5月4日


「……まあ確かに言ったよ、それは認める。だからってまさかこの事だったなんて知らなかったし。いや、君から貰えるものなら何でも嬉しいよ。……だけどさ」
「要するにいらねえのか」
「いや、いるよ! いります!」

 机の上には丁寧にリボンを掛けられた青色の歯ブラシが1本。
 シズちゃんから家に行ってもいいかとメールを貰い、珍しい事もあるものだと思いつつも大丈夫だと返信をしたのが小一時間程前の事だ。
 家に来るや否や、「これやるよ」とぶっきらぼうに渡されたのは、何処にでも売っているような普通の歯ブラシだった。しかも98円と言う値札つきだ。
 上手く状況が飲み込めず何故かと問えば静雄はキョトンとして当たり前とでも言うような表情で言った。
「何でってお前、誕生日だろ。今日」
 もちろん今日が自分の誕生日である事は覚えていたし、静雄からメールを貰った時点で何となく、誕生日を祝ってくれるのかなと予想しなかった訳ではない。
 けれどまさかプレゼントに歯ブラシを渡されるとは完全に予想外だった。

 丁度1ヶ月ほど前のことだ。臨也の家に遊びに来ていた静雄がふと口を開いてこう言った。
「臨也、何か欲しいもんねえか?」
 その時はいきなりの問いかけだったし、まさか誕生日プレゼントになるなんて考えてもいなかった為、とっさに「歯ブラシが欲しい」と言ってしまったのだ。
 丁度歯ブラシがダメになってきたので買い換えたかったんだと言ったら静雄は「そんなもんでいいのか」と口にした。
「そんなもんって、消耗品だし、必要だろう」
 そういうと静雄は暫く何かを考えていたが、納得したように「わかった」とだけ呟き、その時はそれで会話が終了したのだ。
 あの時の自分今すぐ死ねばいいと思う。若干逃避しながら、もしあの瞬間に戻れるのならやり直したいと本気で思った。
 誕生日のプレゼントになるのならもっと考えて頼んだのに、と後悔しても目の前に置いてあるのは何度見ても歯ブラシだ。

「だからって……歯ブラシ……」
「お前が欲しいって言ったんじゃねえか」
「うんまあ言ったけど」
「俺はちゃんと聞いたぞ、『そんなもんでいいのか』って」
「うんそれも聞いたけどね」

 さすがシズちゃんと言うべきか。何時も俺の予想のななめ上を行く男は、こんな時でも期待を裏切らないらしい。

「……まあ、大事にするよ。ありがとう」
「おう……」

 誕生日に恋人が傍にいて、プレゼントまで貰えて(歯ブラシだけど)それで十分じゃないか。忘れられていなかっただけよしとしよう。
 そこでふと、あることに気づいた。
 ――そう言えばまだ言われてないな。

「ねえ、シズちゃん」
「なんだ」
「おめでとうって、言ってくれないの?」

 今日まだ一回も聞いてないんだけど。そう言えば静雄は微かに頬を染めて、目線を落とした。
 口に出すのが苦手な彼のことだ、きっと恥ずかしいのだろう。そうは分かっていてもこればかりは譲れない。せめて、おめでとうの一言ぐらいはくれたっていいじゃないか。

「…………おめでとう……」

 暫くの間の後発せられた言葉はとても小さかったが、それは確かに臨也の耳に届いた。

「うん、ありがとう。それともう一つ」
「……」
「シズちゃんからキスして欲しいんだけど」
「――ッな」

 悪戯な笑みを浮かべながらそう言えば、静雄は更に顔を真っ赤に染め、口をパクパクと動かした。

「誰がするか!」
「いいじゃん! 誕生日なんだし!」
「お前の誕生日は俺が恥ずかしい思いをする日じゃねえ!」

 そう言って距離を取ろうと後ずさる静雄を引っ張り、無理やり胸の中に閉じ込めた。

「ッ何すんだ……」
「してよ、キス」
「……歯ブラシやったろ」
「それとこれは別だよ」

 徐々に二人分の体温が馴染んで同じ温度になっていくのが心地いい。
 自分より広い背中についた筋肉をなぞりながら耳元で名前を呼べば、面白いくらいに体が跳ねるのが分かった。

「ね、シズちゃん」
「――ッ分かったから……も、そこで喋るのやめろ……」

 懇願するような声色に思わず笑みが零れた。
 ああ、こんな幸せな誕生日は他に無い。
 来年の誕生日は歯ブラシじゃなくて、もっと他のものをちゃんと考えないと。
 来年の今日も同じように2人で過ごす未来を想像しながら、俺は静かに目を閉じた。


Happy Birthday to IZAYA!
(2011/05/04)





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