骸がスパイ




 銃を握る手からは体温が奪われ、鉄の塊に溶けていく。トリガーに掛けた指は少しだけ震えていた。
 これを引くのは初めてではないし、寧ろ慣れ親しんでいると言ってもいい。にも関わらず、僕はこの引き金を引けずにいた。






「今日からお世話になります、六道骸です」

 春、日本では桜の舞う季節。暖かい風が肌を包み込むような穏やかな日、骸は敵地に送り込まれた。
 今回の任務は敵対するファミリーのボスの命を奪う事であった。
 時間はどれだけ掛かってもいい。とにかく怪しまれないように、出来ればボスと親密な関係になった方がいいと骸の上司であるドン・ボンゴレは言った。
 事は慎重に運べ、とも。
 何故そこまで念を入れているのか骸には分かる訳もなかった。普段温厚で親しみやすいと定評のあるボスは決して心の内を見せないという技術を師であるリボーンから学んだらしい。
 推測のため、定かではないのだけど。

「君が骸クンかぁ、よろしくねー」

 豪華な机の前、更にこれも豪華な椅子に座る男の名を白蘭と言った。
 全身が真っ白でどこか妖しげな笑みを浮かべる男は自分のボス同様とても若く見えるが、これから骸が秘書として使える上司その人だ。
 秘書としての立場はスパイとして潜入する為のカモフラージュに過ぎないが、男と接近し更に命を奪うという任務の為にはこの立場が適当だ。
 何でも最近秘書が他の支部へ移動したらしく、丁度募集をしていた所に申し込み採用を受けたのだ。もちろん綱吉が裏から手を回したのだろうが。

「取りあえずマシマロでも食べる?」
「いえ、遠慮しておきます」

 遠慮しなくていいのに、と白いそれを指で転がしながら呟く白蘭はしかしそんな事微塵も思っていないような口振りだった。
 ふと机の隅に目を向けると未開封のマシュマロの袋が何袋も置かれていた。骸はそれに少しだけ眉を潜め、どうせならチョコを置けという気持ちを胸の中に押し込んだ。
 暫くの沈黙。部屋には白蘭がマシュマロの袋を漁る微かな音だけが響いている。
 沈黙を破ったのは白蘭だった。

「骸クンってさ思ってたより若いね。歳同じぐらいじゃない?」
「ええ、おそらく」

 此方としたらそう言う彼も随分若く見えた。この任務に就く際、あらかじめ資料に目を通してはいたが、写真には違う人物が写っていた為実際に見るのは初めてだった。
 ボスの顔を知られないように、表では他の誰かを代わりにするというのは此方の世界では珍しくない。

「紅と青の瞳も綺麗だね」

 射抜くように、心の内を見透かすような目で見られるのは居心地が悪かったが、仮にも今はボスと秘書だ。礼の言葉を述べ、少しだけ微笑んだ。
 しかし次の瞬間、その微笑みはいとも簡単に崩れる事になった。

「僕、結構タイプかも」
「……は?」

 何を言っているんだ、この男は。
まさか出会って数分でこんなカミングアウトを受けるなんて、誰が予想しただろう。
 今は秘書という立場だという事も忘れ、思わず無作法な態度をとってしまった。慌てて失礼しました、と謝罪の言葉を口にし、軽く頭を下げる。

「ふふ、あのね、僕バイなんだ」

 どっちでもいけるんだよね。軽く言われたその言葉に今度こそ卒倒しそうになったが寸での所で踏みとどまり、床に倒れ込むという失態を防いだ。

「骸クン、」
「なんでしょう」

 何となく、本当になんとなくだけれど、次にこの男から発せられるであろう言葉を予想する事が出来る自分に嫌気がさす。
 此方としては、この予想が是非外れてくれる事を願う。切実に。背中に冷たい汗が流れた気がした。
 しかし、こういう時の嫌な予感というのは大体当たってしまうのが悲しい所である。

「僕と付き合わない?」




 骸用にとあてがわれた部屋はボンゴレにある自室に劣らない程に豪華な部屋だった。秘書ともなれば妥当なのだろうが。
 骸はソファーの背もたれに体重を預け携帯を取り出した。アドレス帳から目当ての人物を 探し出し、発信ボタンを押すと数コールの後にはい、というテノールが聞こえた。

「骸です」
『うん、お疲れ様。どうだった?』

 電話の相手は綱吉だった。定期的に此方の状況を連絡しろと言いつけられていた為任務初日の今日、こうやって連絡したのだ。

「今の所問題無いです。やはり白蘭は写真とは異なりましたが。せいぜい僕と同い年、といった所ですかね」
『やっぱりか』
「それと、」

 そこで一旦言葉を切り、次に口にする単語を模索する。これを言うのは気が引けるうえに気分まで重くなるのだ。
 暫く黙っていると受話器越しに綱吉の急かす声が聞こえてきた。任務報告なのだから誤魔化す必要もないかと素直に告げる事を決め、口を開く。

「白蘭と付き合う事になりました」
『……はあ!?』

 白蘭って男だよな、という小さな呟きを聞き流しながら先程の事を思い出す。
 決して望んで承諾した訳ではない。秘書という立場に加え、恋人になる事で任務がよりスムーズに行えると思ったからだ。誰が好き好んで同性と付き合うか、そんな趣味は僕にはない。
 そう電話越しに言ってやると綱吉は、それもそうかと納得したようだ。

『まあ骸なら大丈夫だと思うけど、あまり深入りしないように。あくまでも任務は命を奪う事だからね』
「分かってますよ。それではまた」

 骸は深いため息を吐き、ソファーに横になった。
 明日から本格的に仕事が始まる。秘書としての仕事をこなしつつ、更にスパイとしての任務も遂行しなければならないというのは何とも気が重くなる話だ。
 それにもう一つ、白蘭の恋人役という重大な役割までこなす事になるとは思いもしなかった。
 あの男は一体何を考えているのだろうか。あの目からは何一つ感情を読み取る事が出来なかった。これから行動を共にする事で情報を集めなければ。
 そんな事を考えながらやがて襲ってきた睡魔に逆らう事をせず、骸は眠りに就いた。




20110116
(2に続きます)






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