『入江正一、ね』
「はい。もしかしたら、気付かれたかもしれません」

 深夜、誰もが寝静まっているであろう時間に骸は携帯を握っていた。僅かなノイズ音と共に通話相手の思案するような声を聞きながら骸はベッドに背中を預ける。
 昼間の一件を思い出し、きっと、多分気付かれたのだろうと悟った。以前白蘭の秘書をしていたのだから、自分が何か違和感に気付けば必ず入江はそれを話すだろう。
 最も、変な所で鋭い白蘭の事だ。もしかしたら入江が話さなくとも、自分の本当の目的に気付いているような気がした。
 どちらにせよ、そうしたらこの任務は急速な変化を見せる事が予想でき、骸は多少複雑な思いを抱く。
 本来ならば嬉しい事ではないか。やっと色々な事から解放され、男の恋人を演じるという屈辱的な行為からも逃れられるのだから。そう考えてはみても、骸の心は満たされなかった。
 恋人を演じる、それがこんなにも重荷になるなんて思いもしなかった。
 利用するだけのはずだった、ただ、ボンゴレが有利になるようにと。実際にそれは上手くいったと言えるし、恋人になった事で色々と都合の良い事も多かった。
 しかしそれに伴ったリスクは骸にとって、どうしようもない程に厄介な感情だった。

『――ろ……骸?』

 綱吉の声で意識が浮上し、そう言えば今は報告の途中であったと思い出す。綱吉の言葉を聞き逃す程に考えていたのは白蘭の事で、それは骸を苛立たせた。

「すみません……」
『いいんだけどね、もしかしたら、そろそろ動いて貰う事になるかもしれないから』
「……そう、ですか」
『情報も集まって来たしね。少しでも疑われているなら、早い方がいい』
「わかりました」

 それから一言二言を交わし電話を終え、握っていた携帯を投げ捨てる。大きな音を立てて落ちたそれに目は向けず、骸は髪をかき混ぜた。
 どうしようもない、この感情を何処へ向けたらいいのか。こんなものは自業自得だ。自分で嵌って、抜け出せなくなって、この生温い状況の終わりが見えて来た今になって、自分はこんなにも動揺している。
 馬鹿みたいだと、思う。
 大丈夫だという確信があった。絶対という、有り得もしない言葉を信じていた。これは任務だから、と。
 なのに。
 自分はこんなにも、白蘭が好きなのだ。

「最悪だ……」

 小さく呟いた言葉は静かな部屋に響いて溶けた。

「何が?」

 突然聞こえた声に、勢いよく体を起こす。そこにはうっすらと笑みを浮かべる白蘭が立っていた。
 瞬間、背筋が急速に冷えていくのが分かった。一体、いつから。

「なぜ此処に? いつ、から……」

 白蘭が入ってきた気配に気付けないとは。先ほどの電話は聞かれていなかっただろうか。様々な考えが頭を巡るが、それを表に出さないように必死だった。

「ついさっきだよ」
「……こんな夜中に、何しに、来たんですか?」
「んー、夜這い?」

 訝しむような視線を送りながら問うと、白蘭は揶揄するようにそう言った。
 ふざけているような態度ではあるが、自分を見つめる目だけは真撃で、妖しげな光を放っている。反射的に身を引くとベッドに乗り上げてきた白蘭に押し倒され、両方の手を緩くシーツに縫い止められた。
 直ぐに振り解く事の出来るそれに抵抗出来ないのは、近い距離で香るこの男の甘い匂いのせいか。

「骸クンは……」

 覆い被さったまま、白蘭はポツリと呟く。逆光の為か認識し辛い端正な顔は、何だか哀しげに見えた。
 それから暫く黙り込んだ事を不思議に思い見つめ返すと、何かを考えるような素振りを見せた後、白蘭は口を開いた。

「――いや、やめよっか。僕はね、骸クンが好き」

 問い掛けていたはずの言葉を途中で切り、白蘭は一つ一つ慎重に選びながら言葉を紡いでいく。
 それは骸を混乱させるのには十分すぎるものだった。

「どうしようもなく、愛しいんだよ」

 やわやわと頬を撫でられ、そこから伝わる微かな熱に目を細めた。慈しむような表情を浮かべながら白蘭が何かを口にする度、骸の鼓動は加速する。

「それこそ、骸クンになら、殺されたって構わないと思えるくらいに……」
「――ッ」

 あまりにもタイミングが良すぎるその言葉に骸は小さく息を呑んだ。
 ――ああ、きっとこの男は、知っているのだ。
 それで殺されてもいいなどと馬鹿な事を口にする。この男は本当に。

「何、を……」
「それだけ、骸クンが好きって事だよ」

 言って、今度は紅い目の目尻を撫でられた。

「好き、骸クン」

 やがてゆっくりと落ちてきた唇は自分のそれと重なった。初めて触れたそれは柔らかく、酷く甘かった。



20110218
(6へ続きます)






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