▼ 14 二人の兄
「あー……すげえよかったな……」
朝焼けが美しいバルコニーの柵にもたれ、浴衣を羽織った俺はひとり、ぽつりと呟いた。
片手で葉巻をふかし、軽く吸って香りを楽しむ。
これはあの野郎の書斎からくすねたものだが、俺好みの味でまた腹が立つ。
優太を抱いてから数時間が経ち、すやすや幼い寝顔を見ているうちに、逆に眠れなくなってしまった。
真下の森を眺めながら、さっきから頭の中で反芻している。
禁じられた弟とのセックスが素晴らしいものだったということ。
そして俺はまだ、「あいつになっていない」という事実だ。
「……はは……やっと取り戻せたのか。ざまあみろ、クソが」
弟の前では出せない口汚い感情が現れる。
伝承の謎を明らかにする必要はあるが、俺が自我を失わなければ、このまま優太を離さずに抱いていれば、日本に帰れるかもしれないのだ。
この狂った孤島から、弟を帰してやれる。
それが出来るのは他の誰でもない兄貴の俺なのだと、さらに確信が募っていく。
ふいに背後からぎしり、と床板を踏む音がした。
振り向いた先には、浴衣がはだけたままの優太が、ぼさついた頭で立っていた。
「兄ちゃん……何してるの?」
疲れているのか、まだ寝ぼけ眼でゆっくり歩いてくる。
俺はすぐに葉巻を皿の上に置いて隠し、優太を手招きした。
教育上よくないと、こいつの前では煙草を吸ったことがなかったのだ。
「優太、もう起きたのか? まだ寝とけよ。眠いだろ」
目の前に来た弟の浴衣の帯を直してやりながら、そっと促そうとする。
正直言うと、これは自制のためだ。
抱いたばかりだからかもしれないが、弟のすらっとした細い手足に、どこか浮わついて見える色っぽい表情が、非常に目に毒だった。
「なんか匂いがする……ケージャみたいな」
しかしこいつはやはり平常運転だ。
くんくんと鼻を胸に近づけられ反応しそうになるが、俺は奴の肩をやんわり押し返す。
「おい。それは酷いんじゃないか優太、あんなに良い夜のあとでよ……」
だが自業自得だと肩を落とす。
俺を不思議そうに見上げる優太が、やがてほんのり頬を染め上げた。
「あの、兄ちゃん。お願いがあるんだけど…」
「ん? なんだ」
「……お風呂入りたくて」
もじもじし始める弟の姿に注意を引かれる。
「俺と一緒に入りたいの? 珍しいなお前」
「ち、ちがう。……だって早く出さないと、お腹壊しちゃうって……兄ちゃんが言ったんだろ」
ああ。すぐに合点がいった。
どうやら初めて俺が目覚めた時、中を探って掻き出してやったのを、覚えていたようだ。
俺は感情に押されるままに、優太を上から抱き締めた。
「んあ! なに、すんだよっ」
「可愛いなぁお前って。そんなすぐ壊さねえよ。まぁちゃんとやってやるから、兄ちゃんに任せとけ」
子供扱いのようで恥ずかしかったのか、若干潤んだ瞳で睨まれた。
俺はもともと重度のブラコンだという自覚はあるが、どんどん弟に対し、新しい感情の芽生えを意識していく。
抱き締めたまま離さずにいると、優太は呆れたのかじっとしていた。
奴の黒髪を撫でながら、話しかける。
「なあ。すごくねえ? 俺まだ変わってないだろ。俺のままだ」
腕の中でピクリと動いた優太は、そっと顔を上げた。
俺は平静を装っていたが、実は弟の反応が気になっていた。
「ほんとだ。兄ちゃんのままだね」
ほっとしたような表情はどこか明るく、微笑んだように映った。
鼓動が静かに脈打っていく。俺は弟の澄んだ瞳から、目を逸らせなかった。
「なんだよ、嬉しい?」
気持ちの高まりを抑え尋ねると、優太はこくりと頷いた。
「……うん、嬉しいよ。だって俺の兄ちゃんだし……一緒にいてほしいから」
照れくさそうに告げられた瞬間、心臓の音が急激に広がっていく。
こいつは、さっき俺たちが何をしたか、分かっているのだろうか?
あいつに変わらなければ、詳しい手がかりは掴めないだろう。
進展を得るために俺に抱かれたのだと、弟の強い決意を、俺も知っていたはずなのに。
「優太……安心しろ、俺がずっと一緒だ。俺がお前を帰してやる、一緒に戻ろうな……」
だが、あいつは消えちまった。
そうだ。もうぐちゃぐちゃと考える必要もないーー。
親指で頬を撫でると、弟が少し目を見開いた。
ああ、こうしているとさっきまでの触れ合いを思い出し、高ぶってくる。
「兄ちゃん……?」
俺のことを呼んだ優太の唇をなぞり、俺はもう、我慢するのを止めた。
ゆっくり自分の口を近づけ、塞ぐように押し付ける。
「んっ、んん……っ」
重ね合わせたまま抱き締めると、背中に回された優太の手が、俺の浴衣をぐっと引っ張った。
名残惜しく口を離す。真っ赤になった弟が、わずかに口を開けていた。
「な、いきなり何してんだよバカッ、頭打ったのか!」
「打ってねえ。俺は本気だ。なあもっとしようぜ」
腰を引いた優太の体を離さないよう、しっかりと密着させてまたキスをする。
顔を傾け、何度も何度も柔らかい唇をはむ。
ああ、甘くて痺れる。
体だけじゃない、こんな味をしていたのかと、知るべきでなかったことを一気に知ってしまい、目眩が起きそうだ。
だが火照った体はとめられない。
「ん……ふっ……に、ちゃ……っ」
「……優太、口あけろって…」
弟が息継ぎをする合間に、舌をそっと潜り込ませた。
奴の小さなそれを絡めとり、濡らしていく。
我を忘れたように口づけ貪った。
時間を忘れるかのように、弟を腕に閉じ込めて。
満たされていた。
だが、次第に目眩が強まっていく。
「あー……やばいお前の口……何でそんな気持ちいいの」
「んむっ、もう、や、離して兄ちゃんっ」
途切れさせた代わりに、線の細い体をぎゅっと抱き締める。
俺は何をしてるんだ。
まだ優太の文句が聞こえたが、満ち足りるあまり、どんどん意識が遠ざかっていく感覚がした。
「ーーんん、兄ちゃん重い、俺に寄っ掛かんなよ…っ」
閉じたままの瞼が、細かに痙攣する。
耳元で鳴るのは、すでにこの身になじんだ心地のよい声だ。
やがて身じろいでいた華奢な体が、ぴたりと動きを止めた。
「……大丈夫? ねえ、どうしたの?」
ユータが俺の後ろ髪に触れ、そっと指先をもぐりこませ、優しく撫でてくる。
こんなふうに目覚めるのも、悪くはない。
しかしゆっくり瞳を開けると、そこは寝台の上ではなかった。
何故か二人とも寝衣を着て、外の露台に立っている。
「なんだ……なぜこんな場所に…」
俺は体を起こし、腕に閉じ込めたままの妻の顔を見た。
黒い瞳が不安げに揺れている。
「どうした、ユータ。怖い夢でも見たのか?」
頬に手を当て尋ねるが、俺の妻は何も答えず、ただ立ち尽くしているように見えた。
おかしい。
どう考えても、俺達はさっきまで寝台の上で睦み合っていたはずだ。
俺は一糸まとわぬユータの上で果てたばかりで、その後、強い眠気に襲われた。
「兄ちゃん……?」
妻がやっとのことで声を絞り出したかに見えた。
潤んだ瞳が、朝の日の光に照らされている。
「おい。なぜ泣いているのだ? 大丈夫か、ユータ」
俺はおぼつかない自分の現状よりも、大切な妻のただならぬ様子に動転した。
「……やっぱり、消えちゃったの、兄ちゃん」
小さく呟いたユータがぽろぽろと涙をこぼす。
同時にきりきりと、この胸が痛んでいく。
「何を言っている、俺はここにいるぞ。ああ、泣かないでくれ……ユータ」
初夜を迎えてもなお、俺を兄と呼ぶ妻に対し、反感以上に心配が勝った。
抱き締めても、ユータは俺の胸でぐずっている。
きっと心細いのだろう。
この島へ来て以来、ずっとそうだった。
異界から突然連れて来られたのだから、当然だ。
ユータの気持ちをもっと推し量ってやりたい思いはある。
しかし長らく待ち続けた運命の妻を、もう手放すことは考えられない。
ユータは俺を兄と呼び続け、夫となることを認めたがらなかった。
それでもやっと、婚礼までこぎ着けたのだ。
これからは夫の俺がユータを支え、全てを受け入れ、愛すると誓うーー。
「朝は冷えるだろう。ほら、もう部屋へ戻ろう。お前の体も、休ませなければならない。昨夜は初めてのことばかりで、疲れただろうからな」
優しく告げて、額に口づけを落とす。
ともに室内へ戻るよう促したが、ユータは首を横に振った。
「……違うんだ。兄ちゃんは……ケージャは、ずっと眠ってたんだよ。だから昨日は、俺たちの初夜じゃない」
また俺の妻がおかしなことを言っている。
しかし俺を名前で呼んでくれたことが、嬉しかった。
「寝ぼけているのか? 昨夜は俺達の初めての交わりだ。……素晴らしかっただろう?」
ユータは緊迫した表情で、俺の両腕を強く握ってきた。
そして次の言葉に、妻の口から放たれた非情な台詞に、俺はこの先ずっと、苦しめられることになる。
「……お願い、信じて。ケージャは兄ちゃんなんだよ。俺の兄の、もうひとつの人格なんだ。この二週間、ケージャが眠っている間、俺はずっと兄ちゃんと一緒にいた。ずっと夫婦のふりをしてきたんだよ……!」
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