愛を知った僕達は 始まりは些細な会話から。 大学の学食で昼食を取りながら、他愛のない話をしていた時だった。 食べ終わったパスタの皿を横に避け、白蘭は言った。 自分は人を本気で好きになった事が無いのだ、と。 過去に付き合った相手は何人も居るが、いずれにしても本気になる事は無かったらしい。 最近では恋愛というものが酷く面倒に思えて、恋人を作る事をしなかったとも聞いた。 「まあ、分からなくもないですが……」 「え、本当に?」 骸はそれを聞いても、別段何とも思わなかった。 自分は白蘭ほどではないにしても、どこか恋愛に冷めている部分があった。今までに付き合った女も何人か居たが、どれも長くは続かなかった。多分それなりに好き、だったのだろう。全く好意を持っていないのに付き合える程自分はお人好しではないから。 いつか心から好きだと思える相手が出来たらいいなとは思うのだけど。 「……でもね、本当は探してるんだ。本気で好きだと思える相手」 今し方考えていた事と全く同じ言葉を口にされ、驚きに目を見張る。哀しげに微笑む表情は憂いを帯びていた。この男には愛情というものが欠乏しているようだ。 「だって寂しいじゃん」 何とも単純な理由だ。 けれどそれはとても重要な理由でもある。 「骸クンだって探してるんじゃない? 本当の愛情を向けられる相手を、さ」 ――見抜かれている。 昼食の最後の一口を咀嚼し、彼とは違う種類のパスタが盛られていたその皿を同じ様に横に避け、グラスに入った水を口に含む。 冷たい水が喉を潤しながら落ちていく感覚が心地いい。 「つまり、何が言いたいんですか?」 グラスを置き視線を上げる。そこにはいつもと変わらない、アメジストのような瞳があった。 彼がこうやって色々と言い訳じみた事を口にする時は、必ずと言っていい程裏がある。 半ば確信しながらそう問えば、待ってましたと言わんばかりの笑顔でこう言った。 「うん。僕達さ、付き合ってみない?」 「……何を言い出すかと思えば」 ついに頭でも沸いたか。 この男の非常識さは十分に理解していたつもりでいたが、どうやらそれはまだまだだったらしい。 「だから、僕と骸クンが、付き合うの」 「意味は分かりますよ意味は。でも意味が分かりません」 「うん、骸クンが何言ってるのか分かんない」 言いながら白蘭は机の上で指を絡めて遊んでいる。意外と指が長いのだな、などと見当違いな事を考えながら、けれどその綺麗な指から目を逸らせなかった。 「僕は誰かを本気で好きになった事が無いじゃない」 「はあ、まあ……」 「愛情を向けてくれる子が居たとしても、自分から同じ感情を返す事はまず無い」 「…………」 「せっかく好きだって言ってくれるのに、って、僅かながらに良心が痛む訳だ」 「いや別に、」 「痛む訳だ!」 「……はい」 有無を言わさない口調で一蹴され、骸は黙って続きを待つ。 グラスの中の氷がカランと音を立てた。 「だから僕等で付き合うの」 「いやだからって、何でそうなるんですか」 白蘭は一層笑みを深め、細い指にはまっている指輪をいじりながら続けた。 喋りながら指を動かすのが癖なのかもしれない。 「お互いに同じような価値観を持ってるんだから、傷つく事は無いでしょ」 「……馴れ合い、ですか」 「まあそうかもね。でも僕は誰かと関わりを持ちたい、恋愛感情的な意味でね」 つまりこの男は、同じ価値観を持った自分と擬似恋愛をしようとしているらしい。 「僕はね、本気で誰かを好きになってみたいんだ」 まるで体中が鉛になってしまったかのように重い。 「その相手が僕でも、ですか?」 「可能性があるなら試す価値はあるよ。別に性別とか気にしないし」 「貴方はそうかもしれませんが、試される此方の身にもなって下さいよ」 どこまでも利己主義なこの男には最早呆れた溜息しか出ない。 「骸クンももしかしたら好きになるかもしれないよ? 僕の事」 「はあ? 有り得ませんよそんな事。僕は常識人なので」 「分かんないじゃん」 「有り得ません」 自分がこの男を好きになるなんて絶対に有り得ない。有り得ない。この男が自分を好きになるのも考えられないが。 「じゃあ尚更試してみるべきだよ、本当に好きにならないか、さ」 「……くだらない」 「よし決まり! 今日から僕達は恋人同士って事でよろしく!」 「ちょ、はあ?」 やってみなきゃ分かんないよ、なんて言いながら手を差し伸べられた。恋人? 冗談じゃない! 心から好きだと思える相手というのには興味がある。いつかそんな相手が現れればと思わないでも無いが、その相手は断じてこの男ではない。 骸は差し出された手を払い退け、足早に食堂を立ち去った。 * * * 「結局好きになってんじゃん僕の事」 「黙れ。これは人生最大の汚点です。本当に情けない」 「何もそこまで言わなくたって……ちょっと傷つく」 あれからかれこれ三年程経つだろうか。大学を卒業した僕たちは何故か同じ職場で働き、何故か同じ家に住み、何故か、恋人という関係に落ち着いている。 大学時代のあの日、食堂でのやり取りは今でも鮮明に思い出せる。あの時は絶対に白蘭など好きになるはずが無いと思っていたし、ましてや本当の意味でも恋人になる何て予想もしていなかった。 「僕はさ、本気になれた相手が骸クンで良かったよ」 ポツリ、そう呟かれた言葉に思わず目を見開いた。 「なんですかいきなり……」 「んー? 別に、何となく思っただけ」 結果として言えば、自分にも本気で好きになれる相手が出来たのだ。それは喜ばしいことであるし、自分が以前から望んでいた事だった。その相手がたまたま、たまたまこの男だったというのは大きな誤算だったが。 あの日、半ば無理矢理恋人という関係になったからこそ、今の状況があるのだという事を考えれば、あの時が最悪だったと一概には言えない。 「まあ、」 小さく呟くとその音を聞きとった白蘭が此方に視線を向ける。目を合わさないま、骸は続けた。 「悪くはないですよ、貴方と居るのは」 素直になれない自分の精一杯。それでもどうやら伝わったようで、白蘭は優しく微笑んだ。 (2011/06/20) back main ×
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