囚人×看守


監獄のラブソング


 ここは酷く冷たい。
 日の光は入らず、暗い。そこでの仕事は決して気分のいいものではないが、特別嫌な訳でもなかった。
 ここは監獄。絶望、狂気、諦め、様々な陰の感情がせめぎ合う場所。皆、待っているのだ。自身全てで罪を償いこの世から存在を消される時を。ただ、ひたすら。この暗く、冷たい場所で。


 今日もまた、罪を犯した人間がこの監獄に収容されてきた。名前は確か、白蘭と言ったか。最初こそ必要最低限の資料には目を通すが、それは直ぐに意味を無くす。折角覚えた名前も明日には忘れてしまうのだろう。
 その男はとにかく白かった。このような場所に入ってくるには、いささか目立ち過ぎる。白髪、アメジストのような瞳、その下にはタトゥー。浮かべる笑みはどこか胡散臭く犯罪者を匂わせるそれだったが、それ以外は美しいと形容してもなんら違和感はない。

「今日からここが貴方の部屋になります」
「ああ、うん」

 部屋と形容するには語弊が生じるようなそこはもはや檻だった。無機質な鉄格子の扉は外から行動が丸見えであるし、トイレだってお情け程度の仕切りがあるだけだ。プライバシーも何もあったもんじゃない。監獄なのだから当たり前だと言ってしまえばそれまでなのだけど。

 男が檻の中に入ったのを確認し、設置されている鍵を掛けた。もうこの檻が開かれる事はない。開く時があるとすれば、その時はつまり。
 男は終始笑っていた。とても死刑を待つ人間の表情だとは信じられない程に。





 毎週金曜日が、夜の見回りの当番であると割り当てられている。夜に鉄格子の並ぶ薄暗い廊下を歩くのは気味が悪い。
 所々に灯る小さな灯りを頼りに見回りを開始する。
 寝静まってピクリとも動かない者、鼾をかく者、眠れないのか部屋の隅でうずくまる者、泣いている者、言葉にならない言葉を叫ぶ者。
 これだけ人が居るのだ。皆、多種多様な行動を示す。
 叫ぶ者には黙れと注意をし、眠れない者には早く寝ろと諭す。週に一回の役割分担だとしても自分はこの夜中の見回りが嫌いだった。

 ふと、暗い廊下のどこからか小さな声が聞こえてきた。
 注意してやろうと声のする方に足を進めて行くにつれて、その声は歌を歌っているのだと気付く。

「黙りなさい」

 声の主の檻の前でそう強く言ってやると、中の男は歌うのをやめ此方に目を向けた。
 その髪は白く、アメジストのような瞳が覗く。確か数日前に入ってきたばかりの男だったなと記憶を思い起こす。名前は確か、白蘭。

 一死刑囚の名前を覚えているなんて珍しい。
 自分でも驚いたが、この場所でここまで浮いた風貌をしていれば嫌でも忘れるわけがないなと思った。
 暗闇での白は酷く目立つ。

「此処で歌など、何を考えている」
「ラブソングなんだ、これ」

 今の話を聞いていたのかいないのか、白蘭はただ呟いた。
 「いい歌でしょ」と問われたが、感想が言える程真面目に聞いていた訳では無いし、それ以前に返事をする気も無い為、その問いかけには無視を決め込んだ。

「早く寝なさい」

 言い放ち踵を返す。ここは突き当たりの場所である為、歩いて来た長い廊下を歩き出した。 もう歌は、聞こえてこなかった。



*    *    *



 あの日から何週間かが経った。
 男は相変わらず毎週金曜日の見回りの日の深夜に歌を歌っている。他の曜日の担当の同僚に聞いたら歌っていないと返された為、男が歌うのは金曜だけのようだ。
 毎回のように注意をするが一向に歌う事を止めず「ラブソングなんだ」と返されるのが常であった。最近では半ば諦めている。
 毎週毎週聞いているせいだろうか、不覚にもその歌を覚えつつあるという事実に頭が痛くなりそうだ。

 今日も深夜の見回りをしていると例に漏れず聞き慣れた歌声が聞こえてきた。
 小さく溜め息を吐き、形式ばかりの注意でもしないよりはマシかと突き当たりの部屋へ向かった。

「静かにしろと何度言わせるんですか」
「ふふ、こんばんは」

 にっこりと笑い、待ってましたと言わんばかりの表情で此方を見る白蘭に舌打ちをしそうになるのを必死で耐えた。

「毎週金曜だけ、何の嫌がらせですかね全く」

 男は曖昧に笑うだけだった。
 少し顔を俯かせ、再び歌い始めた。小さな声で、聞き慣れた旋律と歌詞が紡がれてゆく。
 僕は隠しもせず、先程よりも大きな溜め息を吐いた。
 歌声を聞きながら考える。
 そもそも何故ラブソングなのだ。外に恋人でも居るのだろうか。もしそうだとして、伝えられない気持ちを歌に乗せ、こんな冷たい場所で歌うなど、何て惨めな姿だろう。こんな見解は所詮憶測に過ぎないのだけれど。尋ねた所で素直に答える訳もない。

「早く寝なさい」

 口癖のように言ってきた言葉を今日も告げ、その場を離れた。
 何となく、この男の彼女を想像したら胸が苦しくなった。
 何故、何故?
 苦しさを紛らわすように足早に廊下を進む。このまま暗闇に溶け込んでしまいたいとさえ思った。





 罰を受ける死刑囚のリストを整理するのもここで働く者の仕事である。上から回された資料を仕分けし、今日罰を受ける者を割り出して行く。
 直接日付を決めるのが自分でないとしても、この書類一枚で人一人の命を奪えてしまうのだと考えるとぞっとする。

(今日は三人か…)

 いつもより多いなと思いながら三人の書類を封筒から出し、目を通して行く。
 名前、生い立ち、家族構成、犯してきた罪、様々な情報が書かれているそれに目を通すのは最早義務みたいなもので、別に頭に情報を記憶させる目的ではない。
 三つ目の封筒を開封した時、思わず目を見張った。
 白髪、アメジストの瞳、タトゥー。見間違える筈もない。毎回自分の見回りの日の深夜、ラブソングだと戯れ言を抜かしながら嫌がらせのように歌い続けた男、その人だった。
 別に驚く事でもないだろう。ここに収容されている限り、順番はいつ回って来てもおかしくはないのだ。
 少々、この男に感情移入しすぎてしまったらしい。この場所では不必要なものだ。

 立ち上がり、檻の鍵を取る。最初に罪を償うのはどうやら白蘭らしい。最初こそ丁寧に順番まで記されている書類を作成した上の連中の趣味を疑ったものだが、今ではすっかり慣れてしまった。

 この仕事についてから、何度も歩いた廊下を歩く。目指すのは一番突き当たりの部屋。自分の放つ靴の音を聞き、ここはやっぱり冷たいと思った。


 鍵穴に鍵を差し込み回すとガチャリと音が響いた。
 此方に目を向け開けられた檻を見、白蘭は何かを悟ったように「今日か」と呟いた。

「ずいぶん突然なんだね」
「早く出なさい」

 これで最後なのに冷たいんだね。
 本当にそう思っているのかいないのか分からない声色で言われたが、返事はしない。
 暫くすると男はゆっくりとした動作で腰を上げ、部屋から出てきた。
 この男と廊下を歩くのは二度目だ。
 思い返せば、白蘭がこの監獄に収容されてきてからまだ数ヶ月しか経っていない。こんなに早く執行されるのは稀な事だった。だからどうという訳ではないけれど。
 どうせ最後だ、歌の意味を聞いても構わないだろうかと後ろを振り返り、どこか冷たさを含む瞳を見つめる。他人に興味を持つなど、初めてだ。

「なぜ、歌っていたんですか。こんな場所で」
「何でだと思う?」
「…外に恋人でも?」

 思っていたことを素直に口にすると、男は笑って「違うよ」と言った。

「君が見回りの時だけ、歌った。気付いてもらえるように」

 今までの口数の少なさが嘘のように白蘭は良く喋った。紡がれた言葉にどう答えて良いか分からず、無言で踵を返した。

「ねえこの意味、分かる?」
「馬鹿じゃないですか」

 絞り出すように返した返事は、果たして震えてはいなかっただろうか。そう危惧した所で、もう一切関わる事はないのだからと思い直し、少しばかり芽生えた気持ちに蓋をする。


 暗い廊下、終焉へ向けてまた一歩、足を踏み出した。




20110103





back main

×