ワンナイト・ワンラブ 2


 部屋の中は案外きれいに片付けられていて、白を基調としたものが多いが、センスの良い家具が置かれていた。そこには大きなスピーカーもあり、これが毎晩安眠を妨害していたのか、と何となく思った。
 同じ建物なのだから部屋の作りは同じの筈だが、家具のデザインや配置が違うだけで、全く別の場所に来た気分になる。失礼にならない程度に視線を巡らせていると、対面式のキッチンから顔を覗かせた白蘭に適当に座っているように言われ、ふかふかな白いソファーに腰掛けた。

「骸クン何か飲む? まあ酒はビールと酎ハイしかないけど」
「いえ、今日は飲んで来たので」
「あ、そうなの?」

 せっかく付き合ってもらおうと思ったのに、と不満気な声を漏らす姿はとても幼く見え、骸は苦笑まじりに「一本だけなら」と、酎ハイの缶を手に取った。
 本音を言うと今すぐにでも寝てしまいたいくらいに疲れていたが、泊めてもらう立場で先に寝てしまうのもどうかと思い、ゆっくりとしたペースで酒(と言うには随分甘すぎるが)を飲み込んだ。

 ソファーの空いている隣のスペースに腰を下ろした白蘭の手にも自分と同じデザインの缶が握られており、特に面白くもない番組が放送されているテレビ画面に視線を向けている。
 静かな部屋にはテレビの音と、缶の中で揺れる液体の音が響いていた。

「骸クンってさぁ」

 ポツリ、いきなり発せられた声に若干肩を揺らしながら声の主の方へ顔を向ける。

「瞳、綺麗だよね。飴みたいで美味しそう」
「はあ?」

 美味しそうとは何事か。いや、それ以前に骸は気になる事があった。

「気味が悪いと、思わないんですか?」
「何が?」
「この眼を……」

 今まで左右非対称のこの瞳を好奇の目で見られるという事が常だった。とりわけ右目の赤は、血みたいで気味が悪いらしい。

「どうして? りんご飴みたいで綺麗だよ」
「……は」

 綺麗だなんて言われたのは初めてだ。それを余りにも自然に、当たり前のように言ってのけるから、此方を見ている白蘭の薄紫の瞳から目が逸らせなくなる。同時に顔に熱が集まっていくような気がして、骸はやっとの事で視線を落とした。無意味に酎ハイの缶のデザインを見つめ、微妙になってしまった空気を何とかしなければと思考を巡らせたが、全くいい話題が出てこない。

「骸クン」

 名前を呼ばれた驚きで一瞬肩が揺れ、次に白蘭の手が此方に伸びてくるのが目に入り、思わず顔を上げた。

「綺麗だよ、僕は好き」

 ドクン、と脈打つ感覚が全身に響いた。好き、だなんて、簡単に口にしないでほしい。何か言わなければと思うのに、口からは無意味な音しか出てこない。

「あ、の……」

 これ以上はまずい。心臓が警報のように鳴っている。自分を見つめる瞳に吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥った。

「初めて見た時から好きだったよ」
「――ッ」

 それはこの紅い瞳の事か、それとも自分の事なのか。動揺しているのはきっと伝わってしまっているんだろう。
 口をパクパクと動かしている骸にそっと微笑んで、白蘭は自身の右手を骸の頬に添えた。

 だんだん近づいてくる白蘭の整った顔を見ながら、頭では何が何だか分からなくなっていた。

 ――キスされる。

 どうにか一つの答えを導き出し、骸は渾身の力で覆い被さってくる自分より少し大きな体を押し返した。

「――っ何するんですか!」
「え、キス?」
「何もしない約束だった筈です!」
「骸クンが可愛いのがいけないんだよ! てかまだ何もしてないし!」
「そういう問題じゃない!」

 今すぐにでも部屋を出て行きたい所だが、それも叶わないこの状況で出来る事は、座っているソファーの出来るだけ隅に移動する事ぐらいだ。
 白蘭は反省する様子もなく、「あとちょっとだったのに」などと呟いている。

「ふざけるのも大概にして下さいよ」
「ふざけてないよ」

 今まで見たこともないような真剣な表情。普段のヘラヘラとした態度を全く感じさせないそれに、思わず口を噤む。

「骸クンが好き」

 ああ、もう。

 きっと顔は真っ赤だ。居たたまれない。そう思うのと同時に骸は立ち上がって走り出した。

「は? え、ちょ」

 困惑したような白蘭の声を背中で聞きながら、玄関付近にあるトイレに駆け込んで素早く鍵を閉めた。部屋の造りが同じで本当に良かった。

「骸クン!?」

 追いかけて来た白蘭が扉を叩いていたが聞こえないふりをして、その場にズルズル座り込む。

「朝までここから出ません」
「え……」
「何をされるか気が気でないので」
「何もしないよ!」
「もうその手にはのりません!」

 扉を叩く音すらも遮断する。もう絶対に騙されてなんかやらない。今出て行ったら駄目だ、何かが変わってしまうような、そんな気がしてならない。

「僕がトイレ行きたくなったらどうするのさ!」
「その辺で勝手にすればいいでしょう!」
「酷くないそれ!? ここ僕の家なんだけど!」

 もしまた白蘭に迫られたら、こんどこそ確実に流されてしまう。そんな変な自信がある。……駄目だろそれは。
 早く朝になれ!、と狭いトイレの中で願うしかなかった。



 結局半強制的に外へ連れ出され、白蘭にキスされるまであと数十分。


(2011/11/20)




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