指でたたくだけで音は出る。

ポロン、ポロンと。

何年も白と黒を指で叩いてきた。人はそんな僕の音を綺麗だという。拍手を、褒め言葉をくれる。


でも、僕は自分の音を綺麗だと、思わない。


***

「骸君ってピアノ、嫌いなの?」

そんな戯言を言って、彼はマシュマロを口に頬張った。僕はピアノの前に座りながら、ソファーで寛いでいる白蘭の方に体を向ける。

「何でそう思うんですか?」

そう聞くと彼は、んー‥、などと曖昧な言葉を溢す。僕は溜息を一つ溢し、立ち上がって白蘭の座るソファーへと足を向ける。マシュマロの袋を片手に持ち、もう片方の手でそれを口に頬張る彼を見て、もう一つ溜息が出た。
ばふっと白蘭の隣に腰掛けると、ソファーは大きく沈む。


「別に・・、嫌いではありませんよ・・」

そう言って、僕は白蘭の手の内にあるマシュマロの袋から一つ、マシュマロを手に取って自分の口へと運ぶ。
柔らかくて、妙に甘ったるい味が口の中で広がった。何だかチョコが食べたい、と頭のどこかで思いながら、ソファーの前のテーブルに置かれた、紅茶に手を伸ばした。
紅茶の良い香りが嗅覚を刺激する。
紅茶の入ったティーカップを口につけ、それを上に傾ける。暖かい紅茶が喉の奥を通って行ったのを確認した。

「そうなんだ」

と。

少しばかり遅れた返事が横から返ってくる。僕はえぇ、と適当に返し、また一口紅茶を口にする。
未だに口の中に広がるマシュマロの味が消えず、紅茶が少しばかり甘く感じる。

「ねぇ、」
「何ですか」
「その紅茶。一回僕が口付けたんだけど・・?」
「・・・、・・気にしませんよ別に」

恋人でしょう、と付けたしてから、スッとソファーから立ち上がる。
「骸君、」
グイッと、白蘭の手が僕の手を掴んだ。ひんやりとした白蘭の手の温度が僕の腕に、服越しから伝わった。

「ピアノ、好きじゃないならやめちゃいなよ」
「・・・、」


一瞬、心臓が止まるかと思った。彼はピアノが僕にとって、どんな存在かわかっている筈だ。

「貴方は僕に今までの人生全てを捨てろというのですか」
「うん」
「・・・、」

呆れて物言えない、というところだろうか。あっさりと答えてしまった白蘭に視線を向ける。白蘭は珍しく真剣な顔をしていた。笑って、いなかった。いつものような軽はずみな言葉ではない、のだろう。

白蘭は掴んでいた僕の腕を離し、言う。

「骸君、嫌いなことやってて楽しい?」
「・・・、」

白蘭は、もう一度言った。

「ピアノ、やめちゃいなよ」


言葉の意図が、わからなかった。
今までの人生、毎日毎日弾き続けて来たピアノをやめる?ならばいったい今までの僕は何だったのだろうか。それを全部水に流せというのか。

「ピアノがなくなったら・・、僕には何もなくなってしまうじゃないですか」
「僕がいるじゃない」

ベタな台詞だと思った。これ以上ないくらいベタベタな台詞だと。逆にこちらが顔を赤くしてしまいそうなくらい。ベタ過ぎる台詞。

「貴方はそこまでして僕にピアノをやめさせたいのですか?」
「だって・・。骸君、全然楽しそうじゃないんだもん」
「・・、」

楽しそうじゃない。前にもそんなこと、誰かに言われた気がする。誰に言われたかは覚えていないが、確かそんなことを過去に一度言われた気がする。

綺麗な音を出せたと思ったことはない。それでも周りは綺麗だ何だと褒める。それがどうしようもなく嫌だった。嫌いだった。ムカついた。思い通りの演奏が出来ていないのに、それなのに上手い、素敵、綺麗などと言われ。

楽しくない。言われてみればそうかもしれない。楽しい、と心から思ったことなんて無かったかもしれない。

「白蘭、」
「ん?」
「僕のピアノ、どう思います?」
「んー・・、楽しくない」
「そうですか」

僕はそう言って、白蘭に背を向けた。そして、ピアノの前へと足を向け、ピアノの前に座る。

楽しく、ないか。

「白蘭、」
「何?」

ピアノの前に座ったまま、彼を見ないで僕は言う。多分白蘭も僕を見ていない。

「ピアノ、やめませんから」
「そう。じゃあ・・、楽しく弾いてよね?」

僕はそっと、鍵盤に指を添える。何年も触れてきたものなのに、今始めて触れたような気がした。それは気のせいだろう。

白蘭の為に、今僕はピアノを弾こうと思う。


今なら、楽しく弾ける気がした。



音に乗せてあいらぶゆー
(愛してます)(そんなベタな台詞を乗せて)



20110122
sos!!の柚木ちゃんから相互記念に頂きました。ありがとう!これからもよろしくね^^





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