高校生


幸せ。


 高校の屋上は高い。周りの高層ビルやマンションなどと比べたら大分低いが。それでもやっぱりこの屋上から見上げる空には、手だって届く気さえした。
 そう思って伸ばした右手は空に届く事は決して無く、ただ宙を舞うだけに留まった。
 背中を預けているコンクリートの床は固くて痛いが、骸はこの感触が嫌いではない。
 太陽から注がれる暖かな光を体いっぱいに受け止めて、その光の多さを眩しく思いながら目を細める。
 もう春だ。
 穏やかな気候を感じ、ふとそんな事を思った。

「何してるの?」

 突然だった。
 視界いっぱいに注がれていた光が何らかの影に遮られた。逆光で確認し辛いのを必死に目を凝らして見ると、自分の良く知る人物が笑みを浮かべながら立っていた。

「昼寝です」
「ふーん、僕も交ぜて」

 そう言いながら男、もとい白蘭は骸の隣に腰を下ろし、同じように背中を固いコンクリートに預けた。
 日中太陽光を大量に受け止めたそこは、薄いワイシャツを通して背中に暖かな熱を伝えた。

「気持ちいいね、幸せー」
「ええ」

 何か眠くなっちゃうね、と続けた白蘭に相槌を返しながら、再び右手を伸ばす。
 太陽に透かした手の平はキラキラと輝いて、その後ろに広がる空は何処までも青い。
 暫くの間手を握ったり開いたりを繰り返していたら突然白蘭が口を開いた。

「マシュマロを食べている時、授業がちょっと早く終わった時、購買で好きなパンが買えた時、あとは……」
「何ですか、いきなり」

 白蘭は指を折りながら一つひとつ言葉を紡いでいく。
 唐突に発せられた数々の言葉の意味が理解出来ず問いただすと、指を折るのをやめて骸に視線を合わせた。

「僕が幸せだなーって感じる瞬間」
「はあ……」
「骸クンはどんな時に幸せを感じる?」

 言われたその言葉を脳内で反復しながら考える。
 自分が幸せを感じる瞬間。
 小さい事で挙げるのなら沢山ある。
 例えばチョコレートを食べている時、ふかふかのベッドで寝ている時、信号に捕まらずに家まで帰れた時、それこそ白蘭の言うように購買で好きなパンを買えた時だって。
 考えてみると日常の中に意外と沢山の小さな幸せを感じる時があった。
 それを全て説明するのは何だか面倒で(言い出したらきりがないと言う意味で)そこはまあ割愛させて貰って、色々です、と漠然とした返事を返した。

「随分適当だねー」
「沢山ありすぎるんです」

 不満そうにする白蘭を尻目に空を見上げる。
 澄み渡った青色は、何だか心まで綺麗にしてくれるような気がした。時折肌を撫でる緩やかな風が心地よく、骸はゆっくり目を閉じた。
 ああ、こういう雰囲気は嫌いじゃない。
 青い空、暖かい春の気候、風の匂い、それから。

「貴方とこうしている時間は、結構幸せですよ」
「――え」

 ほぼ無意識のうちに零れたそれには自分でも驚いたが、実際本当にそう思ったので訂正はしなかった。
 空気に溶け込むように自然に隣に居て、会話をして、一緒に寝たり、たまにキスしたりして。
 今まで本人に言った事は無かったけれど、白蘭と過ごす時間はどれも幸せだと思う。

「どうしたの、いきなり」
「いえ、別に」

 段々恥ずかしくなって火照る頬を見られないといいな、などと淡い期待を抱く。
 けれど覆い被さるようにして近寄って来た白蘭を見上げ、そんな望みは打ち砕かれた。

「僕も、骸クンと過ごす時間は特別。本当に幸せ」

 ゆるゆると頬を撫でられる擽ったさに身じろぐ。
 体が暖かいのはきっと、穏やかな春の気候のせいだけではない。
 ああ、何だか――

「何か今凄くキスしたい、かもしれない」

 小さな声で、でもはっきりとした声でそう言ったのは白蘭だ。
 自分も同じ事を考えていた。決して自分からは言えない言葉を、この男はいとも簡単に口にする。

「いい?」

 その問い掛けに返事はしなかった。変わりにゆっくりと目を瞑り、唇に落ちてくるだろう感触を静かに待った。
 瞼に焼き付いた青い空と、白蘭の優しげな笑顔を思い、ああやっぱり幸せだと感じながら。



2011/03/14
皆様が少しでも笑顔になれます事を祈って。




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