▼ 26 受けて立つ
島を襲った台風は、翌日の昼過ぎにようやく去った。
部族長である兄は午後になると、率先して災害後の片付けを島民と行っていた。
防壁の建設や迅速な人々の避難により、今回の被害は少なく済んだようでほっとする。
しかし広場の門や住居の屋根など、修理が必要なところは多く、俺も皆の役に立てればと思って頑張っていた。
「お、奥方様、どうか危ないのでお止めください」
「平気ですよ、こんぐらい。親父とか兄ちゃんがやってたの見たことあるんで、見よう見まねで俺だって…………ああぁっ!」
連なる商店の屋根に乗り、木材に釘を打つべくトンカチを振り下ろした。しかしすぽんっと抜け落ちそうになり、身を乗り出して掴もうとした。
地上から観衆達の悲鳴を聞くのと同時に、俺の腕が後ろから強く引っ張られる。
工具もぱしっと日に焼けた手が受け取り、間一髪だった。
「はあ、優太。お前何やってんだこんなとこで。落ちたらどうする? こういう危ないことはお兄ちゃんの気がおかしくなるから止めなさい」
「……に、兄ちゃんっ」
いつの間に近くにいたのだろう、半裸で部族民の腰巻きだけをつけた筋骨たくましい体に、ぐいっと腰を抱かれた。
褐色の短髪の男の、普段は鋭いキリッとした瞳に心配そうに見下ろされる中、俺はただの兄なのにドキドキしていた。
「ごめん。俺もなにか手伝いしたくってさ。兄ちゃんも皆も一生懸命だし。でも…足手まといになったら元も子もないよな」
情けなく微笑むと兄もふっと優しい息をついて見つめてくる。
「ありがとな、優太。お前も十分やってくれてるよ。ほら、見てみろあの人気を。皆下でお前に手伝ってほしいこと教えようとしてくれてるぜ? こういうもんはな、適材適所でやればいいんだ。だからお前はちゃんと地面にいるように。ここは俺に任せろ」
頭にぽんと手を置いて頼もしく言うその顔は、紛れもなく俺の兄なのだが、もうこの島の長の顔つきにも見えた。
「ありがとう、兄ちゃん」
思わず高所なのに兄の胴に抱きつく。「うおっ」という声が聞こえたが力強い腕は抱えてくれた。
またどうしたとか、大丈夫かとか聞かれたが、最近の俺は考えるより先に兄の温もりを求めてしまうのだ。
それはもちろん、ケージャが消えて本物の兄が戻ってきてからも同じだった。
理由としては、昨日夜通しで兄ちゃんに抱かれていたせいもあると思う。
「ん? 優太くん? ちょっとハグが長いなぁ。いや俺は嬉しいけどな? 降りてからにしようぜ」
焦る兄に促され、ようやく俺は島民らの助けにより地面に降りたのだった。
外で作業をしていると、気づけば夕方になっていた。
広場でお弁当を食べつつ俺も兄のそばで休憩をする。
その時、違う持ち場にいた黒髪長身のエルハンさんが部族民とともに現れた。
「部族長、お疲れ様です。今から幹部会議が開かれます。ご同行を」
いつにも増して真剣な表情の実直な男が、兄を連れて行こうとする。反対もされなかったので、俺もついていくことにした。
議題は明らかで、俺を誘拐したあと兄達に捕まり、今はこの東地区の牢屋にいるガイゼルのことだ。
敵対する西地区の統括者である奴と、側仕えの少年ラウリ君ーー彼は側近であるエルハンさんの弟でもあり、この二人の処遇については、俺もかなり気になっていた。
俺達三人は、ひとまず集会所へと向かう。
風の通る木造平屋の建築物は台風でも無事で、中には数人の部族民達が集まっている。
俺は初めて参加したが、屈強な半裸の男達が皆円上にあぐらをかき、意見を交換していて緊張感があった。
「北地区、南地区、そして西地区の被害状況はどうなってる?」
「はい。それぞれ統括者が戻られましたが、この東地区同様、被害は最小限に済んだようです。西地区については、代理の者をこちらから送り、見張りの兵も残しておりますので臨時の統制はとれています」
使者の代表が報告する中、部族長の兄は神妙に腕をくむ。
今は各地区のリーダー達も皆災害の処理に追われているようだ。
そこで兄の視線がエルハンさんに向けられた。
「それで、あいつはどうしてんだ。反省の弁でも述べたか」
「いいえ。ガイゼルは……兵の尋問にも答えず、部族長以外とは交渉しないと言っています」
「……ああ? 交渉だと、あの野郎ふざけやがって…ッ」
こめかみに青筋を浮かべた兄が悪態をついた。
やはりまだまだ誘拐事件の怒りは収まっていないらしい。
「ねえ兄ちゃん、ガイゼルどうなるの? やっぱり、刑務所とかに入るのかな」
「そうだなぁ。いや極刑だろ。いたいけなお前を監禁したんだぞ。原始的に火炙りの刑にでもしてやろうか」
「ええ! 冗談でも言っちゃだめだよそんなこと。ねえエルハンさん」
「いえ、部族長は正しいですよ。島の掟により、重罪を犯した者は流刑か処刑をされます」
さらりと述べる側近が恐ろしくて俺は震え上がる。
なんかこの人、兄に人格交代してからやけに冷たい雰囲気をまとっている。
それとも、ラウリ君をひっぱたいた怖い面を見てしまったからそう思うのだろうか。
「でも、ラウリ君だっているんだし。ねえエルハンさん」
恐る恐る口にした弟の名に、彼の眉は心痛を示すようにぴくりと動いた。
それを兄も見逃さなかったらしい、のだが。
突然、会議室の戸がドンドンと叩かれる。
外の警護の者が「今は幹部会合中だ!」と制止するが、「いれてくれ!」と聞き覚えのある男の声がした。
異変を察知したエルハンさんがすぐに立ち上がり、出ていこうとする。
しかし声の主は室内に入ってきて、長である兄に駆け寄ってきた。
「ケージャ! 頼む、どうかうちの息子だけは、ラウリの命だけは見逃してやってくれないか、あの子はまだ子供で何も分かってないんだ、だからーー」
「親父、やめろっ!」
息子のエルハンさんに止められるのも構わず、中年のゴウヤさんは兄の前に跪き必死にすがっていた。
いつも悠然と恰幅のいい体で俺に漁を教えてくれた彼の、そんな焦燥に駆られた姿は見たことがない。
俺が言葉を失う一方、場は騒然としていた。
しかし兄は腕を組んでじっと揺るがない。二人の親子を交互に見やる。
「おっさん。あんたの気持ちはよく分かる。……んで、お前はどうなんだよ、エルハン」
「……っ。私、ですか」
彼は黒い瞳をさ迷わせた。一同の注目が集まっている。
「弟がしたことは、許されることではありません……島の長に謀反を企てるなどということは、極刑に処するべき…ことで」
「お前、本気で言ってんのか。自分の家族より島の行く末のほうが大事だって? 俺にはまったく分からねえ。優太より大事なもんなんてねえからな」
隣の俺の肩を抱きよせて吐き出す兄の言葉には、鬼気迫るものを感じた。
エルハンさんの瞳が揺れ動き、ふせられる。
彼は肩を震わせ、どさりと床に膝をついた。
「私も、弟が大事です。辛い目にあってほしいなど、思ったこともない。出来ることなら、一番安全な場所にいてほしかった。そう思わない兄などいないでしょう。……部族長。弟の行動には、私にも責任があります。どうか私を代わりに罰してください。ラウリの命だけは、恩情をーー」
頭を下げる側近に対し、場は完全に静まり返り、兄の挙動に注目がいった。
俺も腕をぐっと掴み、祈りながら兄を見る。
「……ああ。よかったぜ。お前も普通の人間だな。ふん、兄貴ってやつは、そうじゃなきゃなんねえ。安心しろ。ラウリ君には手出さねえから。あんな右も左も分からなそうな少年、大方あの畜生に騙されたんだろう。俺はか弱いものの味方だからな」
兄のあっけらかんとした台詞に、親子は顔を上げる。
俺も思わず「本当っ?」と喜んだ。頭をくしゃりと撫でられ笑まれる。
だがその兄の笑顔が少し怪しい。
「なんてことだ。本当に、恩にきるぞ、ケージャ!」
「おうおう。俺はケイジな。分かってると思うが。発音気をつけてくれ」
「……あ、ありがとうございます、部族長」
喜ぶ父に加え、エルハンさんも肩の力が抜けて率直に安堵したようだった。それは偽りのない姿のように見えた。
会議室にいた部族民たちからも拍手と掛け声が飛ぶ。なぜか兄の寛大な心は皆にも評価を受けたらしい。
「ーーでな。その代わりと言っちゃなんだが、ガイゼルの処遇は俺が決める。皆、文句はないな?」
兄が突然そう言うと、一瞬静けさが広がったが、皆も「オオーッ!」と応え誰も反対するものはいなかった。
エルハンさんもしっかりと頷き、なにやら憑き物が取れたように兄を真剣な眼差しで見つめている。
「それでは、奴の今後については部族長に一任いたします。後程、地下の牢屋に案内させますのでーー」
側近の一声により、会議はお開きになった。
◇
地下牢はこの集会所にある。
俺と兄は護衛の人とともに暗い階段を下り、分厚い鉄扉の前に立った。
見張りの者に声をかけ、二人だけで中へと入る。
そこで見た光景は、意外なものだった。
太い金属の柵で作られた四角い檻は広く、二つ並んでいた。
しかし一方の檻だけに、男と少年がいる。
小麦色の屈強な体躯に民族模様の入れ墨がびっちり入った、黒髪オールバックの青年ガイゼル。
なぜか長椅子に座る奴の膝を枕にするように、すやすやと横に寝ている少年ラウリ。
彼らの安穏とした姿を見た俺達兄弟は、呆気にとられた。
「てめえ、随分のんびりいいご身分じゃねえか。ちゃんと反省してんのかコラッ」
「ちっ、うるせえな。こいつが起きるだろうが。やっとピーピー言わなくなったのによ…」
奴がラウリのさらさらした茶髪を触ると、水色の浴衣姿の少年は体をよじらせて目を開ける。
そして辺りを見回し、「わあっ」と飛び起きた。
「申し訳ありません、ガイゼル様! ぼくは寝てしまったようです…! そ、それに奥方様、部族長。おはようございます!」
「おはようラウリ君。ってもう夕方だけど。檻の中で休めなかったでしょう、大丈夫?」
俺は彼を心配し柵の前に寄った。恐縮するラウリだが、後ろの兄は変わらずガイゼルを睨みつけたままだ。
「あれ? おかしいんだよな。お前ら二人は別々の牢にぶちこんだはずだが、なんで一緒にいるわけ? ここは呪術による結界が張ってあると聞いたが。……まさかラウリ君、君がなにかやったのか」
芝居がかった態度で兄が詰問すると、少年は分かりやすく動揺を見せた。そして早々に禁忌を認めたのである。
「……ごめんなさいっ。ガイゼル様の命により、呪力を用いて結界を解き、こちらに移動したのです。そうしないと側仕えとしてのお世話が出来ませんから…っ」
苦渋の表情の彼に対し、当の主人は片膝を偉そうに立てにやついている。
俺は愕然とした。この子、そんなに強い力を持っているのか。
ならばここから抜け出すことだって簡単なはずなのにーー。
俺と同じ疑問を持ったのか、兄も前に進み出て腕を組み、彼らを注視している。
「そうか。君はこの外道にかなり心酔してるみたいだな。……そうまでしてここに留まるっつうことは、なんか目的があんだろ? ガイゼル」
低い声で牽制する兄に向かって、ようやくガイゼルが腰を上げた。
大柄な半裸の入れ墨男が近づいてきて俺は後ずさる。
しかし同じくマッチョの兄は微動だにせず奴を真っ向から捉えていた。
「おう、あるぜ。じゃなきゃこの俺が、自分の陣地でのうのうとお前らに捕まると思うか? わざとこの地区に侵入しに来たに決まってんだろ。……お前に俺の条件を飲ませるためにな」
奴はぶっとい腕を組んで声高々に告げた。
俺と兄は眉をしかめる。そして奴に詳細を吐かせた。
「……え? ええ!? 兄ちゃんと、決闘したい……って、そんなの無理に決まってんじゃん!!」
先に吠えたのは俺のほうだった。
なんとガイゼルは、俺の兄と正式な決闘を行い、念願だった部族長としての座を奪おうという考えだったようだ。
「おい優太、落ち着け」
「だって、兄ちゃんっ、おかしいよこいつ!」
うろたえる俺をやんわり制止する兄を見上げる。
「ほー。俺と決闘ね。心意気は買うけどなぁ、俺の弟を誘拐しといてそんなワガママがまかり通るとでも思ってんのか、この脳筋野郎は。俺はすでに長なんだよ。んな面倒くせえことして何の得があんだ。万が一負けたらどうする」
飄々と話す兄だがまるで冗談に聞こえなかった。
今、ケージャじゃなくて俺の兄ちゃんなんだぞ。悪いけどさすがにこんな血の気の多い戦闘民族、勝てないだろ。
「ははっ。何怖じ気づいてんだよ。長のくせによお、怖えならケージャに交代すりゃいいんじゃねえか? まあ俺はどっちのお前にも負けねえけどな」
「……嘘つけっ! お前絶対兄ちゃんのとき狙って決闘とか言ってきただろ! 卑怯者!」
「違えよばあか。こいつが勝手に変わったんだろ? まあ運も実力のうちっつうしな。せいぜいあがけよ。……だがな、俺も優しいんだぜ? 決闘を受け入れるんなら、お前らに良い話をくれてやる」
ガイゼルが後ろを振り向き、大人しく待機していた少年を呼んだ。
彼は遠慮がちに奴の隣につき、お辞儀をする。
「えっ? もしかしてラウリ君をお前の奴隷から解放してくれるのか?」
「はっ。んなわけあるか。これは俺のもんだ。……お前らに言いたいのはな、ケージャの記憶を見せてやるって話だよ。ラウリの呪術、『口寄せ』を使ってな」
耳慣れぬ言葉に俺はまばたきをした。しかしもともと民俗学を専攻していた俺の兄は、すぐに合点がいったらしい。
話を聞くと、口寄せとは簡単にいえば死者や生者を媒介として、シャーマンがその者達の記憶を探り、聞きたいことを喋らせるという呪術らしい。
「それは興味深いな。ラウリ君、君はそんなことも出来るのか」
「はい、部族長。もちろん祖母である長老には内緒ですし、島の掟としても男のぼくが勝手に行うのは禁じられてますが、ガイゼル様の命令であれば全力を尽くします」
透き通った茶色の瞳が真剣さを醸し出している。
正直、俺と兄は心が揺れたと思う。
彼の力はどうやら本物だ。それに俺達が知り得ないケージャの記憶というのは、謎につつまれていて、いわばこの島の伝承や秘密にも直結していると考えられるのだ。
「でも、決闘なんて……やっぱり駄目だよ兄ちゃん。俺心配すぎて無理だよ」
隣の兄の胸にくっつき、不安で見上げた。
珍しく思慮深い顔つきの兄が、ため息をつく。
「優太。やる前から負けるオーラ出すんじゃない。こんな野郎、俺がぶちのめしてくれるわ。それからあいつの記憶も隅々まで暴いてやる。……いいぜ、じゃあその決闘受けて立つ。ただし俺が勝てばお前は今後俺に一切服従すると誓え。加えて一週間優太の雑用係だ。ラウリ君は俺のアシスタントな。どうだ屈辱か? 楽しみに震えてろガイゼル」
「はっ。くだらねーこと言いやがって。だがただの人間のわりには、わりと勇気あんじゃねえか。まああれだ、怖くなったら人格交代すりゃいい。ケージャとなら俺も互角の戦いが出来るだろうからな」
「ふざけんじゃねえ! この体は俺のもんだ! 誰があの野郎にやるかッ。優太もだッ、わかったな!」
ぶち切れた兄に強く抱き寄せられて俺は思わず頷く。
こうして兄はやる気になったのか、がけっぷちに追い詰められたのかよく分からないが、ガイゼルとの決闘を受け入れるはめになってしまった。
ああ、心配だ。兄ちゃんが一対一で闘うなんて、本当に俺は近くで見てられるのだろうか。
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