▼ 4 婚礼の儀
兄ちゃんの記憶を取り戻すーー。
そう決意したものの、いくら俺が兄弟の思い出を語ったところで「そうか。これほど兄を慕う愛らしい弟がいるとは、お前の兄は幸せ者だな。段々俺も妬けてくるぞ」と逆に嫉妬心に燃える顔で迫られ、話にならなかった。
兄ちゃんは一体どこへ行ってしまったんだろう?
部族長になりきっている兄を救えるのは、同じ島に送られた弟の俺だけなのに。
途方に暮れたまま、俺はなす術もなく、あっという間に婚礼の儀式の日を迎えてしまうのだった。
夕日が沈みゆく地平線を前に、何百人もの部族民達が浜辺に集結している。
俺は鮮やかな朱色と金のワンピースみたいな民族衣裳を着せられ、兄の横に立っていた。
頭にはレース状のヴェールをかけ、男なのに完全に花嫁のそれである。
隣には「碧の民」の民族カラーらしき群青色の着物を着た、凛々しい顔つきの兄がいた。
慣れというのは恐ろしく、久々に裸ではなく服を着たその姿に、違和感を覚えるほどだった。
「ほっほっほ。ではこれより伝説の夫婦となる二人の婚礼の儀を行おうぞ。ーー花婿のケージャよ、妻となるユータを生涯守り、愛することを誓うか?」
「ああ。ユータは今日から俺の妻だ。この身の全てを捧げ、愛し抜くと誓うぞ」
部族の長老らしき凄く小さなおばあちゃんに、兄が真剣な表情で宣誓する。
もはや俺にも何が起きてるのか分からない。ここへ来てから家族のことを思い出さない日はないが、息子二人が行方不明になってしまった両親がこの光景を見たら、どう思うのだろうか。
「花嫁のユータよ。夫となる部族の長、ケージャを生涯そばで支え、愛することを誓うか?」
「……えっ。……兄ちゃんを支え、愛します…けど」
普段から嘘がつけない俺だが、さすがに答えに窮する。
一度は死んだと思った兄ちゃんだ。生きていてくれただけで嬉しいし、もちろん夫婦愛とかは意味不明だが、兄弟としての思いは揺るぎないものなのだ。
本音を言えば後ろで槍を持って厳重警護をしている島の男達や、きらきらした目でお祝いムードを漂わす島民達の前で、「っざけんな絶対ムリ!!」と拒否する勇気がなかった。
「ふむふむ、よろしい。それじゃあ夫婦の証となる『精霊の涙』の交換じゃ」
長老が取り出した箱が開かれると、そこには細かな彫刻がなされた金の腕輪とネックレスが入っていた。ともにアクアマリン色の雫型の宝石がはめ込まれており、それはこの島の聖地である『精霊の丘』から採掘されたものだという。
おばあちゃんに促され、俺はおずおずと兄の腕に腕輪をはめた。満足そうに微笑む兄は、俺の首にネックレスをかけた。
「おお、お前の黒髪によく映えて美しいぞ、ユータ。これで俺達は晴れて本物の夫婦となった。誰にも裂けられぬ強固な絆で結ばれたのだ」
「……あっそうなんだ……」
幸福に輝く兄の顔を直視出来ずうつむくと、俺のヴェールがそっと上げられた。
見つめ合った瞬間、なんと兄ちゃんはそのまま俺に、ぶちゅっと口づけをした。
「んっんんー!!」
人生二度目のキスも実の兄に奪われてしまうとは。
白目を剥いて倒れそうになる俺の背はしっかりと抱かれ、唇は十秒ぐらい犠牲となった。
「……ふう。ようやくお前に接吻出来たな。ああ、二人の初夜が待ち遠しいぞ」
うっとりと見下ろしてくる兄ちゃんの台詞に、俺はいまさら自分の甘さを呪う。
部族長は突然島民たちのほうを振り向き、高らかに宣言した。
「皆の者! 古の伝承にあるように、今ここに伝説の夫婦が誕生した! 我ら二人、島に未来永劫の繁栄をもたらす礎となろうぞ!」
「「オオー!」」
民の雄叫びと拍手が島中に轟く。涙目でぶるぶると全身を震わす俺以外は、皆喜びに満ちあふれた顔だった。
*
宴は海岸が暗闇に包まれるまで続けられた。
放心状態で水面に映る二つの月を眺めている間、立ち代わりに挨拶しにくる部族の幹部らしき人や、他の集団から駆けつけた人々にお祝いの言葉をかけられた。
その後も小さな子供達から花かんむりを贈られ、島の女性達の豪勢な手料理を振る舞われ、どんどん抜け出せない状況になってくる。
キャンプファイヤーのような巨大な篝火を囲み、皆に混じって俺も舞を踊らされた。
汗だくで仕事を終え、夫婦の特別席に戻ると、兄はにこやかな笑顔で俺を招いた。
「ユータよ。見事な舞であった。ほら、ここへ座るのだ」
「え…兄ちゃんの膝? 無理……」
ぽんぽんと膝を叩き促してくる兄にぐいっと腕を取られ、上に座らせられてしまう。
この人本当に強引だ。そんな所は兄ちゃんの性格がはっきりと出ている。
「まだ恥ずかしいのか? そろそろ慣れてもらわねば困るぞ、ユータ。我らの部族では、対となった者はどこであろうが触れ合うのが普通だ」
「はぁ? そんな風習知らねーって……っ」
後ろからしっかりと腰に腕を回され、うろたえた俺は、助けを求めるように周りを見やった。
夫婦の台座の近くの席には、側近のエルハンさんと、長老のおばあちゃん、ガタイのいい中年男性がいる。
その人は酒をぐびぐび飲みながら、俺達に晴れやかな笑顔を向けてきた。
「いやあ、めでたいめでたい。ケージャよ、お前も良いお嫁さんをもらったな。これで我らの部族も安泰だ。欲を言えばエルハンにも早く誰か見つかるといいんだがなぁ」
「……親父。今日はケージャ様のハレの日だ。俺の話は慎んでくれ」
「そうじゃぞ、馬鹿息子。今日の主役はケージャとユータの二人じゃ。恥を知れい」
突然息ぴったりの会話を始めた三人だが、なんとこの中年男性はエルハンさんの父親で、長老は彼の祖母なのだ。
そもそも兄が来る前は、この部族はエルハンさんが長だったのだから、当然といえばそうなのだが。
「あのー、すみません。本当に兄が部族長でいいんですか? いきなり現れたんでしょう、皆さんそれで納得出来るんですか?」
兄の記憶喪失の手がかりがないかと思い尋ねたが、俺の質問に皆は目を丸くした。
それどころか、エルハンさんの父に笑顔で「ユータよ、強者が長を務めるのは自然の摂理だ。それにケージャは息子も同然、大切な仲間なのだよ」と返されてしまった。長老とその孫もうんうん頷いている。
なんかこの部族、おかしくないか? もしかして皆そろって洗脳されてるのではーー。
「ユータ。まだ俺を信じていないのか? 少し悲しくなってきたぞ」
「いや、そういうわけじゃ……ないって、兄ちゃん」
珍しく拗ねたような声で後ろから抱きしめられ、どうしていいか分からなくなる。
その時だった。俺を抱き抱えていた兄の視線が、遠くへ移る。目で追うと、向こうから一人の男がこちらに近づいてきた。
砂浜を優雅な所作で踏む、柔らかそうな金髪の、すらっとした大人の男だ。うっすら焼けた裸の上半身に、皆と同じく薄い布を巻いただけの姿だが、タレ目がかった瞳と中性的な顔立ちがとてつもなくイケメンだった。
「え、ちょ、誰この人、兄ちゃんーー」
「初めまして、奥方様。私はこの島の北地区を統括するルエンと申します。この度はご結婚おめでとうございます。もちろん貴方も、ケージャ」
まるでこの人のほうが島の王子様ではないかというオーラだったが、彼は兄の前で臣下のごとく跪いた。
「よく来てくれたなルエン。どうだ俺の妻は、美しいだろう。妙な気を起こすなよ。お前は色男だから気を付けなければならん」
「ふふ、確かに私はモテますが。部族長が娶られたお方に手を出そうとする輩など、いませんよ」
「そうだな。いたら森の獣の餌にしてやろうと思う。……ところでお前は一人か。仲のよい西地区の班長はどうした?」
「……彼は、今日は都合が悪いと。今宵の慶事の欠席を謝罪しておりました」
「ふん。今日は俺の婚儀だぞ。相変わらず無礼な奴だ」
難しい顔で話し始める二人に、俺は聞き耳を立てていた。
どうやらこの人は、島に何人かいる、各地区をまとめる役割をしている人らしい。しかしその内の一人が姿を見せず、兄は一瞬不機嫌な顔を見せた。
「どういうこと? 兄ちゃん、俺達の結婚、やっぱり皆に祝われてないんじゃないの?」
俺がはっきりと突っ込むと、兄にじっと瞳を捕らえられ、頭を優しく触られた。それは違うと言いたげだったが、すぐにルエンさんがにこりと微笑む。
「そんなことはありませんよ、奥方様。島中の皆が喜んでおります。そうだろう? エルハン」
顔を上げ、俺達の様子を静かにうかがっていたエルハンさんに話しかけた。
すると彼も疑う余地なしといった風に頷く。
「無論だ。奥方様、何も心配はいりません。二人の幸福の道を阻む者が万一現れるとすれば、この私が盾となり即刻成敗してやりますので。ご安心を」
物騒な物言いをするエルハンさんに若干引いていると、兄を含む周りの大人達は上機嫌に笑い、とたんに明るい波が生まれる。
俺がその空気に馴染めず混乱していると、長老が突然咳払いをした。
「ほほほ。ワシの孫の言う通りじゃな。ーーところでケージャ、お前の花嫁は少々休息が必要と見える。どうじゃ、夜は長いとはいえ、夫婦の初夜は一度きり。そろそろ離れに戻っては?」
……は!?
いきなり何言い出すんだこのばーさん。必死に考えないようにしていたその単語に身震いする。
「そうだな。俺もそう思っていた。妻を愛する時間が減ってしまうのはもったいない」
「そうだぞケージャ。今日はお前の精魂尽き果てるまで、思いっきり頑張るんだぞ」
「ああ、当然だ。ユータに俺の男を見せてやる」
「私も応援しております、部族長」
男達の信じられない明け透けな叱咤激励が飛ぶ中、俺の体が突然ふわっと浮き上がった。
兄ちゃんにまた抱っこされている。
「ちょっ、待て、まてって兄ちゃん!」
「無理だ。もう一刻も待てん。俺は早くお前を俺のものにしたいのだ」
いやそれだけはまずい。
劣情を浮かべる兄の雄々しい横顔を見ながら、俺は人々の歓声に包まれ、二人の「愛の巣」である離れへと連れ去られた。
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