01.


 もううんざりだ。無言の圧力を受けながら息苦しい思いで生活するのは。一人で自由に暮らしい。
 一人暮らしがしたいと言ったら、両親は今までに見たこともないような笑顔で要求を快諾し、高校生の自分が持つには十分すぎるほどの金額が入った通帳を渡してきた。
 母親とは血が繋がっていないし、以前から僕を不気味がっていた父親とは最近目も合わせていなかった。傍から見ても自分が邪魔だと言われているのは一目瞭然であったので、要求は案外簡単に実現することができるようである。

 もう一生戻ってこないつもりで、骸は十数年住んだ家を後にした。

「金はあっても、住む場所がないんですよねぇ…」

 骸は不動産屋を片っ端から当たっていた。しかしなかなかいい物件は見つからない。なるべくなら駅まで徒歩で行ける距離で、風呂が大きく日当たりのよい部屋。そんな好条件の物件がそうそうあるはずもなく、骸は何度目かのため息を吐いた。
 思い立ったら即行動。少しでも早く家を出たい一心で出てきてしまったが、もし部屋が決まらなかったら今日はホテルか、もしくは数える程しかいない友人の家に世話になるか。


「おいおい、こんな真っ昼間から辛気臭せえ野郎だな」

 心地よい低めの声が掛けられ、その口の悪さに眉をしかめつつ振り返る。そこには真っ黒なスーツを全身に纏い、目元を隠すようにボルサリーノを深く被った「いかにも」な男が立っていた。白昼の往来で目立つその長身の男は、ニヒルな笑みを浮かべて此方を見ている。
 なんというか、勘弁してくれ。

「何か用ですか。僕が辛気臭いと貴方に迷惑でも?」
「いや、ただ──」

 男は一層口元の笑みを深くして言った。

「助けてやろうかと思ってな」
「は?」
「部屋、探してるんだろ?」

 なぜ知っている。
 怪しすぎる言動を訝しむように睨み返すと、男は苦笑しながら「付いて来い」と言った。
 果たして付いて行っていいものかと決めかねていると、早くしろと呼ぶ声が聞こえた。骸は仕方なく少し前を歩いている男と一定の距離を保ちつつ後を追った。
 歩いて数分の所に小洒落た建物が見え、男がボルサリーノを外しながら中に入っていくのを確認して後に続いた。

「適当に座っていてくれ」
「はあ…」

 勧められるがままに黒い革張りのソファに腰を下ろした。建物内は落ち着いた雰囲気を醸し出していている。どうやらここが仕事場のようだ。分厚いファイルや本などか本棚に綺麗に納められていた。

「お前にいい物件を紹介してやる」

 コーヒーと何か資料らしきものを持って向かいのソファに腰を下ろした男は、ニヤリと笑いながら言った。

「あの、いきなり訳が分からないんですが……怪しいですし……」
「はっきり言うな。俺は不動産屋だ」
「……世も末ですね」

 こんな堅気とは程遠そうな見た目の人間が不動産屋とは笑わせる。胡散臭いにも程があるだろう。

「わざわざこんな怪しい所で紹介して頂かなくても結構です」
「は、いいのか? 部屋、見つからないんだろう?」
「結構です」

 男はなおも口元に笑みを貼り付かせたまま自分の分のブラックコーヒーを口に含み、一呼吸置いてから口を開いた。

「駅から徒歩六分、冷暖房完備、家具は備え付け、日当たりのいい個室に成人男性が足を伸ばしても余裕な大きさの風呂、家賃は五万だ」
「……おちょくってるんですか」
「いや? 至って真面目だが?」
「そんな上手い物件があるはずないでしょうが」
「見るだけでも見てみたらどうだ?」

 男が広げた資料を胡散臭そうに眺め、そんな好条件で五万な訳が無いだろうと半ば呆れながらコーヒーに手を伸ばす。
 ミルクはないか、とは流石に聞けなかった。


「……まあ、とりあえず見るだけなら」

 実際問題、早く部屋を決めてしまいたいのは事実であるし、もし本当にその条件で良い物件ならば検討してみるのもいいかもしれない。
 勧めてくるのがこの怪しい男ということを差し引けば、なかなかにおいしい話ではある。

「よし、じゃあそれ飲んだら行くぞ。……ミルクを持ってくる」
「は?」
 なぜ分かった。
 どこまでも不思議な男だ。読心術でも使えるのだろうか。
 簡易キッチンのような場所へ消えていく男の背中見送り、骸は悶々とカップの中の黒い液体を見つめた。


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