「風邪治って良かったね、骸クン。もう大丈夫?」
「ええ、お陰様で。ご心配お掛けしました」

 結局あれから3日間寝込んだ末ようやく風邪が治り、久しぶりに仕事に復帰した。
 骸がたった数日不在だっただけで、白蘭の机の上には未処理の書類が積み上げられている。
 白蘭は相変わらずマシュマロを頬張っており、仕事をする気はなさそうだ。
 骸はとりあえず自分で処理出来る範囲で片付けてしまおうと書類に手を伸ばした。
 部屋には紙をめくる音と、マシュマロの袋のガサガサという音だけが響いている。

「骸クン」
「……何でしょう」

 ふと声を掛けられ、動かしていた手を止める。

「何でこっち見ないの?」

 発せられた言葉は確かに自分に向けられていたけれど、そう問われてもそちらに目を向ける事はしなかった。
 見なくても分かる。自分は今、見られている。見透かすような、どこか冷たさを感じる、あの瞳に。
 確かに骸は白蘭の顔を見れないでいた。あの日、額にキスをされた時。あんな子供のような拙い行為を思い出すだけで、白蘭の顔を見る事が出来ないのだ。情けない、この一言に尽きる。

「ねえ、こっち向いてよ」

 いつの間に近くに来ていたのか。隣から手が伸び、強い力で腕を掴まれた。強制的に白蘭と向き合う形になり、とっさに下を向いた。

「もしかして、まだ体調悪いとか?」
「違います。離して下さい」

 つかまれる力は緩まず、決して離れる事を許してはくれない。骸はとうとう、顔に熱が集まるのを悟った。
 きっと自分は酷く馬鹿な真似をしている。終わりが見えないこの任務で、相手に情が湧いてしまうという事だけは一番避けなければならない事だった。
 しかし、今ではどうだろう。任務の為だという理由で恋人になって、そこに特別な感情などはなかったはずだ。ましてや同性同士、寧ろ嫌悪感すら覚えていたと言うのに。
 この男の色々な面を見ていくうちに段々、絆されていく。いくら否定をしても、逃れられない事だってあるのた。
 限に顔を赤くしているのは事実であるし、その原因を作っているのはこの男である。
 いくら言い訳を並べてもこの状況が変わる訳ではない。
 認めてしまえば簡単な話だ。自分は白蘭に好意を抱いていて、それは紛れもなく恋愛感情である。
 正しく、恋だった。

 掴まれていた腕が離され、緩く背中に腕を回される。自覚してしまえば、この腕を振りほどく事も、やめて欲しいと口にする事すらも躊躇われた。
 徐々に近づいてくる端正な顔に抵抗する事を止め、瞼を下ろす。

 コンコン――

 あと数センチ、ほんの僅かで唇が触れるという所で扉がノックされ、骸は慌てて体を離した。
 降ってくる唇を甘受しようとしていた自分に驚き、目を見開く。
 危うくこの男の雰囲気に流される所だった。いつのまにか椅子に座っていた白蘭の「入っていいよ」という言葉を聞き、骸は扉の方へ目を向ける。

「失礼します」
「あ、正チャン久しぶりー」
「お久しぶりです、白蘭サン」

 入って来た男には見覚えがあった。入江正一、自分が秘書となる前にこの役職を勤めていた人物だ。任務に当たる際に目を通した資料によると、今では違う支部でトップの座を担っているらしいが、気弱そうな風貌からはそれは微塵も感じられなかった。

「あ、君は……」

 入江が此方に視線を送っている事に気づき、初めましてと笑顔を浮かべる。

「確か、新しく秘書になった……えっと……」
「六道骸と申します」

 一瞬、本当に一瞬だが入江の口元が引きつった。骸は続けて、よろしくお願いしますと口にし、紅茶でも淹れようかと執務室を後にした。
 こんな時でも秘書として仕事をこなさなければならないのだから面倒だ。
 それより、さっきの入江の態度の方が気になった。注意して見ていなければ気づかない程の僅かな変化ではあったが、あの表情。これは綱吉に連絡を入れなければと、給湯室までの廊下を歩きながら考えた。





「白蘭サン、あの、さっきのって……」
「ん?骸クンの事?」
「どこかで見たことがある気がして、考えていたんですけど」

 骸が出て行った執務室で、入江は神妙な顔付きで慎重に言葉を紡いでいた。

「名前を聞いて、ほぼ確信したというか……その」
「勿体ぶらなくてもいいのに、骸クンが何?好きになっちゃったとか認めないよ?」
「いえ、そうではなく」

 入江は言葉を濁し、至極言いにくそうな顔で小さく呟いた。

「六道骸は、ボンゴレの人間です」

 確実に、とは断言出来ないが恐らく間違いないだろうと口にする入江、白蘭は驚くでもなく、ただ無表情で見つめていた。

「あの風貌、名前、以前聞いた事があります。白蘭サン、今すぐに……」
「知ってたよ」
「…………は?」

 知ってたよ。再度同じ言葉を繰り返す白蘭を、入江は信じられないとでもいうような表情で見返す。

「知ってたって、じゃあ何故側に置いておくんですか?このままじゃミルフィオーレが危険だ!」

 まくし立てるように声を荒げる入江とは対照的に、白蘭はさほど気にした様子もなくマシュマロを口に運んでいる。
 入江は大きくため息を吐き、これまでの経験上もう何を言っても無駄だと悟った。

「何か、考えでも?」

 白蘭が何を考えているか、今まで一度も読めた事など無かったが、今回の事は今までで一番理解し難いものであった。

「僕は骸クンが好きなんだ」
「はあ……」

 突拍子もない、くだらない理由だ。好きならば、例え敵だと分かっていても黙過するというのか。本当にどうしようもない。それを声に出す事はしなかった。
 呟いた白蘭の表情が酷く寂しげであったからだ。

 後に、人数分の紅茶を持った骸が戻ってくるまで、沈黙は続いた。


 全てが終わる『その時』は近づき、終焉向かう時は確実に、動き始めていた――




20110208
(5に続きます)






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