高校生


セピア


「ねーねー骸クン、まだ終わらないの?」
「静かにして下さい。図書室ですよ、ここ」

 積み上げられた本を一冊ずつ確認し番号順に棚へ仕舞っていく。誰もが口を揃えて面倒くさいというような単純作業が、骸は好きだった。
 図書室の雰囲気は好きだ。教室での喧騒が嘘のようにゆるやかに、静かに時間が流れていく。そんな空間で本を読むのが毎日の楽しみで、図書委員という面倒で敬遠されがちな委員会を自ら志願したのもその為だ。
 毎日自分の好きな物に囲まれる時間は楽しく、満足していた。この男がやって来るようになるまでは。

 見慣れない白を見かけたのはもう数ヶ月も前の事だ。元々図書室に来る生徒などはごく僅かに限られている為、大体の顔は覚えていた。しかしその日は珍しく何時もは見ない顔を見つけた。

 その男はとにかく白かった。どちらかと言うと暗い雰囲気のあるこの古い図書室で、その明るい容姿は酷く浮いていた。
 たまに廊下ですれ違う程度で知り合いですらないが、その目立つ容姿から名前くらいは知っている。確か、白蘭と言ったか。名前まで白なのかと考えながら白蘭に目を向けると、キョロキョロと本棚に視線をさまよわせていた。
 読んでいた本を閉じ、席を立つ。

「何か探してるんですか?」
「――へ? あ……」

 声を掛けてしまったのは最早無意識だった。一見本など読まなそうな彼が、一体どんな本を読むのか、純粋に気になったのだ。

「骸クンじゃん」
「……話した事ありましたっけ?」
「いや、無いけど」
「でも名前……」

 あー、などと間延びした声をあげながら困ったような表情を浮かべるのを見て、骸は眉を潜めた。

「だって骸クン有名だもん」
「有名?」
「何でも出来る美人さんって、みんな言ってる」
「……はあ?」

 そんな話聞いたこともない。骸は一層眉間のシワを深くしながら白蘭を怪訝そうな表情で見つめた。

「ずっと話してみたいと思ってたんだよね、僕は白蘭って言うんだけど」

 よろしくね。
 既に名前は知っているのだけどなと思いながら、適当に相槌を返した。

「で、何か探しているんでしょう。誰の本ですか?」
「そうそう、あんまり有名な人じゃないみたいなんだけどさ、でももう見つけたから」
「それ……」

 ほら、と言って見せられた本には見覚えがあった。自分が先程まで読んでいた作者の書いた本だ。結構マイナーな筈なのに、と目の前の男を見る。

「骸クン知ってる?」
「ええ、その作者の本は僕も好きです」
「え、そうなの?」

 頷いてから白蘭の手にある本を取りパラパラと捲る。既に読んだ覚えのあるその本の内容を思い返しながら、そう言えば恋愛の話だったなと思い出す。

「意外ですね」
「何が?」
「本を読むようには、見えませんので……」

 率直な感想だ。本とは全く無縁そうな彼がまさか恋愛小説を読むなんて。

「あんまり本は得意じゃなかったんだけどね。何かさ、この人の話って読みやすくて好きなんだ」

 白蘭は笑みを浮かべてそう口にした。それはいつも廊下で見かける張り付いたような笑みではなく、純粋に、心からの笑顔に見える。

「それ、面白いですよ。お勧めです」
「本当に? じゃあ借りてくよ」

 そう言ってカウンターの方へ歩いていく白蘭を追いかけ、貸し出しの作業をする。本に付けられたバーコードを読み取る音が静かな図書室に響いた。




 それからだ。白蘭がよく図書室に来るようになったのは。
 出された課題をやりに来たり、新しい本を探しに来たり、その度に他愛もない話をして、下校時間になったら一緒に帰る。
 純粋に、楽しいと思えた。自分は余り饒舌ではない為、向こうから話を振ってくる事があっても此方から話掛ける事はなかった。放っておいても会話が続くのは居心地が良い。

 時計を見て時間を確認する。そろそろ来る頃だろうと思案し扉に目を向けると、丁度音をたてて扉が開いた。

「こんにちはー」
「こんにちは、今日は何しに来たんですか?」
「用が無いと来ちゃいけないのかな? これ、返却ね」
「どうでした? この本」

 白蘭は揶揄しながら数日前に借りて行った本を差し出した。それを受け取り返却の処理をしながら、本の感想を尋ねる。これが毎回の楽しみだった。

「面白かったよ。主人公が何となく骸クンに似てて」
「……そうですか」

 そう言って笑いカウンターの向かい側に椅子を移動させて腰を降ろす白蘭を一瞥し、読みかけの本に目を落とした。白蘭が座っている場所は、最早彼の定位置になっている。
 それから暫く沈黙が続いた。自分がページを捲る音以外は何の音もしない。図書室を見渡すと人影は無く、自分達以外の生徒の姿は見えなかった。

「ねえ、骸クン」
「……何ですか?」

 静かな空間に突然響いた声に思わず肩が震えた。

「僕ね、本当は本って嫌いなんだ」
「え……」

 白蘭は斜め下を見ている為視線は合わないが、その表情からはいつもの笑顔は消えていた。

「この作家さんもね、前から好きだった訳じゃなくて」

 そこで一旦言葉を切り、顔を上げた。夕日に照らされ少しオレンジがかった瞳と目が合う。

「骸クンが読んでるの見て、興味が湧いたんだ」
「あの……」
「ずっと見てた。それで、図書室に来れば会えると思って」

 この意味、分かる?
 問われた意味を理解できないほど馬鹿じゃない。紡がれた言葉から導き出せる答えを考え、それに対して嫌だとか気持ち悪いだとか、そう言ったマイナスの感情が湧かない事に驚いた。

「骸クンの好きな物の話なら、喋るきっかけが作れると思ったんだ」
「……あ、の」
「つまりね、僕は骸クンが好きなんだけど」

 あまりにも、あまりにも自然に口にされた言葉は確実に骸の鼓膜を振るわせた。
 途端に色々な感情が頭を駆け巡る。実は本が嫌いだったとか、ずっと見てたとか、そんなのが全部気にならなくなるぐらい、最後の言葉は衝撃的だった。
 この男は自分を好きだと、そう言ったのだ。そしてそれを嬉しいと思ってしまっている自分が居る。何て、滑稽な。

「骸クン、顔真っ赤だよ? 可愛い」
「は? ちょっ……」

 次の瞬間強く腕を引かれ、カウンター越しに抱き締められた。じわじわと伝わってくる体温が熱くて、また顔が赤くなった気がした。
 少しだけ、カウンターが邪魔だと思ったのは口には出さなかった。

「何、するんですか」
「んー、ハグ?」
「いえ、そう言う意味ではなく」
「好きっていったじゃん。あと、照れてる骸クンが可愛くてつい」

 可愛いとは何だ失礼な。
 そうは思ったが否定する程の余裕も無く、自身の腕を白蘭の背中に回すだけに留まった。

 甘ったるくなった脳内で、そう言えばどこまで読んだか分からなくなってしまったな、と先程まで読んでいた本の事を思い出したが、その考えは片隅に追いやる。

 やけに大きく聞こえる自分の心音だけが、静かな図書室に響いた。



(2011/02/28)
(20110/06/22)修正




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