久し振りに足を運んだあのケーキ屋は、今日も見渡す限り女性客で溢れていた。
 既に所定の位置となっている窓際の席に向かい合って座り、数種類のケーキと紅茶を注文する。
 ケーキを食べに行こうと誘ったのは自分からだ。これまでに何度か来ているが、その殆どが白蘭からの誘いによるものだった。

「やっぱり美味しいね、ここのケーキ」
「ええ」

 運ばれて来たケーキに手を付けながら最早定番となった会話をする。
 此処に初めて来たのは任務に就いた次の日だったか。あの時は半ば強制的に連れて来られて、店内の雰囲気に少なからず居心地の悪さを感じたものだ。それも何度も来る内に慣れてしまったのだけど。

 数日前、白蘭に初めてキスをされた日、どこか泣きそうな表情を浮かべた白蘭に抱きしめられたまま眠りに就いた。
 正直、あのまま体まで求められるのではないかと思った。しかし彼は予想に反して何もして来なかった。
 不思議に思っていたら抱きついたままの白蘭から規則正しい寝息が聞こえて来たのだ。
 敵だという事は気付いているだろうに。抱きついたま易々と眠ってしまうなど、殺してくれと言っているようなものではないか。
 その無防備な行動に呆れ、溜め息を吐いた。しかし気持ち良さそうに眠っているのに腕をどかすのも躊躇われて、しかたなくそのまま意識を手放した。

 次の日の朝目覚めたら白蘭は既に居らず、ベッドには自分一人分の温もりしか残っていなかった。それに少しの虚無感を覚えたのは事実だ。
 いつも通りに執務室でマシュマロを頬張っているのを見た時、昨夜の事は夢だったのではないかとさえ思ったが、触れ合った腕は、唇は、確かに暖かく感じた。
 あれから今日まで、お互いに電話の件については一切触れなかった。それを口にしたら一気に崩れてしまうような気がして。酷く脆くて簡単に壊れてしまうような不確かな物だけれど、暫くは温い関係に浸っていたかったのだ。

 しかしそれも今日で終わる。

「骸クン」
「……はい?」
「また来ようね」

 笑顔でそう言う白蘭の言葉に、頷く事が出来なかった。

『骸、今日までお疲れ様。明日――』

 その一言で脆くバランスを取っていた関係は終わりを告げるのだ。



 お土産にと数種類を選んで持ち帰ってきたケーキを冷蔵庫に入れた。自分も白蘭も、これを食べる時はもう来ないのだと思うと少しだけ勿体無いと思った。
 自身のスーツの内ポケットに入っている拳銃を確かめながら、小さく溜め息を吐く。
 白蘭を殺す。
 そう考えると気が進まないのは、もうしょうがないと思う。彼に対する想いが余りにも大きくなりすぎた。その気持ちを誤魔化す術など、知る余地もない。
 ゆっくり立ち上がり重い足を動かす。執務室にはソファーに腰掛けてマシュマロを触っている白蘭が居た。

「白蘭」

 静かに名前を呼ぶと白蘭は、どうしたの、と問いながら此方に顔を向けた。
 一歩一歩慎重に歩み寄り、白蘭の前に立つ。

「どうしたの、難しい顔しちゃって。……ああ、もしかして――」

 今日、なのかな?
 その言葉を聞くのとほぼ同時に先ほど確認した銃を取り出し、感情の読めない笑みを浮かべた白蘭に向ける。

「やはり、知っていたんですね」

 出来るだけ淡々とした声で喋るように努めながら言葉を紡ぐ。
 大丈夫、これは仕事だ。

「まあね。いつ殺されるんだろうって、怖かったよ。まさか今日だとはね」
「良く言いますね。その割には隙だらけでしたが」

 こんな事を話す前ににさっさと殺してしまえばいいものを。そう思うのに、何故か男に耳を傾けてしまう。

「骸クンからケーキを食べに行こうって言ったのも、可笑しいなと思ったんだ」
「最後、ですからね」

 先ほどからずっと握っているはずの銃は何故か何時まで経っても冷たく、手に馴染む事は無かった。

「骸クンはさ」

 銃を向けられているというのに全く避ける気配を見せず、白蘭は伏せ目がちに呟いた。

「僕の事好きだった?」
「――ッ」

 瞬間、危うく銃を落としそうになった。そんなものは愚問だ。口にした事はなかったが、自分でも気付かない内に気持ちは白蘭に傾いていたのだ。
 殺すのを躊躇ってしまう位に。

「骸クン、泣いてるの?」
「――は?」

 言われて、頬に伝う生暖かい液体に気づく。
 何を泣いてるんだ。早く、早く殺さなければ。この引き金を引けば全て終わるのに。何故、それが出来ないのか。

「びゃく、らん……」

 カシャンッ――
 手から滑り落ちた拳銃は足下に転がった。

「おいで」

 そう言って広げられた腕に、縋るように倒れ込んだ。
 馬鹿だ、本当に。
 どうして、どうして好きになってしまったのか。終わりがある事など、最初から分かっていたのに。それを終わらせるのも、自分なのに。
 なのに――

「前に言ったよね、骸クンになら殺されてもいいって」

 室内に白蘭の声だけが響く。

「殺して、骸クン」

 足下に落ちた拳銃を拾う事も、流れる涙を止める事も出来ず、今はただ、目の前にある白蘭の温もりに甘えるしか出来なかった。



20110306


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