浅い眠り


 また同じだ。これで何度目か、数えるのさえ億劫で、それでも僕は手を伸ばす。

「白蘭、こんばんは」

 そうやっていつも、君は少し躊躇いがちに僕の横に腰を下ろす。

「だんだん涼しくなってきましたね」
「朝と夜はちょっと肌寒いくらいだよねー」
「ええ」

 そう言って少し目を伏せ小さく息を吐く。そんな姿はどうしても頼りなく見えて、今にも消えてしまうんじゃないかとさえ思う。
 君と会うのは決まってこの部屋。こんな所に住んでいたという記憶はない。それなのに何故か酷く懐かしい。隣にいる君も、そこにいるのが当たり前かのように落ち着く存在なのに、僕は君の名前すら知らない。

「ねえ、君の名前は?」
「……あなたは知っているはずですよ」

 毎回このやりとりを繰り返しているが、一向に名乗る気は無いようだ。知っているはずのない名前を思い出せなどと無茶を要求してくるのにも慣れてしまった。
 何故だか、否定しきれないのだ。自分は本当は何か大事な事を忘れているのだろうか。

「白蘭、今日は月が綺麗ですよ」

 言われて外に目を向けると、開いた窓から入り込んだ風で薄いカーテンが揺れた。隙間からは月が此方を照らしている。まるで絵画のようなその美しさに思わずため息が出た。

「白蘭」

 呼びかけられる。振り向くと直ぐそこまで手が伸びてきていた。
 触れる、と思った瞬間、ああ今日も時間が来てしまったのだと悟った。

「早く、早く僕を……」
「君は一体……誰なの?」
「……待ってます、ずっと」

 頬に触れた君の指は少し冷たくて、自らのそれをそこに重ねる。少しでも自分の熱が伝われば良いのに、と願ながら。

 けれどその瞬間、淡い光に包まれて急速に意識が遠のいた。これも一体何度目だろうか。浮遊感ののちに視界に広がったのは、見慣れた天井だった。

 いつからか、夢を見るようになった。決まって同じ部屋で、美しくて儚い君に会う。けれど手を伸ばして触れた瞬間、君は消えてしまう。決まって哀しそうな顔で、けれど慈愛に満ちた眼で此方を見ている。
 僕は君の名前を知らないけれど、なぜだか酷く心地よさをを覚える。
 居心地の良いあの空間にずっと居たいと思う。君は何を伝えようとしているの?
 今日もそれが分からないまま
、いつもと同じ一日を過ごす。早く夜にならないかな、なんて考えながらね。



(2013/01/26)






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