6月9日


 別に祝って欲しかった訳ではない。と言えば嘘になるが、二十歳を過ぎて数年も経ついい大人がそんな事を言ったところで全く可愛くなんか無いのだ。
 壁に掛けられた時計はもうすぐ日付を変えようとしている。九日が終わる。
 骸は溜息を一つ吐きキッチンへと向かい冷やしておいた缶ビールを数本持ち出した。リビングにあるふかふかのソファに座って一缶目を開ける。ビールはあまり好きではないが、何だか飲みたい気分になったのだ。

 今日は骸の誕生日だった。朝いつも通りに起きて、顔を洗って、着替えて、朝食を食べて、メールが来ていないかチェックするために何気なく開いた携帯のディスプレイに表示されている日付を見て、今日が自分の誕生日であることを知った。
 メールフォルダには何通かのメールが届いており、それらの殆どが骸の生まれた日を祝う旨の内容だった。殆ど、と言うのは一部だけ祝いの言葉とはかけ離れた内容のメールだったからだ。
 ――誕生日だから特別に戦ってあげるよ。なんて、ありがたくも何とも無い。
 どうやら雲雀は誕生日と言うものを履き違えているらしい。今度会った時に誕生日が何たるかを教えてやらねば。
 そんなことを考えながら全てのメールを読み終え、ある事に気がついた。
 ――メールを寄越さないなんて、珍しい。

 普段ならしょうもない事でメールを送ってくるはずの白蘭からは、メールが届いていなかったのだ。別にメールをして欲しかったなどと言う乙女思考は持ち合わせていないが、自分達は一応付き合っていて、恋人という関係のはずだ。
 付き合っている期間は案外長く、確か去年の誕生日は一緒に過ごした。日付が変わると同時に家に上がり込んで来た白蘭は、満面の笑みで「おめでとう」といった。
 そう言う事があったから、今年も同じように祝ってくれるのではないかと、多少なりとも期待をしていたのだが。
 現実はどうだ。仮にも恋人の誕生日にメールの一つも寄越さないというのはどうだろうか。
 メールをしてこない代わりに会いにでも来るのかと思えば、それすらも無いではないか。もしかして入れ違いになったら、などとくだらない気遣いをして家にいたというのに、チャイムは一向に鳴らなかった。全く情けない話だ。

 ――もう今日が終わる。

 よく冷やされた缶の冷たさが手から伝わり、その冷ややかさが体中の熱を奪っていくような気がした。元々好きではないビールは更に苦味を増し、口内に広がる味はどこか虚しさを引き立たせた。

 祝ってもらおうとは思わない。そんなのは嘘だ。本当は一緒に居てほしかった。祝いのメールだとか、特別に何かをしてほしいだとか、プレゼントを貰いたいだとか、そんなことは望んでいない。ただ傍に、隣に居てくれるだけでも良かった。今日と言う日を一緒に過ごす事が出来たら、と。

 去年は感じなかった虚しさ。一人の誕生日なんて慣れていた筈だったのに。一度楽しい経験をしてしまえば自然と体はそれを求める。どうして来ないのか、なんて考えたくもなかった。

 ガチャガチャッ――

 自分以外誰も居ないはずの家なのに、聞こえてきたのは紛れも無く玄関の鍵を開錠する音だった。あまりの驚きに手に持っていたビールの缶を落としそうになったが、寸でのところでそれを防ぐ。
 呆然としたまま部屋の入り口の方へ目を向けているとゆっくりと扉が開き、見慣れた白髪が入ってきた。

「ハッピーバースデー骸クン!」

 両手を広げてそう叫ぶ白蘭は至極楽しそうだ。
 骸はそれを凝視したまま、自然と開いてしまった口をゆっくり閉じた。

「……覚えてたんですか? いや、それより鍵……」
「え? 何を? 鍵は合い鍵だけど」
「ああ……いや何をって、誕生日ですよ」
「やだなー、忘れる訳ないじゃん」

 そんなことはあり得ないとでもいうような言い方に、骸は思わず眉を潜めた。じゃあ何故もっと早く来なかったんだ。別に約束していた訳ではないが、覚えていたのなら電話でもメールでも、何でも良いからもっと早くに連絡をくれればよかったのに。
 思ったことを言ってやれば白蘭はごめんね、と一言謝り、こう言った。

「去年は九日の最初に祝ったから、今年は九日の終わりに祝おうかなって」
「はあ?」
「ほら、毎年一緒じゃつまらないかなって」

 あまりにも馬鹿馬鹿しい理由に拍子抜けしてしまい、間抜けな声が出てしまった。そんなに単純でくだらない理由だったのか。そんなことのために、自分は一人自棄酒のような真似までして、それこそ馬鹿みたいじゃないか。
 そんなこと彼が知るはずも無いのに、骸は羞恥のあまり、顔が熱くなるのが分かった。ああ、情けない。

「誕生日、忘れてるとでも思った?」

 優しく微笑みながら近くに寄り、骸の頭をポンポンと軽く叩きながら問う。その声色はどこまでも優しかった。

「別に……それならそれで、」

 良かった。つい思っても居ないことを口にしてしまうのはもう癖みたいなもので、素直になれないのはいつものことだ。いつだって、本音をさらけ出すのには大きな勇気が必要なのだ。

「驚かせたかったんだけど、ごめんね。でさ、お詫びって訳じゃないけど」

 そう言って白蘭は自身のポケットから何かを取り出した。

「骸クンが僕のものだって言う印と、骸クンが大好きだって言うキスと、プレゼントはどっちがいい?」

 ニヤニヤとしているこの男は自分にどちらを選ばせたいのだろうか。
 骸は赤くなっているであろう顔を見られないように白蘭の首に腕を回し、耳元に唇を寄せて呟いた。

「両方」

 次の瞬間、唇に振ってきた柔らかな感触を感じながら、隣に恋人が居る幸福をかみ締めた。


Happy Birthday MUKURO!
(2011/06/09)




 


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