つまりお見通しという事で


 無音。真夜中の暗闇ほど静かな空間は無いんじゃないかと錯覚するほど、この時間帯は静寂に包まれている。
 骸は暗闇に慣れてきた目で部屋の天井を見つめていた。そこに何かがあるわけではない。ただ眺めているだけだ。時々視線を壁に向けたり、カーテンが閉められている窓に向けたり、部屋の色々なところに目を向けながら、骸は何度目か分からない溜息を吐いた。
 眠りについてから約二時間程経ったが一向に睡魔はやって来なかった。いや、正確に言えば眠いのに眠れない。と言うのが正しいのだが。
 骸はゆっくり体を起こし、ベッドから降りた。日中は汗ばむような暑さだが、深夜になると何となく肌寒い。寝転んでいたせいで乱れてしまった長い髪の毛を片手で梳きながら、キッチンへと向かった。
 月に数回、何故だか眠れなくなる時があった。その日に何かがあったと言う訳では無く、それは何の前触れも無くやってくる。
 眠いのに、寝たいのに意識を手放せない。長い時間静かで暗い空間にいると途端に不安になり、落ち着かなくなる。ただじっとしているのすら辛く感じ、苦し紛れに視線をさ迷わせてみるのだが、それは更に不安感を引き立てるだけだった。

 薄暗い廊下をのろのろと歩いていると、キッチンへつながる扉の向こう側から淡い光が漏れているのが分かった。こんな時間に一体誰が、と一瞬思ったが考えられる人物は一人しか居ない。

「……起きたてたんですか」

 扉を開ければ食事をする時に使用しているテーブルに肘をつき、虚ろな目で呆けている白蘭の姿があった。思った事を口にすれば、一瞬驚いたような顔をして此方に顔を向けた。

「あれ、こんな時間にどうしたの?」
「ちょっと、眠れなくて……」
「一緒だね。僕も眠れないんだ」

 ――本当は眠いくせに。
 先ほどは今にも眠りに落ちそうな顔をしていたのに、眠れない訳が無い。分かってはいたが、あえて何も言わなかった。小さく「そうですか」とだけ返し、コンロの下の収納スペースから鍋を取り出し、冷蔵庫からは牛乳を出した。

「ココア作りますけど、いりますか?」
「うん、飲む」

 返事を聞いてから二人分の牛乳を鍋に入れて火にかける。食器棚からマグカップを二つ出し、日頃から愛飲しているココアの粉も一緒に取り出した。

「骸クン何かあったの?」

 火が鍋の中の液体を温めている音だけが響いていた空間に、突然違う音が響いた。その声に振り返れば、白蘭が少し心配そうな目でこちらを見ていた。慈愛の篭ったような色の目を向けられるのは、何だかくすぐったさをを覚える。

「別に、何も……」
「本当に?」
「ええ、ただ寝付けないだけです……眠いんですけどね」

 言いながら作り終えたココアをそっと置く。自分の分のココアも同様に机に置き、向かい側に座った。

「また何時もみたいな感じ?」
「そんなところです」

 そっか、と短く答え、まだ熱いであろうココアを啜る。それを見て骸も一口ココアを口に含んだ。温かくて甘いものを飲むだけで少し気分が良くなるのは何故なのだろう。

「どうして起きてたんですか?」
「ん? 眠れなくてっ、て言わなかったっけ?」
「嘘だって事ぐらい分かります。本当は今にでも寝そうじゃないですか」
「……バレた?」
「ええ、わりと直ぐに」

 やれやれとでも言うような表情を浮かべながら、白蘭はもう一度マグカップに手を伸ばした。

「そろそろかな、と思ってさ」
「何がですか?」

 何の脈略も無い言葉に骸は訝しげな表情をあらわにし、その意味を問う。

「骸クンが眠れなくなるのが」
「――は?」

 予想外の返答に思わず目を見張った。硬直している骸を余所に、白蘭は続ける。

「ほら、結構定期的に眠れなくなるじゃん。そろそろ来るかなーって思って起きてたら、案の定」
「馬鹿じゃないですか、もし僕が起きてこなかったら……」
「その時はその時。ああ、眠れたんだなって、思うだけだよ」

 そう言いながらあまりにも、あまりにも優しく笑うから、思わず顔が赤くなるのが分かった。本当に馬鹿じゃないのか。でもその優しさが嬉しいだなんて、本人には言えるはずもない。

「眠れないならさ、一緒に寝ようよ。実を言うとこれが目的だったんだ」

 大の大人が二人、決して大きくない一つのベッドに収まるのは些か窮屈な気がしないでもなかったが、その提案はありがたかった。もし寝られなかったとしても暗くて音の無い部屋に一人きりで居るよりは何倍もマシだ。

「しょうがないですね、特別に一緒に寝てあげますよ」
「手も繋いであげようか?」
「お断りします」

 提案を一蹴したのは恥ずかしさからだ。じゃあお願いします、だなんて言える訳がなかった。
 空になったマグカップをシンクに持って行く。洗うのは明日でいいだろう。

「どっちの部屋で寝る? 僕が骸クンの部屋に行こうか?」
「いえ、僕が行きます」

 白蘭の匂いがするシーツは心地が良いから、とまでは言えないが、その方が眠れる気がした。

「ふふ、骸クンって可愛いとこあるよね」
「はあ?」

 どうやら白蘭には自分の考えなどお見通しだったようだ。見透かされてしまったのが妙に恥ずかしくて、赤くなっているであろう顔を隠すように俯いた。

 多分自分は白蘭のさり気ない優しさが好きなんじゃないかと思う。自分の事は後回しで、望んでいるものを与えてくれようとするのだ。それが今回は『安心感』だった。
 事実、あんなに不安定だった気持ちは、白蘭と話しているだけで幾分か落ち着いた。

「白蘭、」
「ん?」
「……ありがとう、ございます」

 聞き取れるか聞き取れないかくらいの音量で発した言葉は、果たして白蘭に届いただろうか。何となく空気が柔らかくなったのを感じたので、多分伝わったのだろう。

「おいで」

 まるで小さな子供に呼びかけるような言い方で手招きされ、少し眉間にシワが寄ったが、それに従ってしまう辺り自分も大概だ。
 素直に横に並べば腕をとられ、軽いキスを一つ。触れるだけのそれはすぐに離れてしまったが、捕まれた手から伝わってくる体温に酷く安心した。

「これから毎日一緒に寝る? 大きいベッド買ってさ」

 それもいいかもしれない。口には出さなかったが、きっとこれも見透かされているのだろうと思った。



(2011/06/05)



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