秘書の朝は早い。まず自分の身支度を整える事から始まり、ボスの一日のスケジュールを頭に叩き込む。
 いくらスパイという事を隠す為のカモフラージュだとしても一応は秘書という重要な役職である為、仕事は完璧にこなさなければならない。
 それともう一つ、骸には重要な役割があった。秘書としてではなく、ボスの恋人としての立場での仕事だ。

「ボス、起きて下さい」
「ん……おはよ、骸クン」
「おはようございます」

 起き抜けの掠れた声で呟き、上がりきっていない瞼を擦りながら体を起こすその姿は何とも無防備だ。今にでも殺してしまえそうな程に。
 骸に課せられたもう一つの仕事は、白蘭を起こす事だ。
 朝は弱いから起こしてほしいと頼まれ、普通では足を踏み入れる事を許されない寝室への入室を許可された。
 骸クンは僕の恋人だから特別だよ、という背筋が凍るような台詞は出来れば聞き流したかったのだけど。

「今日は3時から会議が入っていますので、くれぐれもお忘れなく」
「ねーねーそんな事より何処か遊びに行こうよ」
「夜は新参ファミリーのボスと会食になっています」
「何処か行きたい所ある?連れてってあげるよ」
「着替えは此処に置いておきますので」

 用件だけを淡々と告げる骸に、白蘭は少し不服そうな顔をしたが大人しく用意された着替えに袖を通した。

「ねえ、骸クン」
「何でしょうか」
「ケーキとか、食べたくない? 何処か食べに行こうよ」

 白蘭は愉しくてしょうがないとでも言うような笑みを浮かべてそう言った。どうやら仕事をする気はなさそうだと、骸はため息を吐く。
 別にこの男が仕事をしようがしまいがどうでもいい事だが、自分が秘書である以上は仕事をするように諭さなければならない。何とも面倒な話だ。

「ボス、書類が溜まっていたようですが」
「もう終わったよ」

 昨日、白蘭の机の上につまれていた書類は並大抵の量ではなかったはずだと記憶を呼び起こす。それを一夜で片付けてしまうとは、まがりなりにもボスなのだと思い知らされた。

「ね、断る理由もないでしょ?」
「はあ、まあ、3時までなら……」
「じゃあ決まり」

 今の会話のうちに着替えを済ませた白蘭は一足先に寝室から出て行った。
 断る理由も無いが、同意する理由も無かっただろうに。骸は再度ため息を吐き、その後を追った。






「ここですか?」
「そうだよ」

 連れて来られたのはいかにも高級そうな店という訳ではなく、普通の店だった。
 移動も歩きという何とも庶民的なもので、少しだけ拍子抜けしてしまった。まるでボンゴレの貧乏性のボスみたいだと少しだけ笑った。

「好きなの選んでいいよ。全部美味しいから」

 ショーケースには色とりどりのケーキが陳列されており、どれも美味しそうだった。
 中でも目を奪われたのはチョコレートケーキで無意識のうちに見ていたらしい、白蘭は「それがいいの?」と言って早々に注文をしてしまった。
 店員に店の奥の席に案内され、促されるまま席に腰を下ろす。
 ふと周りに視線を向けると客の殆どが女性で、この空間に自分たちは酷く不釣り合いだった。
 スーツ姿の白髪と左右非対称の瞳の男二人がケーキ屋など、注目されるのは当たり前だ。
 多少の居心地の悪さは感じるが、視線を向けられる事には慣れている為気にしない事にした。

「おいしいでしょ」
「ええ、とても」

 やがて運ばれてきたケーキを口に運び味わうと、口いっぱいにチョコレートの香りが広がった。わざわざ勧めるだけの事はあるなと考えながら、一緒に注文した紅茶に手を伸ばす。

「骸クンってチョコが好きなんだね」
「ボスは、白が好きなんですか?」

 白蘭の前には赤い苺が浮いてしまう程に真っ白なショートケーキが置かれている。
 思い返せばこの男は白いマシュマロを食べていたし、寝室も白を基調とされた家具でまとめられていた。髪まで白いのだから、そう疑問に思うのも当然だろう。

「まあ、嫌いじゃないかな。それより」
「何です?」
「僕、白蘭って言うんだけど」

 名前で呼んでくれないの?
 持っていたフォークを置き、そう問いかける白蘭に目を向ける。

「そんな失礼な事出来ませんよ」

 もちろんそんな事は微塵も思っていないけれど。

「だって、恋人でしょ?」
「そうですけど……」

 それだって、望んでなった訳ではないのだ。その事を理解しているのかいないのか、その目からは読みとれないが。

「二人の時くらいいいじゃん」
「しかし……」
「僕がいいって言ってるんだよ?」

 有無を言わさないというような目で見つめられ、これは了承しない限り平行線のままだなと諦める。

「はあ、分かりました」

 そう告げると白蘭は満足そうに微笑み、お土産にケーキ買っていこうか、と言った。

 何なんだ、この状況は。
 仮にも敵である相手と呑気にケーキを食べている。更には恋人の真似事など、滑稽すぎる。
 あまり感情移入してはいけない。いずれは自分は殺すのだから、この男を。
 甘ったるい店内の匂いとは反対に、自分の考えは酷く冷たく汚いものだと思い知った。




20110122
(3に続きます)






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