夫婦になった兄弟 | ナノ


▼ 23 弟への道 (兄視点)

俺は悪夢を見ていた。
腕の中にいたはずの優太が、遠くで違う男の胸に抱かれて笑っている。

だがこちらに気づいた途端、瞳を潤ませた。

『兄ちゃん、早く助けに来て』
「ああ、待ってろ、今俺が行く……!」
『早く……じゃないと、……』
「優太っ!!」
『……俺、ケージャのこと好きになっちゃうよ』

ぽろっと涙を流して、入れ墨男の背に小さな体が隠される。
ーーなんという悪夢だ。
俺はあいつの名前を叫び、届かない手を伸ばし続け、その姿を追い求めていた。





「ぐっ…………ア、あ……ッ」

目を開けると、テントの中で半裸の男達に取り囲まれていた。
その中の一人が血のついた弓矢を他の者に渡し、掌から俺の肩へ緑の光を当てている。

これは精霊力による回復魔法だ。
俺はさっきまで弟の優太と住居のバルコニーで熱いキスをしていたはずだが、いつの間にかまた人格交代をして、敵から攻撃を受けたらしい。

だがそんなことは、今はどうでもよかった。

「優太は……どこだ、……連れ去られたんだ、……離せ! 助けに行かねえと……ッ」

体を起こそうとするが側近のエルハンに押さえつけられる。痛みは和らいだものの末端まで痺れがあり自由に動かない。

「くそッ……なんだこれは!」
「部族長、落ち着いてください、まだ毒が回っています、これをお飲みください」

奴から怪しげな青い汁を無理矢理飲まされる。むせて汗がどばっと吹き出し、体に悪寒が走った。
毒まで盛られたとは。敵の周到さに弟への焦燥が募る。

すると部族民が寝台近くに走り寄ってきた。

「エルハン様、これは西地区で使用されている鉄製の弓矢です。奥方様を拐ったのはやはりガイゼルの仕業かとーー」

その名を聞くや否や男達がうなり出し、場の空気が殺気立つ。
俺は男の名に覚えがあった。確か一度も幹部会合に姿を見せたことのない、粗暴で非協力的だと噂の西の統括者だ。

「……あの入れ墨男がそうなのか? ふざけやがって……島の長に対する立派な謀反じゃねえか!」

憤慨するとエルハンが俺を見つめる瞳を動揺させた。
すぐにでも策を講じなければならない、そう訴えると奴も同意する。ひとまず部下達に「武器を整え戦闘の準備をしろ」と命じ、テントから出て行かせた。

衛生担当によると、俺はまだ数時間程度は安静が必要らしい。逸る気持ちに頭を掻きむしりたくなる。

「部族長。あなたは……『ケイジ』ですね?」

二人きりになった途端に、黒髪のたくましい男が真面目な顔で尋ねる。手足が重く自分だけ丸腰の状態で見下ろされ、緊張が走った。

「なんだ……もう知ってるってわけか、お前も」
「ええ。奥方様とケージャ様から説明を受けました。あなた方が別世界から来たご兄弟であることも」

ひりついた視線を俺は挑戦的に払いのける。

「だったらなんだよ。俺はな、迷惑してるんだ。あの野郎に勝手に体を使われて、わけの分からん島で伝説の長とやらにされて。あげくの果てに大事な弟までひどい目に合わせてんだ……お前にその気持ちが分かるっつうのかよ、ああ!?」

溜まりに溜まった鬱憤を側近に吐き出すと、険しかった奴の表情に影が差す。言葉に詰まった様子で拳を握り、黒い瞳を伏せた。

「あなたの気持ちをすべては把握できないが、私にも弟がいます。……しかし、犠牲を払おうとも、それでも、あなたが島の長であることに変わりはないのです」

きっぱりと言い放つ奴を、俺はまだ疑いの目で見ていた。

「弟だと? 会ったことねえが。今度は何を隠してやがる」
「ーーケイジ。あなたが今日出会ったはずの子供です。それは15才の男子で、私の弟なんです。島の男で唯一長老と同じく強力な呪術が使えます。……おそらくガイゼルに言われ、今回の事件を共謀したのでしょう」

申し訳ありませんと、この男が見せたこともないような苦渋の顔つきで頭を下げてきた。
周囲の森には何の痕跡も残っておらず忽然と優太が拐われたことから、これは呪力をもつシャーマンのみが使用できる、転移魔法によるものだと話された。

「くそっ……なぜ俺は目を離したんだ……ッ……だいたいお前の弟は、なんで敵対している奴の所にいるんだよ、おかしいだろうが」

身内である大切な弟をなぜ敵に渡したのか、そもそも俺には理解できなかった。だがエルハンは長老の命だとだけ告げて、言葉を濁した。

不穏な空気が漂う中、外もいっそう騒がしくなってくる。

「部族長、エルハン様。北地区と南地区に伝書を飛ばしました。しかし嵐が近づいている為、増援はやや遅れるかとーー」

部下の出入りとともに新たな情報を得る。この森は拠点である東地区の管轄内だが、ここから西地区へは中央の火山を迂回する為もっとも遠い。

「医術師も呼んでくれ。話したいことがある」

そう部下に命じた。俺が居なかった間の事情を知るためだ。
側近は完全には信用できない。奴は長老の直系で、強い信念をもって長としての自分を必要としているからだ。


一時間後、ようやく体の感覚が戻ってきた。本拠地からも続々と武器が運び込まれる。狩猟の時と同様、機動力のよさには感心した。
それからほどなくして、野営地に医術師と助手の大男が到着する。

いつもの白衣姿ではなく探索用の出で立ちで現れた二人を、俺は寝台に横たわった無様な姿で迎えた。

「やあ、ケージャ。話は聞いたよ。ユータが大変なことになっているらしいな。……いや、君もだな。私達に出来ることならばなんでもしよう」
「ああ。来てくれて助かったよ、先生。だが俺は啓司だ。なんでか分からんが、弓矢を受けたタイミングで人格が変わったらしい」

時間を惜しみ、速攻で数奇な状況を説明した。長い銀髪を結わえた医師ジルツは助手の坊主の男と顔を見合わせる。

奴はひとまず魔法を使い、俺の体から毒素を一発で抜いてくれた。ゆるい波動が広まる精霊力とは異なり、冷たい爽快感が体内を吹き抜ける。

体力回復した俺は礼を言い、これまでの弟とあの野郎の状況を聞き出そうと思ったのだが、医術師ジルツはぴたりと静まり、口を濁した。

「言えないってどういうことだ。優太に何かあったのか?」
「いいや、そこまで悪いことではない。だが君がショックを受けることが心配なのでね……なあセフィ」
「……そうですね。……先生、もしかして……」
「お前も気がついたか。さすが私の助手だ、勘が鋭いな」
「えっ? どういう意味だ、おまえら何隠してんだ、早く言えよ!」

一人取り残された俺は、らしくもなく不安に押し寄せられる。

「ケイジ。先に君の人格交代についておさらいしよう。まず一度目は性交、二度目は口づけ。そして今回は突如攻撃を受けたことによるな。……一見まるで規則性がないと私も考えたのだが。実は共通項が潜んでいる。これは今私がひらめいた、完全な仮説だ。ーーずばり、君が『精神に大きな衝撃を受けたとき』に、人格が交代してしまっているのではないか?」

したり顔で丸眼鏡を光らす男に、反応が途切れる。
隣の助手もゆっくりと頷き、同調したようだった。

ショックを受けたら人格が変わるーー。それは人間の心や精神世界に重きを置く多重人格のスイッチ切り替えとしては、十分に考えられる推測らしい。

「マジかよ……でも、確かにありえるな。一度目は考えたくもないが、優太とのセックスもキスも、信じられねえぐらい良かったんだよな……」

そう、頭が揺さぶられるほどに。
俺はなにを他人の前でほざいているのだろうと考えたものの、もう無理矢理そうこじつけざるを得なくなってきた。

……だとしたら、次はどうやって? という不安が襲う。避けられるものなら避けたい。

「ああッ! 分かんねえよクソがっ!」
「ーーとにかく、今は過去のことはさておき、ユータの救出が最優先だ。そして後ほど、本人の口から聞いてくれたまえ」
「先生。面倒なことから逃げましたね、今」

二人の不吉な会話はさらに俺を苦しめたが、それよりも今はあいつの顔を一刻も早く見たい。
自分の腕に抱きしめて、何があっても俺の大事な弟に、安心を与えたかった。





ぽつぽつと雨が降ってきた。完全に日は昇ったが灰色の雲は分厚く、台風が近づいている。

胴に革具をかけ弓や刀を装備する。嵐に備えて雨具と靴も履き直す。
いくつかの隊に分かれ、今から西地区を目指すのだが、俺とエルハンは15人ほどの精鋭部隊で先陣を切ることになった。

「いいか、まずは我が妻、優太を救い出すことが第一だ! 西地区の統括者、ガイゼルは生け捕りにしろ! 本拠地まで引きずり出した後はこの俺がたっぷりと地獄の苦しみを味わわせてやるぞッ!」
「「オオーッ!」」

この時ばかりは本気で部族長を演じ、平地に集合した部下達の士気を高めた。
ここから西地区へは本来一日がかりだ。悪天候に足を引っ張られれば二日はかかる。それでは遅すぎる。

だがエルハンは、あるショートカット法が使える可能性を示した。
ちょうど今長老はここから五時間ほどの距離にある聖地「精霊の丘」で祈祷中らしく、その転移魔法で部隊を派遣できるかもしれないという。

あの女が簡単に協力するかは疑問だが、内紛は伝承達成の妨げになることは承知だろう。
俺達は雨が強くなる前にまず精霊の丘を目指すことにした。
各地区からも部隊を要請しており、西を取り囲む作戦だ。


二時間ほど歩き、ざんざんぶりになってきた。雷が遠くでとどろき、土がぬかるむ。
昔から親父とのサバイバル経験がある俺だが、こんな天候では普通は森を進まない。

湿っぽい汗をぬぐい、葉で作られた雨具の隙間から前だけを見る。
するとなぜかまるで体育会系に見えない医術師らが涼しい顔で時おり地形や植物を眺めながら、先頭を切っていた。

「おい、先生。あんたら足取りが確かすぎないか。ここらへん来たことあんのか」
「もちろんだ。我々は診察の日以外は、島の探索に力を入れている。もっとも西地区の人々は友好的でなく入れなかったがね。だから今回は楽しみで仕方がないのだよ」
「ーー先生。ユータが捕らわれているため、その言い方は不適切かと」
「そうだった。すまない。……だが、それ以上に中が気になっているのは、精霊の丘なのだ。エルハン、当然我々も同行していいだろう?」

ずっと緊張感を保ち無言で進んでいた側近に、医術師が話しかけた。

「はい。通常は幹部とシャーマンしか立ち入れませんが、今回は緊急事態ですから。……ですが、ジルツ殿。許可なく島の至る所に足を運ぶのはご遠慮下さい。あなた方はあくまで異国の客人なのです」

鋭い視線を医術師と助手に向けたあと、俺のことも一瞥する。
この男、俺が戻ってきてからさすがに警戒を強めている。それもそのはずだ、俺は奴の望む部族長ではないのだから。


それから数時間。幸運なことに大きな獣に出くわすことなく、一行は精霊の丘に辿り着いた。そこは島の中央火山のふもとにあり、俺達は薄暗い洞窟の内部へと明かりをもとに移動した。

島の四地区にはそれぞれ一人ずつ、祭祀を行うシャーマンがいるという。
その中のトップでもある長老が、洞窟の奥まった祭祀場で祈りを捧げていた。

屋内は想像よりも広く、天井も高い。きちんと整備されていて、神社の境内のようだ。祭壇と木目張りの広間には、装束をまとう神官の男二人と、紫の着物姿のムゥ婆が正座をしていた。

白髪の老女は俺達が来ることがわかっていたように、落ち着き払い振り向く。

「ほっほっほ。そんな汚らしいナリで神聖な場へ足を踏み入れるでない。身を清めよ」

すぐに命じられ、男全員、別区画の洗い場で体を流すことになる。
俺はイライラしながら、真っ先に終わり奴のもとに駆けつけた。

「時間がねえんだよばあさん!」
「ほう? 心配せんでも、ユータは無事じゃ。ガイゼルもそこまで馬鹿ではなかろう」
「なんで分かる」
「ワシには何でも視えるのじゃよ。伝承の成功さえもな」

こんなときでも夢想に夢中なのかと歯軋りが止まらない。
奴の前に部族民ともども整列し、膝をついた。

「長老。我々の部隊を送っていただけますか」
「かわいい孫よ。そうしたいところだがのう。今は祈祷中じゃ。全員は送れん。お主達四人でいいかの?」

その言葉に俺だけでなくエルハンも怪訝な顔をした。対象は側近と俺、医師と助手だ。
兵達も必要だと食い下がるがこの女は頑なだった。
仕方がない。俺達だけでも先に向かわなければ。

「長老。我々も一緒に向かっていいのですか? 随分と心の広いお方だ」
「もちろんじゃ、ジルツ殿。お主らがおらんと、ユータの居場所も分からんじゃろう」

にやり、と意味深に口にすると、医術師が眼鏡ごしの瞳を見開かせた。
ムゥ婆は訝しむ俺を見てこう言い放った。

「ケイジよ。急がんと、お主の大事なものは奪われてしまうぞ? さて、ユータはどちらに微笑むのかのう……ほっほっほ…」

あ? なんだと?
最後の最後に頭が混乱をきたす最中、長老が短い詠唱を行うと同時にあたりが紫のモヤに包まれ、俺達の体は消え去った。



「おい、ここはどこだ! 門の外じゃねえか!」
「ーー部族長! ガイゼルの番犬です! 伏せてください!」

転移した場所は、俺の想像を裏切る地獄だった。
なぜかあのババアは西地区の巨大な門の前に俺達を落とし、一回り大きな狼のような猛獣にものすごいスピードで狙われる。

「くそっ! 視界が悪すぎるッ」

雷雨と突風に巻き込まれながら刀を振り、なんとか斬り込もうとする。
奴らの目は血走り、赤い眼光が炎のように燃え上がって見えた。どう考えても通常の獣ではなく、術か何かで操られている禍々しさだ。

俺は精神統一をし、手のひらに精霊力を集め攻撃の呪文を唱えた。
それを奴らに当てていくが門の中から流れ出る猛獣にはきりがない。

部隊を置いてくるべきではなかった。
武道や魔法は使えても実戦の経験値が足りなすぎる。

舌打ちをして油断した俺は狼に襲いかかられた。
馬乗りになり吠える獣の牙に刃で交戦するが、重みに押しきられ首に噛みつかれそうになる。

「……ぐッ、う、……ッ」

その時、突如獣の瞳が白くなり、力を失い俺の腹に倒れてきた。
うなり声をあげるが、どさりと体から下ろされる。背後には雨に濡れたエルハンがいた。奴の魔法が当たったようだ。

「お怪我はありませんか」
「あ、ああ。悪い……」

差し伸べられた手を掴んで起き上がるが、奴は冷たい表情だった。

「やはりあなたは、ケージャ様ではありませんね……」

刀の血を払う、側近の瞳に宿る軽い失望の影。なんだとこの野郎。
あいつが俺ではないんだと詰め寄りたいがその気力もなかった。

「二人とも、あの光を見ろ! 援軍ではないか!」

どこからか医術師の声が響き渡る。奴らは奴らで、獣をマイペースにさばいているようだった。
しかし確かに、門の前に広がる平原の隅に、紫色の光が充満していく。
俺はエルハンと視線を合わせ、そちらに走り寄った。

なんとそこから現れたのは、派手な着物を着崩した金髪ドレッドヘアの男と、十人ほどの半裸の部族民だった。

「ケージャ、無事か!」

叫びながら背負った弓矢を取り出し、獣を撃ち取っていく。
援軍が来たことによりようやく隊形が整えられ、それぞれが剣や刀を振るう配置についた。

しばらくしてついに番犬の数が途切れる。
南地区の統括者、ラドが一目散に俺に向かってきた。

「ぎりぎりだったな、ケージャ。どうした、奥方殿が心配で力を奮えなかったか」
「ああ、そんなところだ。来てくれてありがとよ。お前、狩猟は嫌いなんじゃなかったか」

一言もらしただけで、この目ざとい男は動きを止めた。
俺は真正面から奴を捉える。だが意外にも奴はすんなり俺という人格のことを認めたようだった。

「……これは驚いた。ケイジか。覚えていてくれたんだな。本当に嫌いなんだ俺は、血なまぐさいものが。だが出来ないとは言っていないだろう? それに親友の危機には必ず駆けつけるものだ」
「……俺はお前の親友じゃねえけどな」
「ではケイジ、お前も今日から俺の友だ。一緒に弟君を救出するぞ」

発破をかけるごとく肩を叩かれ、変な野郎だと首をひねる。
しかしそう簡単に終わるはずもなく、門に連なる高い防壁から一斉に弓矢が降り注いできた。

俺達は盾や魔法を使い防御の姿勢をとるが、突然真後ろから白くまばゆい光線が射し込む。
今度はなんだと振り返ると、とどろく雷鳴の下で手をかざしていたのは医術師ジルツだった。

「ここは私とセフィが引き受けた! 君達は門の中へ進むがいい!」

叫ぶ奴の視線を追うと、敵の部族民達が巨大な光の壁に跳ね返った弓矢に打たれ、次々と倒れこんでいく。
助手の大男も固く閉ざされたはずの門壁に両手をかざし、「門が開くぞ、早く行け!」と促してくる。

俺は異国の魔術師である奴らの力量を目の当たりにし、呆然とした。

こんだけ強いならさっきの狼共もすぐに倒せたんじゃないか。
そう突っ込む間もなく、エルハンや部下達に合図をとった。

「行きましょう、部族長!」
「ああ!」
「ーー待て、ケイジ! ユータは二番目に高い樹木の塔の、三階に閉じ込められている!」
「……あっ!? なんであんたがそんなこと知ってんだ、先生!」

急ぐ足を引き留められ、訳もわからず叫んだ。
しかし奴に「今は話している時間がない、とにかく急げ!」とはぐらかされて俺は困惑しながらも踵を返す。

不可解なことが起こり過ぎていたとしても、今は進むしかない。
もうすぐだ。もうすぐ優太に手が届く。



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