅沢品だ。静雄は知らないが有名なパティシエが作るケーキはいつだって美味しかった。
それが例年の誕生日。だからこそ恋人と過ごした今年の誕生日は特別だった。
テーブルには自分の好物ばかりが並び、それを作った恋人は目の前で微笑んでいる。弟からもらったケーキを一緒に食べて、風呂に入ってベッドに入ってそれから……――。
昨夜のことを思い出して一人赤面する。なんとなく座りが悪くてもぞもぞと身じろいだ。
普段の日常に少しプラスされた特別がやけに温かくて心地好くて、気恥ずかしかった。たったそれだけのことで幸せを感じる。
しかし今は、昨日と今日のギャップに耐え兼ねていた。
普段あまり飲まない酒に手を伸ばしたのは、どうしようもないほど居心地の悪さを感じていたからだ。昨夜の出来事がクリアに頭の中で再生されて、その度に今隣にいない温もりに落胆する。あえて言葉にするなら寂しいというのが適切かもしれない。自分にそんな感情があったのかと驚いたのはここだけの話だ。
酒を飲んでとっとと寝てしまおうと思っていたのに、寒さばかりが強調されたのは誤算だった。狙っていた眠気はない。このままでは凍死してしまいそうだ。そこまで考えて静雄は苦笑した。どうやら相当酔っているらしい。買ってきた酒はまだ残っているが、今日はこの辺で止めておこうか。
そうなると途端にすることがなくなってしまった。つけっぱなしだったテレビを見れば、いつの間にかニュースになっていて、政治家の失態やら明日の天気やらを伝えている。何が面白いのかは知らないが朝から晩まで同じ政治家の同じ失言を繰り返し流しているだけのニュースを誰が見るのだろうか。否、日に一度しかニュースを見ない人間からするとそうでもしないと情報を手に入れられないのかもしれない。しかし静雄には全く関係のないことだ。面白くもないニュースに痺れを切らしてチャンネルを回すがどこもニュースばかりで電源を落とした。静かな部屋が更に静かになる。
ふとテーブルの上に置いていた携帯が目についた。瞬間、頭を過ぎった考えに苦笑する。
一つ歳を重ねて、自分は少しだけ退化したのではないかと静雄は思った。
携帯を手に取る。自分は酔っているのだと誰にでもなく言い訳をして、掛けなれた番号で相手を呼び出した。きっとまだ起きているはずだ。耳に届く無機質な呼び出し音が長く続くだけ、静雄の心臓は駆け足になる。不意に途切れたそれに、一拍の空白。そして息を吸い込む音がして、待ち焦がれた声がした。
『……もしもし』
「遅くに悪ぃ。……今、大丈夫か?」
『はい、大丈夫ですよ』
少しだけ掠れた眠たげな声に、悪いことをしたと思った。もしかしたら既に寝る布団に入って寝ようとしていたのかもしれない。けれど、先ほどまで感じていた寒さはなくなった。
『どうしたんですか?』
「いや、別に……」
何でもないと続けた静雄に帝人が笑った。
『変な静雄さん』
たったそれだけのことで、どうしてこんなにも心が落ち着くのだろう。静雄は目を閉じて恋人の声に集中する。
「昨日はありがとな」
『それ、昨日もたくさん言われました』
「また言いたくなったんだ」
『……静雄さん』
彼の声音から、眉尻を下げて笑っているのが容易に想像できた。そして思う。どうして今、目の前にいないのだろう。触れたいと思うのに手を伸ばしてもそこに彼はいない。
『明日』
「ん?」
『明日、会えませんか? 急に会いたくなりました』
駄目ですかと伺う声が少し震えていて思わず息を飲んだ。
「駄目じゃない」
『じゃあ……』
「夜、仕事が終わったらメールするから」
『はい、待ってます』
それからいくつか言葉を交わして携帯は切れた。
簡単なことだった。そうか、初めから言えばよかったのだ。会いたくなったと、素直に。優しい彼ならきっと困ったように笑いながら、それでも自分のわがままを許してくれるはずだから。
年上だからと知らず気を張っていた自分に気付いて静雄は携帯を握り締める。帝人の方がよっぽど懐が深いのではないだろうか。しかしそれでいいと思った。自分の代わりに帝人が素直であればいい。それが自分の甘えで、許された特権なのだ。
携帯が震えた。メールだ。
『言い忘れました。おやすみなさい。』
それだけの短いメールに頬が緩む。おやすみと簡単に返して、静雄は目を閉じた。
(君の優しさと自分の幼さに)
* * * * *
1日遅れですが、シズちゃん誕生日おめでとう!
誕生日の翌日で申し訳ない。どうしてこうなったのか、私にも分かりません←
2011/01/29