夫婦になった兄弟 | ナノ


▼ 17 二人の決意

学校付近でムゥ婆との対立があったものの、俺とケージャは予定通り医術師のもとを訪れた。
丘の上の診療所のベルを鳴らしたが誰もおらず、兄に「裏庭に人の気配がする」と言われ、そちらに向かう。

白い洋館の裏にはテラスがあり、丸テーブルには白衣を脱いだ長い銀髪の男がいて、優雅にお茶を飲んでいた。

「先生、兄ちゃんを連れてきましたよ!」
「ーーおや、ようやく来たか。ユータと……ケージャか?」 

興奮した俺が兄の腕を抱いて頷くと、医術師は丸眼鏡を直して目をこらす。立ち上がり、落ち着いた様子で見据えるケージャに手を差し出した。

「私は君達の産科医、ジルツだ。君とは初めまして、でよいだろうか」
「ああ。前に来た男のことは忘れていい。俺が本当の部族長、ケージャだ」
「……ちょ、兄ちゃんっ」

がっしりと握手を交わした兄に突っこむが、俺は黙って腰を抱かれ、何も言うなと牽制された。
ケージャも俺と兄がここへ来たことは知っていて、おおよその目的も見当がついていたのだろう。

「面白い。ではまことに君がケイジのもう一人の人格なのだな。外見は同じだが、確かに風格が増している。……さて、積もる話もある。二人とも席についてくれ」

促されて、俺達は医術師とともに丸テーブルを囲んだ。真正面に広がる庭には植物園のような一角があり、大男の助手がなにやら栽培をしていた。彼は薬剤師で薬草を育てているのだという。

「その前に、ジルツ。あなたに聞きたいことがある。俺達がここに来る前、ムゥ婆が訪れていたな。何を話していた」

兄は疑いの視線を隠さず尋ねた。物腰は丁寧だが、この異国の医師に対し警戒を解いてないようだ。

「ふむ。確かに先程まで彼女とお茶をしていたところだ。来月、聖地で行われる儀式について話し合っていてな。……その場には島の幹部を含め、君の部下である三人の統括者らが代表で集うという。私と長老、君達夫婦の精霊力の他、彼らの力も合わせて一丸となり取り組まなければならないためだ。しかし、一人だけこの儀式に反対する者がいると聞いた。長老はその人物を懸念しておりーー」
「ーー先生。そこまで話していいのですか。内密の議題だったのでは」

長台詞をぶった切り、突然気配もなく坊主頭のでかい男が階段から現れ、俺はぎょっとする。

「ん? ああ、セフィ。もう作業は終わったのか。しかし、仕方がない。ケージャには初めて会うのだ。私は長老と密に接してはいるが、けして彼女の手先ではないことを知ってもらう必要がある」

まるでこの前と似た状況に、緊張して兄をうかがい見た。
ケージャは椅子に背を預け、太い腕を組み直している。

「あなたは俺の親友であるラドが異国で見つけ出した医術師だ。その腕は疑っていない。しかし今の長老は……どうも不審だ。俺の別人格のことを知っている様子だった。もはや信用できないのだ」
「……そうか。私も君の奇異な状況については、来島してから知ったものでね。そこにいる君の弟とケイジから説明されたのだよ」

医術師ジルツが俺に向く。自然と背筋が伸びると、さらに核心に迫ることを聞かれた。

「ユータ。この前約束した通り、君の兄の人格が入れ替わったということは、無事に性交を終えたということで、間違いはないな?」
「えっ。ええと……そうなんですけど…」

俺が口ごもったのは、きっとケージャがこの話題に怒るから、というだけではない。本当のことを言うべきか迷ったからだ。
隣の部族長はあきらかに殺気を放ち始めているし、だが医師も詳しく聞こうとしてくる。

仕方がなく覚悟を決めた。事態の解明に繋げるためだ。

「先生。実は、性交が終わっても兄のままだったんです。そのあと、キスしちゃって。それでケージャが……」
「なんだと!?」

大人の大声にビクッとなる。
隣の兄の形相は凄まじく、大激怒していた。

「……性交のみならず、接吻までしたというのか。なぜ、実の兄とそんなことを…!」
「だって兄ちゃんが勝手にやったんだろ、俺のせいにすんじゃねえよ!」
「それは俺ではない! ……クソッ、俺の妻に……ッ、許せん、そいつは何を考えているんだ!」

怒り狂う半裸の男に、医術師と助手の男の目が向けられている。
ああやっぱり喧嘩になった。毎回こうなるのも面倒になってきた。
ジルツがわざとらしく咳払いをする。

「落ち着くのだ、ケージャ。君がいかにユータのことを想っているかは分かった。しかし別人格への交代を促したのは、私だ。今回は口づけで変わったという理由は不明だが、君に会えてよかった。なぜならば聞きたいことがあってな。……それは、碧の民の「伝承の本」についてだ。……君はまだ、ユータに言っていないことがあるのではないか? この様子だと、ケイジも伝えてなかったようだが」

再び医術師に注目され、俺は急に喉が渇き始める。二人が秘密にしてることがあるのか?
「えっなに?」とケージャに聞くと、奴は見るからにギクリとした表情だった。

「別に知る必要はないことだ。お前は俺の妻なのだから」
「だからなんだよ? 何隠してるんだよ兄ちゃんっ」

真剣に問い詰めると、褐色の瞳を揺らしていた兄だったが、やがて観念して口を割った。

それは、ものすごく重要な伝承の達成についてだった。以前三つの項目を教えられたのだが、それに加えて簡潔に言うと、俺達夫婦が島にとって運命となる存在を誕生させれば、四つ目の項目として「異界の門が開かれる」らしい。

「……え? それって、無事に元の世界に帰れるってことか? 本当に? やったー!」

俺は素直に大喜びした。男達は呆気に取られているが、絶対にどこかでそういう漫画的な展開があると思ったのだ。こんなわけの分からない島に飛ばされて、普通は何かご褒美があって然るべきだろう。

だが我に返り、とっさにケージャを見やる。

「ていうか、どうして黙ってたんだよ、酷すぎるぞ兄ちゃん!」
「だから、言っているだろう、俺はお前とこの島で生きていくのだ! ユータ、お前を手放すつもりなど毛頭ない!」

肩を強い力で掴まれて愕然とする。しかし黙っているつもりはなかった。俺にだって使命があるのだ。

「そんなのダメだ! 兄ちゃんは俺の兄なんだよ、ちゃんと家族がいるんだ! 確かにここでの生活も大切だったかもしれないけど、兄ちゃんの居場所は元の世界にあって、この島じゃないんだよ!」

俺は目を潤ませながら説得を試みた。
でも、その言葉はケージャを深く傷つけてしまったようだった。

「それは、俺の居場所ではない。俺の家族は、お前だけだ……ユータ。元の世界に戻るだと……? そうしたら、俺はどうなる。どうやって生きればいいのだ……」

苦しげな眼差しに見つめられて、何も言えなかった。
俺の手首が、兄の大きな手に握られる。

「に、兄ちゃん、泣かないで…」
「泣くか。俺は……怒っているのだ。自分の、呪われた境遇に……ッ」

どうすればいいのだろう。
俺は無理矢理この男も兄だと思い込んでいたし、実際そうなのだが、やっぱりケージャなのだ。
兄を連れて帰りたいけど、どうなってしまうんだ?

「二人とも、まさに絶望的な顔をしているな。安易に元気を出せとは言えないが、医術師の私からは推測をしておこう。君達が無事に伝承を達成し、異界に帰れるとする。結論からいえば、その際二つ目の人格が消滅する可能性もあれば、しない可能性もある」
「……どちらなのだ、そこは大事だろう、しっかりしろ貴様ッ!」
「しかし私は精神科医ではないからな。君が消える可能性があるとすれば、この症例の発生原因が事故の後遺症やトラウマなどでなかった場合だろう。つまり、別世界に来たことの反動で必然的にそうなった場合が考えられる」

なんだか頭がこんがらがってくる。医師によると、多重人格障害とは本来ストレスやトラウマによる別人格の形成に起因することが多いらしい。
しかし発症すれば、普通は自然治癒では人格が統合されないという。よって何もしなければ兄ちゃんはこのままなのだ。

「この記憶障害が作為的なものだとは思えん。俺には自分が島の男だという自負も、感覚も確かにある。……だが思い出そうにも、記憶が定まらないのだ」
「……そうか。やはり症状としては心的、外的損傷によるものが近いな。ケイジの様子からもそう考えたほうがしっくりくる」

ジルツは俺をちらりと見る。自分自身は、事態の大変さというものを今さら痛感していた。兄の状況が特殊すぎて、何か出来ないのだろうかと胸が詰まる。

医術師はさらに多重人格に対する本来の治療法を述べた。
簡単にまとめると、別人格との協調的な意思疎通をはかる。怒りなどの強い感情をコントロールする。トラウマとなった原因の記憶と向き合う、などである。

「おい。怒りに対する抑制はなんとかしてみせる。自分とユータのためにな。だが、治療してどうする? 人格が統合されたら俺は消えるのだろう? そんなことは認められん!」
「まだ分からないと言っているだろう。いずれにせよ、君は島の伝承を悲願していたはずだ。今の話を聞いて、儀式を無事に終わらせる決意は揺らいだか?」

ケージャは首を振る。どうやらその問いには迷いはないようで、俺はほっとした。
卑怯だと思われようが、どんなに試練が待ち構えていようが、俺は兄と誓ったのだ。一緒に帰ると。

「本当? じゃあ一緒に頑張る? 兄ちゃん」
「お前は……分かっているのか。俺に抱かれるのだぞ。あれだけ嫌がっていたというのに……そんなに兄と帰りたいのか?」
「だ、だって、兄ちゃんと帰りたいんだよ!」
「俺はここに残る。お前とともにな、ユータ。もう決めたのだ」

向き直り、頬に手を伸ばされる。
愛おしげに撫でる兄は頑固で、聞き入れない顔だった。

「ふむ。いずれにせよ、事は長老の思惑通りに向かっているようだ。彼女のことはこちらでも探りを入れよう。君達はとにかく夫婦生活を頑張ってくれたまえ。……それと、ケージャ。さきほどの話だが、伝承に反対する者とは一体誰なのだ? 君に心当たりはあるか」

あけすけに俺達を鼓舞する医術師だったが、真剣な様子で尋ねてくる。ケージャは迷いなくその名を口にした。

「あるぞ。西地区を統括するガイゼルだ。あいつは俺が部族長になった際もしつこく異議を唱え続け、俺とユータの婚礼の儀にも姿を現さなかった。威勢がよく、なんとも面倒なやつだ」

不快そうに口にする。確かに結婚式のとき、そういう話を聞いたかもしれない。
俺だって変な儀式には本当は反対だが、妨げられるのは困る。

「だからお前は奴に近づくなよ、ユータ。俺のそばにいれば心配いらんが」
「う、うん。わかったよ兄ちゃん」

さっきの言い合いも忘れ、素直に頷き合う。
色々あったが、話も済んだことだし、もうそろそろお暇しようと思ったときのこと。
医術師ジルツが最後に余計なことに口を挟んできた。

「ところでユータ。君も悩ましい所ではあると思うが、その強い意志を見込んで提言しよう。兄との性交は、単純に好きなほうと多めにすればいい。これは私の意見だが、口づけが人格交代の合図であるとするならば、主導権は君がもつべきだ。受け身側なのだからな、その決定権はあってもいいだろう」

あまりに歯に衣着せぬ物言いに俺はあんぐりと口を開けた。確かに助言はありがたいが。
医師はあっけらかんと隣に立っている助手に向く。

「セフィはどう思う?」
「俺もそれがいいかと。しかし兄二人が納得するとは思えませんが」

冷静でもっともな答えだ。現に俺の兄は隣でわなわなと震えていた。

「……貴様ら、余計なことを言うな、ユータは俺が抱くのだ。そして俺はユータと接吻はしない。死ぬほど苦しかろうが、耐えてみせる。……しないといったらしないのだ!!」

机をどん!と叩き、皆に宣言をされた。
そんなこと言われても。
俺は一気に頭を抱えたくなる。

マスクをした助手の大男が、また俺を同情的な目で見下ろした。

「あんたの兄は、どちらも面倒くさい男だな」

ただ一言呟かれたその言葉に、耳が痛かった。



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