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唇は語らずとも side:笠松

 高校を卒業して、大学で四年間勉強して。就活もまあまあ成功、普通の営業マンになってから数ヶ月が経過した。
 これだけ人生経験を積めば流石に苦手も克服出来るだろう、と思うかもしれないが、例外としてオレは相も変わらず女が駄目なままだった。母には孫を連れてこいと急かされているが、まだ23になったばかり、少し放っておいてほしい。

 「大体結婚とか、面倒なだけだろ……」

 呟いたのはコンパの帰り、高校時代にトラウマを作った為大学では全部お断りしていた訳だが、一年だけとはいえ先輩社員から誘われれば、断ることも出来ず。無理矢理連れていかれ、現在地獄のような時間をやっと乗り越えた帰り道である。出会いの場だから当たり前だが、無意味に絡んでくる女性陣に辟易し最悪の気分だ。結婚とかしないんですかって、独り身だからここにいるんだっての。
 正直、恋愛がよくわからない。今まで一度もしなかったと言えば嘘になるが、少なくとも高校卒業からこっち、関心がなくなってしまったのだ――高校時代、それ程本気になれる相手と恋に落ちてしまったのが運の尽きだろう。
 とか思ったオレは、苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。思い出したくもない黒歴史、自分の所為で自然消滅した元恋人の笑顔は、やさぐれた心にさらなる痛みを与える。
 絶賛疲労困憊中のオレが溜め息を吐きながら駅に続く曲がり角を曲がったときだった。丁度同じタイミングでこちらに折れてきたらしい二人組と、見事に正面からぶつかる。ぼーっとしていたこともありバランスを崩したオレは、八つ当たり同然の舌打ちをして相手を睨み上げ――言葉を失った。

 「え……」

 それは相手も同じだったようで、呆然とオレを見つめていた。そいつの隣にいるのは少し派手な女、程よく酔いが回った薄桃色の頬を訝しげに歪め、向かい合う男二人を見比べている。

 「黄瀬……?」

 偶然街で鉢合わせ、なんてドラマや漫画の世界に限られた話だと思っていたが、どうやらそんなことはないらしい。その相手が黄瀬――自然消滅した元彼でなければ、素直に喜べたのだが。

 「笠松、センパイ……」
 「……おう。久しぶり…だな」

 当たり障りのない言葉を並べるが、気まずいなんてもんじゃない。なんの断りもなく関係を終わらせた元彼と、そいつが今付き合っているであろう彼女との感動のご対面。居心地の悪さに吐き気すら覚えてくる。

 「リョータぁ、だれなのー?」
 「え、あ、えっと……」

 と、不機嫌そうに眉根を寄せた女が、甘えた声で黄瀬の腕にもたれオレをねめつけた。黄瀬が言葉を詰まらせたのをいいことに、邪魔して悪い、と早口に言って、オレはそそくさとその場から逃げ去った。
 ――黄瀬の呼び止める声が聞こえた気がしたが、気の所為だと軽く耳を塞いで。







 自分が捨てた元恋人と驚きの再会を果たして、一週間が過ぎようとしている。最悪なのは、お陰で仕事が捗らなくなったこと。くだらないミスばかり連発しては上司に怒られ、溜め息が零れないときがないのではないかというくらい、常に肩を落とし歩く毎日だった。珍しいなとか、何かあったかとか、何かと同僚が様子を伺ってくれるが、今のオレには余計なお世話以外の何でもない。
 その日も発注書の記入漏れでこっぴどく部長に絞られた後、重く沈んだ気分で帰路へとついていた。何かもう、オレって何やっても駄目なんじゃないか――とか、自棄になってる時点で自分は弱いなと乾いた笑いが漏れる。
 マンションのエレベーターを上がり、自分の部屋に向かう。早く風呂入って、今夜は酔い潰れてやろうかと自虐的になるオレは、玄関前で信じられないものを目撃した。

 「あ――」
 「なん、で……」

 人の家の前に座り込んでいた黄瀬は、影に気付いたのか、それとも足跡に反応したのか、ぱっと顔を上げてオレをじっと見つめていた。予想だにしない人物の登場に、言葉を失うオレ。目の前の人物はオレに微かな苦笑を向けるも、それからふと何処か安心したように瞳を細めて、

 「――おかえりなさい」

 向けられる資格のない暖かな眼差しを、裏切り者に送った。







 何でここにいるのか、そもそも何故この場所がわかったのか、聞きたいことは山程あったが、自分の立場はわかっているつもりだから聞くに聞けない。どうしたものか、意味もなく立ち上がってキッチンに入り、オレは茶菓子を探すフリをする。そんなオレの戸惑いを読み取ってくれたのか、否か。

 「この間は凄い偶然でしたね」
 「え、ああ…そうだな」

 本気かどうかはわからないが、嬉しそうに黄瀬が破顔した。

 「まさか笠松センパイにまた会えるなんて、夢にも思ってませんでした」

 笑う黄瀬に、ズキリと心が痛む。
 本当は、そんなこと話しにきたんじゃないだろ。何笑ってんだよ。責めろよ、オレを。何であんな勝手したんだって、罵れよ。
 けれど黄瀬は、一向にそう口にする気配がない。代わりに、少しだけ寂しそうな色を金色がかった綺麗な瞳に浮かべた。

 「……元気…でしたか、センパイ」

 悲しみを圧し殺して聞こえたのは、オレの都合のいい解釈だろうか。どの道どう答えて良いのかわからず、曖昧に頷いくオレを困ったように見つめながらも、黄瀬が意を決した雰囲気でさらに言葉を続けた。

 「彼女…とか、作ってないんスか」

 久々にその口調聞いたな、と頭の隅でぼんやり思いながら、しかしオレは黄瀬の問いに答えられない。
 恐らく、オレなんかよりずっと女慣れしてるコイツは気が付いているのだろう。そんな香りが、この部屋に少しも感じられないことに。

 「お前は、この間のあれ……彼女、か?」

 無駄な返答はせず、逆に尋ねる。黄瀬は一瞬目を見開いたものの、肯定の意味を含んで瞳を愛おしげに緩めている気がした。
 わからない。わからないけど――ショックを受けてる、自分がいる。そんな資格、ないというのに。

 「そっか」

 呟いた声は自然掠れてしまい、ショックを受けたことがバレたんじゃないかと危惧したが、黄瀬は気にした風もなく茶を啜っていた。
 今ここで、言った方がいいのだろうか。何故オレが、勝手に黄瀬との関係を絶ち切ったのか。それとも、このままやり過ごした方がいいのだろうか。
 ……考えるまでもない、問い掛けだ。オレには、その理由を告げる義務がある。

 「――謝って、済むことじゃないってのはわかってるけど」

 ぽつりと紡いだ言葉を、黄瀬の耳はしっかりキャッチし、何のことか悟ったようだ。その証に、がっしりした肩が僅かに震え、緊張と不安の入れ混ざった瞳がオレを捕らえて先を促している。唇を引き結び、慎重に言葉を選びながら、オレはゆっくり口を動かした。

 「本当に、悪かったと思ってる。連絡来ても無視して、こっちからは何も伝えないで。お前のことだから、絶対滅茶苦茶心配してくれてるだろうって思ったんだけど」

 それでも、電話には手を伸ばさなかった。暫くして勝手に携帯変えて、勿論黄瀬にはそれも伝えなくて。大学に入ってから一年経ったとき、完全に黄瀬との縁を一方的に切った。家の場所も知られてたから、大学近くのアパートに単身引っ越して、親にまで誰にも住所教えんなって念押しして――

 「怖かったんだ。オレ達の関係は異質だし、世間には受け入れられないって、わかってたから。そんな茨道、お前には進ませたくないって。ただの自己満足だよな。本人の意思も聞かないで相手の為とか、笑わせる。けど――」
 「何か、言われたんスね」

 キッチンに佇むオレの背に、優しい声がかけられた。その暖かさに身を震わせた瞳からは、一滴の涙が零れ落ちて。

 「大学で、そういう話、されたんじゃないスか。男同士が気持ち悪いとか、異常だとか、ただの性欲の捌け口だろとか」
 「どう、して……」

 全くその通りの見解に、振り返ったオレは黄瀬を凝視した。すると黄瀬は軽く肩を竦めて、

 「オレも大学でそういう話、されましたから」

 苦く笑いながら、付け加えた。

 「もうすぐ成人するって奴らが、何中学生みたいなこと言ってんだよって殴りたくなったけど、でもそこで笠松センパイの顔が浮かんだんです」

 センパイはあんなことする人間には見えないから、何かあったのかなって思ってたんスけど、ああ、こういうことだったんだって。やっぱりあの人は、最後までオレの為に尽くしてくれたんだって。
 黄瀬から告げられた事実に、二の句が告げなくなる。唖然としたオレの隣まで歩み寄ると、黄瀬はその手――オレが大好きな、大きくてしっかりしてて、そして何よりも暖かい掌で、オレの手を包み込んでくれた。

 「オレのこと、守ってくれたんでしょ? いつかバレて、オレが嫌な思いをしないようにって」

 何処までも優しい、愛しい瞳。じっと見つめていたら、涙は止めどなく溢れだす。

 「ありがと、センパイ。泣きたいくらい幸せで、笑いたいくらい腹が立ったけど、それでもオレ、センパイには感謝でいっぱいっス」

 淡い微笑みに、ほだされそうになる。
 女が苦手とか、面倒だとか、そんなのはやっぱり言い訳だったんだ。オレが誰とも付き合わなかった理由、そんなの、決まってるじゃないか。

 「それと、あの子にはセンパイに会ったあの日、別れてほしいって言いました」
 「え――」
 「何か、昔を思い出しちゃったっていうか……もう吹っ切れようって、成功したつもりだったんスけど」

 事態が把握出来ず眉を寄せていたら、突然ぐいっと手を引かれた。何が起きたのかと思えば、気付いたときには黄瀬の胸元が目の前にあって。
 相変わらずムカつくくらい身長は高かったが、今はそれよりも。

 「ほんと、会えてよかった」
 「……オレも」

 こうやって、コイツの熱を感じていたい。
 唇は語らずとも、お互いの鼓動が想いを伝えてくれたことがとても嬉しく、幸福だった。




20130113
―――
唇は語らずとも、この鼓動が、熱が、眼差しが、私の想いを貴方に、貴方の想いを私に伝えてくれる。

……っていう二重唱。大好き。
因みに笠松さんは社会人、大学時代に住んでいたアパートから一人暮らしマンションにお引越しして半年。黄瀬は大学3年生で日替わり彼女的な感じで遊びまくってる自由人――というのは表向き、本当は笠松さんをふっ切ろうとしてそんなことをしてます。
年隔てた恋愛っていうのもいいね。




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