唇は語らずとも side:黄瀬 ※先に笠松sideを読んでから読むこと推奨。続き物です。 ※ちょっと下品な内容が途中ほんの一瞬出て来ます。嫌な人はブラウザバック。 「黄瀬……?」 ぶつかってから見下ろした頭と、懐かしい匂いと。そして何よりも大好きだったその声に、オレはただ呆然とする他なかった。 「笠松、センパイ……」 偶然とは、世にそう起こり得ることではないと思っていたオレは、これはきっと偶然ではなく、不幸な巡り合わせなのだろう、なんて――そんな巡り合わせにあってしまった自分を知らず嘲笑っていた。 「久しぶり…だな」 気まずそうに逸らされた視線が、オレにべったりと寄り添う女を一瞬捉える。微かに眉根を寄せたことからして、多分この人は成人し社会人になった今でも女性が苦手なのだろう。 思ってからはっとした。何年も離れ、連絡も取れず、一方的に関係を断ち切ってきた相手のことが、ちょっとした仕草でこんなにもわかってしまうなんて。ひょっとせずとも、オレはまだまだ未練があったのかもしれない。 「リョータぁ、だれなのー?」 酔った声でしな垂れる彼女の声で我に帰るも、咄嗟にどう紹介していいかわからず言葉に詰まる。けれど、それがいけなかった。 「邪魔して悪い」 笠松センパイは一瞬の隙を見逃さず、これを好機ととってかそそくさとオレの横を通り抜け、人混みへと紛れていってしまった。 「あっ、笠松センパイ……っ」 呼び止めた声は届いたのだろうか、オレの瞳には何かを振り払うように俯いたセンパイの後ろ姿が映った気がした。 * 高校一年の冬、ウィンターカップが終わると同時に、笠松センパイ達三年生は部活を引退した。同時に襲ってきたのは、恐怖。 密かに笠松センパイを想い続けていたオレは、想いが通じなくても、こうして一緒にいられるだけでもいいと無理に自分を納得させていた。けれど、センパイが引退してしまえば、一緒に過ごす理由がなくなる。このまま、センパイと縁が切れてしまうという可能性もあるのだ。 どうすればいいか、悩みに悩んだ末、センパイが引退した翌日に告白してしまおうと決めた。意外だったのは、センパイもオレと同じく密かにオレを想ってくれていたことと、オレが告白をしたその日、センパイもオレに告白しようかどうか、迷っていたということだった。 センパイの受験が終わって卒業してしまっても、オレとセンパイの関係は穏やかに続いていた。二人で買い物に行ったり、電車に乗って遠出をしたり。互いの家に遊びに行ったこともあるし、そのまま泊まって朝まで近況報告も兼ねた会話を交わしていたこともあった――残念ながら、初心な恋人は身体まで許してくれたことはなかったが。 そしてそんな幸せな日々は、これからもずっと続くものだと思っていた。オレもセンパイも、一緒にいるときは笑顔が絶えなかったし、それは当然のことだろうと。でも―― 「あ、れ……?」 それは、オレが高校三年、センパイが大学二年に上がった桜が散る頃。 電話をかけても繋がらない、という日が続いて二週間程経ったとき、今度は無機質な声がオレの耳に届いたのだ。 お掛けになった電話は、現在使われておりません、と―― 「なん、で……あれ、連絡…は、来てないよな?」 慌てて開いたメールボックスの笠松センパイからの受信履歴は、その日の一週間前ではたと止まっている。アドレスを変えた、とか、番号を変えた、とか、そういった連絡は一切入っていない。 何で。どうして。 考えながら、嫌な汗ばかりが浮かぶ。背筋には悪寒が走り、心臓は煩いくらいどくどくと脈打っていた。 いてもたってもいられなくて、携帯を片手に家を飛び出す。何事かと目を見張る母親に、ごめんとだけ謝って、見慣れた道を駆け抜けた。目的の場所に到着するなり叩きつける勢いでインターフォンを押す。出てきたのは勿論、笠松センパイの母親で、オレを見るなり困ったように眉を寄せていた。 「あ、あのっ…、かさま――ゆ、幸男さん、は……」 それから告げられた事実は、オレを絶望の淵に立たせるものだった。 センパイは二年生に上がってすぐ、一人暮らしをしたいと言い出し、大学付近のアパートに引っ越したらしい。心機一転したいからと携帯電話も変えて。そこまでは特におかしな点はないが、不可解なのはここからで、センパイは何故か、住所や連絡先を伝えずに出ていったという。 そんなこと、あるのだろうか。実の母親に何も伝えず、家を出ていくなんてことが。 訝しがるオレに、ごめんなさいねとだけ言い残すと、センパイのお母さんは何かを誤魔化すような笑みと共に家の中へと姿を消した。それと同時に、オレの脳裏にオレを出迎えたときのセンパイのお母さんの顔が浮かぶ。 困ったように寄せられた眉と、今し方見た何かを誤魔化す笑み。 「ああ、そっか」 考えてみれば、物凄く単純なことだった。信じたくはないし、そうであってほしくないと願っても、行きつく結論は同じで。 「オレ……センパイに、捨てられたんだ」 センパイのお母さんは、やっぱり知っていたのだろう。センパイの住所も、連絡先も。けれどオレには教えてくれなかった。何故なら、センパイが母親に口止めしたから。オレにだけは、伝えるなって。だから、センパイのお母さんはオレを見たとき、あんな反応をしたんだ。 「は…ははっ……何だ、簡単なことじゃないっスか」 オレは、笠松センパイに見限られた。 ただ、それだけのことだったんだ。 * あれから二年。 無事大学合格を果たしたオレは、もうあのことなど忘れてしまおうと大学からは少しだけ性格を変えた。 チャラくて、軽くて、安い男。 来る者拒まず去る者追わず。 馴れてしまえば楽なもので、このキャラクターを演じて一ヶ月も経たないうちに、構内ではそんなオレの噂は広まっていた。彼女なんかとっかえひっかえしていたし、二週間くらい続けばまあいい方で。こっちから誘うようなことはしなかったけど、向こうから誘われればホテルにだって足を運んだ。 「お前、本気で誰かと付き合う気、あんの?」 友人に問われたのは、完全にフェミニスト的な位置付けでオレの名が定着したときだったろうか。考えもしなかったことに首を傾げ、『可愛い子とは皆仲良くしたいからなぁ』なんて調子のいいことをふざけて返した覚えがある。これじゃまるで森山センパイだな、と苦笑を零した覚えも。 「けど、単に性欲の捌け口ってだけなら、男との方がいいって聞いたことあんだけど」 "性欲の捌け口"。 何故だろう、昔の恋人とは身体を重ねたことはないけれど、オレの耳はその単語にぴくりと反応した。 「へ、ぇ……それ、本当なんスか?」 「やったことないから知らねぇけど、同性だからいいんじゃないの、お互いのいいとことかわかるから」 「締め付け具合が最高とか聞くよな」 ギャハハハ、と汚い笑い声を上げながら、下品な会話を楽しむ形ばかりの友人にすっと心が冷えるのを感じる。これは怒りか、それとも単なる不快感か、恐らくどちらもなのだろうが、堪えるように握られたオレの掌は白くなっている気がした。 「けど、有り得ないよな」 「そもそも男となんて、気持ち悪いし」 「女より男がいいって、どんな悪趣味だよ」 そしてついに、ぶち、と何かが切れる音がした。 餓鬼かこいつら。大学生にもなって同性愛が気持ち悪いとか、こいつらの方が有り得ねぇ。 怒鳴りはしなかったものの、こんなところにはもういたくなくて、オレは無言でその場から立ち去った。奴らから声をかけられた気がしたが、怒りのあまり聞いていないふりをして。 過去に自分が男と付き合っていたことを、馬鹿にされたような気がして怒った、という訳ではない。むしろその恋人は今まで出会った誰よりも魅力的で、これ以上ないって程いい人だった――誇れるくらいに。だから、オレの怒りの原因はそれではなくて―― 「――センパイ、こんなこと言われてたんスか?」 あいつらの言う言葉も、全ては否定出来ない。実際、同性同士というのは世に受け入れられていないし、毛嫌いする人間も少なくないだろう。けれど、言われた人間がもしも当事者だったら。 「オレがそう言われるかもとか思って、辛い思いをさせるかもって、だから、あんな風に……?」 ずっと、おかしいと思っていた。 縁を切られたのだと知った日の一週間前まで、普通にしていたセンパイが、突然あんな形でオレを突き放すなんて。幸せそうに笑っていたセンパイの笑顔が、一週間経ったというだけで見られなくなってしまったなんて。 「ほんと、どこまでも不器用っスね」 唇を噛み締め、苦く笑う。そうでもしないと、今にも涙が溢れてしまいそうだったから。 けれど、もうきっと、戻れない。センパイに拒絶され続けている限り、永遠に。 その日の夜、適当に声をかけた女を無理矢理犯して、全てを忘れてしまおうとした。しかし、結局オレの脳裏にちらつくのは、人生で一番愛した男のはにかんだ笑顔だった。 * 「リョータ、どうしたの? さっきからぼーっとして」 ベッドに腰掛け俯いていたオレの背に、シャンプーの香りと共に重みがかけられた。バスローブを纏った今夜限りの彼女は、胸元をはだけさせ、誘うように潤んだ瞳でオレを見上げている。 大学生活ももう半分を過ぎ、三年にもなってまだこんなことをしている自分は何なのだろうと自問する日々が続いていた。 笠松センパイの想いを知ったところで結局どうすることも出来ず、さらにやさぐれたオレのこういった行為は次第にエスカレートしていく一方だった。何もかもがどうでもよくて、興味も、関心も持てなくて。 「何でオレ、こんなんで生きてんのかなーって」 「えー、何それ」 本心からの言葉は、適当な相槌で流されてしまった。その間も、彼女はオレの腰に腕を回し、頬擦りするようにどんどん距離を縮めてくる。いつもなら、何となくでも興奮してたんだけど。 「何か、もうそんな気分じゃねぇや」 「え?」 だって今だって、考えてるのはセンパイのことだ。 ……いや、今だけじゃない。オレは見限られたと思い込んだその日から、センパイのことしか考えていなかった。 「……ごめん、ね」 急に立ち上がったオレを見上げる彼女の瞳は、心なしか不安げに揺れていた。その瞳をじっと見下ろし、笠松センパイの元へ戻る為、オレは別れの言葉を紡いだのだ。 * センパイの住所は、森山センパイから無理矢理聞きだした。やっぱり森山センパイも口止めされていたようで、それでもと食い下がるオレを困惑気味に見つめていた。 昔森山センパイに聞かなかったのは、そこまで思考が回らなかったから。それと、一度だけ知ってるかもと思いはしたものの、母親動揺口止めされているんだろうとも思って諦めてしまったからだ。 笠松センパイの住所を教えてくれるまでここを動きません、と言って森山センパイの家の玄関前に座り込んだオレに、溜息一つ吐いた森山センパイはようやく折れて、自分が伝えたということは内緒にしろ、というのを条件に、住所の書いたメモをオレに渡してくれた。深く感謝の念を伝えると、もう行けと楽しげに笑いながら、森山センパイはオレを送り出してくれて。もう一度頭を下げると、オレは全力で駆け出したのだ。 森山センパイから受け取ったメモを眺めながら、目的地にて愛しい人の帰りを待つ。 オレのこと見たら、どんな顔をするだろうか。オレの声を聞いたら、何を思ってくれるだろうか。 不思議と不安はなくて、満ち足りた気持ちを早く彼に伝えたくて堪らなかった。 今度は、もう絶対に離さないから。 だから、センパイ――オレのこと、もう一度受け止めてくれますか? 20130205 ――― 続き書きたかったけど多分断念。一応完結です。 [back] |