夫婦になった兄弟 | ナノ


▼ 11 親友と異国のお医者さん

あれから一週間。
見張り番が来るごとに、俺と兄ちゃんの「営みのフリ」は続いた。

兄が気をつけてくれたおかげか、恥ずかしい粗相は最初の一度きりだったが、俺の羞恥と疲労は蓄積されていく。

そんな中、進展を望める出来事が起こった。
島の南に位置する港に、交易船が到着したのだ。

なんでも大陸の異国相手に、物資や武器類などの輸出入を行っているという。
それには狩猟で得られる素材はもちろん、鉱山から取れた鉱石類、この島でしか採取出来ない薬草等も含まれている。

俺たちはさっそく南地区にある港へ様子を見に行った。ちなみに徒歩で数時間かかったが、兄ちゃんと幹部達は馬のような生き物に跨がり、俺は部族の男たちに乗り物の籠で運んでもらい、なかなか快適だった。

港では広い青空の下、船場には整然と小舟が並べられ、少し離れた場所には一際大きな貨物船が停泊していた。

部族民や商人達で露店が賑わう中、俺は部族長の妻として、買い物に来ていた。

兄がお金代わりとなる鉱石を手に、衣服を購入してくれる。
結婚式の服を作ってくれた衣服屋の母娘に、服を見繕ってもらっているのだ。

「あの、俺はとくに服にこだわりないので、動きやすい質素な服でいいんですけど…」
「何言ってるんですか、奥方様がお洒落すれば旦那様もお喜びになりますよ。ほら、この橙色のお召し物はどうですか?」
「ええっ……これ完全に女物ですよね。ちょっとな……兄ちゃんどう思う?」

断るのが苦手な俺が助けを求めると、兄は難しい顔で腕組みをしていた。

「あのな、優太。俺が可愛いと思う男はお前だけだが……正直そういう趣味はない」

いきなり何言い出すんだと思いつつ、ケージャと全然違う嗜好で安心した。
母娘には驚かれたが、結局スカートやワンピースの類は購入せずに済み、無難な麻や綿などの衣服を手に入れる事ができた。

その後、港の露店でエルハンさんと共に島の物資や武具をチェックしていた兄に、思わぬ人物が近づいてきた。

「ケージャ!」

よく通る男の声に、俺たちが振り向く。
後ろに結った金髪のドレッドヘアが目立ちまくる、背の高い外国人ふうの男だった。

日焼けはしているが部族民のように布切れ一枚ではなく、何枚重ねの浴衣を着崩した格好で、かなり派手だ。

「……え。なんかやべえ奴来たぞ」

ぼそりと呟く兄ちゃんに向かってきた男は、目の前まで来ると、腕を広げてそのまま大げさにハグをした。
俺の兄は真顔で停止している。

「お前の顔を見るのは久々だ、元気そうだな。結婚式に出れなくて悪かった」
「……お、おう。別に…気にすんな。たいしたことじゃない」

その男は一瞬、金色の眉をひそめた。

「何を言っている? お前、あれだけ俺にしつこかっただろう、仕事を下に譲れと。だが他国との交渉は、この俺でなければならんからな。許せ、ケージャ」

整った顔立ちが、自信に満ちた表情で語っている。
この人は、ケージャの友人なのだろうか?

兄ちゃんは真っ直ぐ彼を見ているが、無反応だ。
誰なのか分からないのだから仕方がない。せめて部族長として、ボロを出さないようにしないとーー。

緊張していた俺に、ドレッドの男の青い目がキラリと向けられた。

「奥方殿。挨拶が遅れて申し訳ない。俺はあなたの夫であるケージャの親友、ラドという者だ。島の交易と、南の地区の統率を任されている。島の生活で困ったことがあれば、何なりと言ってくれ」

そう述べた彼はなんと腰を屈め、俺の手の甲を取って唇を触れさせた。

男相手に何をやってるんだと思うのだが、その慣れきった優雅な振る舞いに、むしろ半分感心してしまう。

「あっ、あの。よろしくお願いします。ラドさん。俺は優太といいます。お気遣いありがとうございます」

背を伸ばした彼にお辞儀をすると、大人の笑みを向けられた。
隣では兄ちゃんが、無言でぴりっとした空気を醸し出してるのを感じる。

ラドさんは、俺たちの少し後ろにいたエルハンさんにも目を向けた。

「よう、エルハン。こいつの結婚式はどうだった?」
「無論すばらしい儀式だったぞ、ラド。お二人の崇高なお姿を見逃すとは、可哀想な男だな。俺には考えられん」
「相変わらず辛辣な奴だ。お前は少しケージャに心酔しすぎじゃないか」
「それは致し方ない。ケージャ様はいわば島の未来を担う救世主。伝承にもあるように、何者もその代わりを務めることは出来ないのだからな」

二人が仲良さそうに喋っているのは意外だった。
側近の彼は元々この部族の長だったのだから、年も近そうだし、友達同士のような関係なのだろうか?

「ところでケージャ。お前ともう少し話がしたい。集会所に行かないか?」
「あー、そうだな……まあいいけど。優太も連れてくが、いいよな」

手を握られた俺は、二人を交互に見つめる。
ドレッドヘアの男はにやりと目を細めて頷いた。

「もちろん構わないが。なんだ、片時も離れたくないのか?」
「ああ。そうだ。新婚だから余計にな」

すっかり夫婦になりきっている兄は、そう断言した。


その後、俺たち三人は、港から程近い集会所の建物に向かった。
涼しい風の通る客間のような場所で、長椅子に腰を下ろす。

そこで向かいに座ったラドさんは、ケージャとの思い出話を教えてくれた。

彼はそもそもこの島の出身ではなく、大陸で生まれた異国人なのだという。
交易船で働く父と暮らしていたが、幼少時に父を亡くし、親交のあった「碧の民」の里親に引き取られたのだと話してくれた。

ケージャとは互いに「部族の外から来た者」という共通点があり、新参者でありながら、その確固とした強さや統率力に引かれ、一目置くようになったらしい。

「まだ三年足らずだが、多くの時を共にした。奥方殿、彼の人格は俺が保障する。情に厚く、少々強引なとこもあるが責任感の塊のような、素晴らしい男だ」

いい話ではあるのだが、隣で黙ったままの兄ちゃんの、貧乏揺すりが止まらない。
険しい顔つきで、相当苛立っていることが分かる。

自分達の集団では感じにくかった、客観的なケージャの評価を目の当たりにしたのだから、無理もないだろう。

その後も親友であるラドさんから「狩猟嫌いの自分が無理やり戦わされた話」だの「大事な交渉で不利だったがケージャの乱入で助けられた話」だの、様々な話を振られるが、兄ちゃんは「へー。んなこともあったっけ」と、やる気のない返答をするだけで、まったく噛み合っていなかった。

俺は隣でひとり焦るものの、助けることが出来ない。
何も知らないのだから。
ああ、こんな時エルハンさんがいてくれればーー。

「ケージャ。お前、なにか様子が変だな。どうした?」

しかし、適当に相槌を打つ俺たちに、だんだん疑いの目が向けられていった。

「悪いが、色々疲れが溜まっててな。部族長にも色々あるんだよ」

投げやりに答えた兄ちゃんは、隣にいる俺に向き直り、その鋭い瞳で見つめてきた。

「ああ、今のところ俺の癒しは、お前だけだ。優太」

ため息混じりに抱き寄せられ、頭を撫でられる。
裸の胸板が間近にきて、一瞬よからぬ事がよぎってしまう。

「ちょ、兄ちゃん、人前でやめろって…!」
「いいだろ優太、恥ずかしがんなよ。俺達は夫婦なんだから。な?」

まるでケージャのようなことを、甘い声で言う兄に戦慄する。
一連のストレスで気が触れてしまったのだろうか。

ラドさんが一瞬俺のことを、不思議そうな瞳で見やった。
少し考えた後で長椅子から腰を上げる。

「まあいい。ケージャ、ちょっと別室に来てくれ。お前に見せたいものがあってな」
「なんだよ、ここでいいだろ」
「いいや、仕事の話だ。……分かるだろう?」

じっと見つめられ、不穏な空気が立ち込めた。
兄は渋々と立ち上がり、彼と奥の部屋に消えた。

どうしよう。
まさかボコられてないよな、兄ちゃん。いや、強いから大丈夫だろう、魔法も使えるようになったし。

でも、正体バレたりしてないよな。

木の壁が分厚いせいか、中の様子が分からない。
居ても立ってもいられず、俺は長椅子から立ち上がり右往左往していた。

やがて二人が扉から出てきた。
兄の表情を見てびっくりする。

眉間に深いシワを寄せ、拳を固く握っているように見えた。
心配した俺は思わず駆け寄る。

「どうしたの、兄ちゃん。大丈夫か?」
「……ああ。何でもねえよ、優太」

そっと頭を触られるが、とてもそうは見えない。
何か言われたのだろうか? 気になって仕方がない。

「奥方殿。あなたの夫は一体どうしたのだ? 俺にはどこか……以前とは別人のように感じるのだが」

心臓がどくりと鳴る。
恐れていたことが、起きたのか。

「それに、もう一つ不思議なことがある。……なぜ奴を兄と呼ぶ?」

至極もっともな問いに、俺は答えに窮した。
だって本当に兄ちゃんだからとは、言えない。

押し黙っていると、グッと上から肩を抱かれた。

「あのな、俺がそう呼ばせてるんだ。もっと可愛いだろーが。いいから人様の趣味に文句つけんじゃねえ」

おいちょっと誤解を招くような言い方しないでほしい。
俺も気をつけなきゃいけなかったが、余計に変な風に思われてしまう。

ラドさんは怪訝そうに首を捻った。

「おかしな奴だ。何かあったのか? 何故俺に話してくれない」
「何もねえよ。しつけえ野郎だな。もう行くぞ、優太」

兄ちゃんの様子がおかしい。
焦燥と怒りが入り混じったような、何か独特の威圧感がちょっと怖い。

その時だった。

客間の扉が開かれる。現れたのは先ほど別れたエルハンさんだった。
目が合うなり深々と礼をした彼を、まさしく救世主のように感じたのだがーー。

意外なことに、その前に、もう一人の小さい人物が入ってきた。
薄紫の着物を羽織った、長老のムゥ婆だ。

「こんなとこにおったのか、二人とも。集会所でラドと仲良くお喋りか?」

部屋の真ん中までゆっくり歩いてくる長老に、ドレッドの男が近づき、恭しく一礼をする。

「ただいま帰りました、長老。彼らを引き留めてしまったのは俺ですよ。久しぶりに会ったものですから、つい盛り上がってしまいましてね」
「ほほほ。そうじゃったか。まぁ別に邪魔する気はないんだがのう。……ところで、ケージャとユータよ。お主たちに会わせたい者がいるのじゃ。船でやって来た異国の客人でな。ワシについてきてくれぬか?」

後ろに手を組んだムゥ婆が、にこりと笑んだ。

助かった……のか?
いや、この長老の怪しさは一番やばい。

「分かった。優太、行くぞ」

だが兄ちゃんは、とくに反抗することもなく素直に従い、俺の手を引いた。
驚いた俺は慌ててついていこうとする。

「待て、ケージャ。今度は俺の集団を訪れてくれよ。奥方殿も一緒にな。待っているぞ」
「ああ、暇があったらな。じゃーまたな」

兄は素っ気なく返事をし、ひらひらと手を振ってその場を後にした。


集会所の木目の廊下を、長老とエルハンさんの後に続き、ひたひたと歩いていく。
だが俺の頭の中は、すっきりしないままだった。

依然として黙りこくった兄を放っておけない。
緊張を押しやり、俺は口を開いた。

「ムゥ婆。あの、すみません。俺ちょっと兄ちゃんと話したいことがあって……すぐに行きますから、少しだけ待ってくれませんか?」

目を丸くする兄の腕を掴み、頼みこんだ。
ぴたりと足を止めた長老だが、意外にもすんなり白髪頭を頷ける。

「まぁ良いが。なんじゃ、もう二人きりになりたいのか? お熱い夫婦じゃのう。……ではエルハン、あとの案内はお前に任せよう。よいな」
「はい。分かりました。ーーでは奥方様、部族長。私は建物の外で待っておりますので」

了承を得た俺は、静かに二人を見送る。
完全に姿が見えなくなった後、すぐに兄ちゃんを、集会所の空き部屋へと連れ込んだのだった。



そこは薄暗い書庫室のような場所だった。
棚にずらりと並ぶ書物を背に、俺は兄から話を聞き出そうとしていた。

「兄ちゃん、どうしたんだよ。さっき、ラドさんと何かあったのか?」

心配して尋ねるが、兄のどこか冷めた表情は変わらず、下を向いて黙っている。
不穏だ。まだ怒っているのだろうか。

「ねえ、ちゃんと俺に話してーー」
「大丈夫だって言ってんだろ、お前は何も考えなくていい」

素っ気なく言われて、カチンときた。
高い位置にある兄の胸元にどんと手を押しあて、精一杯にらみつける。

「なんだよその言い方! 俺は、この島で兄ちゃんしかいないんだよ! それなのに兄ちゃんに突き放されたら、どうすればいいんだよ、このバカ兄貴!」

怒りで涙ぐみながら必死に訴えた。俺だって不安なのに。
急にそんな態度とられたら心細いし、寂しい。

行き場のない思いを兄にぶつけると、突然俺の体はがっしりとした裸体に包み込まれた。
黙ったままの兄ちゃんに強く抱きしめられている。

「に、兄ちゃん……?」
「……悪かった。俺だってお前しかいねえよ。だから、そう泣くなって…」

普段なら恥ずかしがる触れ合いなのだが、まれに見るほどの弱々しい声に俺は心配が募った。

なんだか、元気がないようだ。そりゃそうだよな。
親友だという人間までいきなり現れて、自分の知らないことをぺらぺら話されて。いい気分なわけがない。

俺は兄の気持ちに寄り添わなきゃいけないのに、考えが足りなかった。
無言でやたらと長いハグが気になり、俺はそれ以上何も言わず背中をさすった。

「慰めてくれてんのか…?」
「うん。元気出して。俺がいるから大丈夫だよ」

すると兄が俺の肩にくっつけていた額をゆっくり上げる。

「すまん、優太。……俺が怒ってんのは、あいつと、何も出来ねえでいた自分自身にだ。お前に一番つらい思いさせてんのにな……」

苦しげに、やるせない表情をする兄の前で、急激に胸がしめつけられていく。

「違うってば。一番大変なのは兄ちゃんだし、俺のことは気にしないで。確かに、わけの分からないことに巻き込まれてるけど、俺はここに来たこと後悔してないから」

断言すると、兄は見開いた瞳を不思議そうに歪める。
今こそ、普段は言えない気持ちを話すチャンスだと思った。

「俺ね、この三年すっごい寂しかったんだ。もう兄ちゃんは死んだってことになってて、あんなに明るい父さんも母さんも皆、諦めモードでさ。……でも俺は信じたくなかった。諦めたくなかった。俺、昔はずっと兄ちゃんのことうざがってたし、可愛くない弟だったかもしれない。そのこと、ずっと後悔して……だから今、本当は兄ちゃんにまた会えて、すごい嬉しいんだよ」

顔を胸に押しつけて見えないことをいいことに、恥ずかしい言葉を連発した。

「俺は絶対兄ちゃんと一緒に帰りたい。もう一度家族に会わせて、また皆で仲良く暮らしたい。そのためなら、どんなことでもするから。だからお願い、一緒に頑張ろう?」
「……っ、優太……ッ!!」

感極まった兄に折れそうなほどの力で浴衣が抱き締められる。
えっ。どうしたんだこの人。もう元気出たのか?

恐る恐る視線を合わせると、いつもはキリっとした涼しげな目元がうっすら潤んでいる。

「お前、いつの間にそんな成長したんだ……一丁前に大人なこと言いやがって……。俺も、ぜってーお前を元の世界に連れ帰ってやる。約束だ。……ありがとな、優太」

見つめ合って熱いメッセージを伝えられ、俺も喜びとともに頷いた。

「うんっ。約束な、兄ちゃん!」

照れながら答えると、体を離され、じっと瞳を見下ろされた。
俺の両頬ががしりと手のひらに包まれる。
嫌な予感がした俺は混沌の眼差しで兄を見た。

すると、なぜだか兄は俺の心の底を見透かすような深い視線で、顔を近づけてきた。
え? ……キスされる!

「ちょっ、何やってんだあんた!」

びびった俺はとっさに避け、兄の唇は俺のほっぺたに当たった。
信じられない。今何が起きた?

「……ん? なんだ? 俺いま、何しようとした?」
「知るか変態、バカっ!!」

さっきまで感動的な雰囲気だったのに、兄がぶちこわした。
まるでケージャみたいな振る舞いに動揺する俺をよそに、兄ちゃんは首をひねって怪訝そうにしている。

いや、違う。気のせいだ。
ふざけただけだ、あんなの。

「あー、……なんか間違えちまったな。ここにしようと思ってたんだわ」

ごまかすように、俺の前髪を払っておでこにキスをしてきた。
当然俺は真っ赤になる。またぎゃーぎゃーわめくと、兄は開き直った。

「おい落ち着けって。別にいーじゃねえか、こんぐらい。昔よくしただろ?」
「あんたが勝手にやったんだろ!」
「あんたじゃねえ、お兄ちゃんと呼びなさい」
「うっさいバカ兄貴っ!」

頭にまとわりつく手をぐしゃぐしゃ払うと、もう楽しそうに笑ってからかってくる。
今のはなんだったんだろう。兄の調子が戻ったのはよかったが、俺の調子が狂わされてしまった。





その後、俺たちはエルハンさんの案内のもと、ムゥ婆に言われた通り、船で島にやって来たという異国の客人を訪れることになった。

さっきのやり取りのせいで正直まだ戸惑いはあったものの、気持ちを切り替える。

集会所を出て向かった先は、港からそう遠くはない丘の上にある、白い戸建ての家だった。
崖からは白浜の海岸が見えて、この島では珍しく高床式住居ではなく、お洒落な洋館のようだ。

エルハンさんが呼び鈴を鳴らすと、しばらくして玄関の扉が開かれた。
すると突然、壁のように大柄で坊主頭の、口にマスクをした男が登場する。

「ひっ!」

あまりの体のデカさとマッチョさにびびり、俺は思わず後ずさった。
しかし気にする様子のない男は、すぐに後ろの廊下に振り向いた。

「先生。患者さん来ましたよ」

抑揚のない声で告げると、しばらくして白衣の男がやって来た。
長い銀髪に目を引かれる、白い肌の外国人だ。

あっけに取られていると、男は丸眼鏡をすっと直し、俺たちにこう言い放ったのだった。

「遅いな、時間が過ぎているぞ。私はナタトリア王国からやって来た、君たちの産科医、ジルツだ。さあ中に入ってくれ」

え?
何医だって?

よく聞き取れなかった俺が兄を見やると、真顔で血の気が引いてるような表情を返された。

「では部族長、奥方様。時間になったら迎えに来ますので。ーーお二人の幸運をお祈りしております」

神妙な面持ちで頭を下げたエルハンさんが、すたすた去って行ってしまった。


呆然とするまま俺と兄は、窓から光が燦々と差し込む廊下を抜け、ある一室へと案内された。
壁も床も真っ白で、照明が囲む意味深な寝台と、銀トレーに入った様々な器具。奥のほうには広いデスクが置いてある。

どうやらここは、診療所のようだ。

不機嫌そうに腕組みをする兄ちゃんは、机を挟んで座る白衣の男を睨みつけていた。

「あんた、産科医とか言ってたな。……冗談だろう?」
「冗談ではない。私は君たちの長老の要請で、この島に派遣された医術師だ。後ろの大きい彼は助手のセフィ。我々二人が責任を持って出産・産後の支援をする。安心して任せてくれたまえ」

俺は二人のやり取りに驚きを隠せず、口をあんぐりと開けた。

「ちょっと待てよ……どう考えても頭がおかしいだろうが。おい、あんたらの国では男も産めるのか」
「いいや、普通は不可能だ。だからこそ、この島の伝承の真実を確かめたいと思い、この仕事を引き受けたのだ」

真面目な様子で銀髪の男が見据えてきた。
俺は震えが止まらない。

「兄ちゃん……やばいよ、どんどん大事になってる」
「優太。俺が何とかする。心配すんな」

ぎゅっと手を覆ってきた兄の横顔は、意外にも冷静に見えた。

「伝承の真実を確かめるっつったな。つまりあんたは、まだ全部を信じてないんだろう? 異国の人間ということは、この島の部外者だからな」

探りを入れるような兄の問いにも、銀髪の男は落ち着いて手を組んでいる。

「確かに私は職業柄、自分の目で見るまで確信を持つことはない。しかし、部族長の君は否定的なのか? 長老によれば、島が一丸となって救世主を待ち望んでいるという話だったがーー」
「ああ、信じてねえよ、そんなイカれた伝承。俺の弟を巻き込んでたまるか。いいか、よく聞いてくれ。俺はその部族長じゃない。俺たちは、別の世界からやって来たんだ」

に、兄ちゃんが本当のことを喋ってしまった。

度肝を抜かれた俺だったが、島の外の人間に秘密を明かし、助けを求めるつもりなのだと瞬時に判断した。
窮状を訴えれば、この事態から抜け出せるかもしれない。

「そうなんだ、俺たちはこの世界の人間じゃない! 本当は兄弟で、兄ちゃんは三年前に、俺はつい最近この島に打ち上げられたんだ!」

身を乗り出して告白した。
医術師のジルツと助手のセフィという男は、俺たちの言葉に目を見張らせた。

今がチャンスだ。
ケージャに教えられた伝承の本の内容や、これまでの経緯を洗いざらい説明して、分かってもらうしかない。

必死になる俺と同様に、兄も自分達の世界のことを話した。
地球という惑星における日本や他の国々の話、魔法の代わりに科学が発達していること。

証明のために文字を書いたり、兄ちゃんは地上の生態系や広大な宇宙の話をしたりと、二人で持ちうる限りの知識を示そうとした。

医術師は頭から否定をせず、静かに聞いてくれていたように思えたのだが。

「ふむ。中々興味深い話だ。ただの作り話にしては、細部までよく出来ている」
「作り話じゃねえ、確かに俺たちの世界は存在するんだよ!」
「長老が言っていた。君は元々記憶喪失になっていた男だと。今でも時折記憶が揺らぎ、人格に迷いが生じることもあるのでは」

冷静に切り返され、気が落ちていく。
やっぱりすぐには信じてもらえないのかもしれない。けど、ここで引いたら駄目だ。

「でも、じゃあ俺はどうなるんだ? 兄ちゃんの後からやって来て、妻だって言われて、偶然なんかじゃないと思う。兄弟だから、何か特別な力で呼ばれたんじゃないのか?」

ずっと頭の隅で考えていたことを指摘した。
何か意味があると思わないと、こんな異常な事態をすんなり受け入れるなんて出来ないのだ。

「……兄弟か」

すると医術師が呟き様、俺の首もとを見た。この島ではつけるように言われている、雫のネックレスだ。
その後、色素の薄い瞳が兄ちゃんの腕輪を捕らえた。

「確かに、君たち二人は、ほとんど性交をしていないらしい。これは伝承を確かめる上で、由々しき問題だ」

思慮深い顔つきで見つめる彼に、俺たちは固まる。

せ、せ、性交。
というかなんで、してないって分かるんだそんなこと。

「どういうことだ。この腕輪は何なんだ、説明しろ」

兄が拳を握りしめ、低い唸り声を上げた。
俺は息を呑んで答えを待った。

「その『精霊の涙』は伝承に基づき、儀式に捧げる聖具として作られたものだ。長老と私の呪術を用い、二人の精霊力の高まりを可視化できるようにしている。……つまり簡単に言えば、性交の回数が分かるようになっている。私と長老にはな」
「ーー先生。詳しく喋りすぎです。長老からは秘密にしておけと」
「ああ。だが仕方がない。予想外のことが起きているのだ。こちらも手の内を明かし、信頼を得なければならないだろう」

目の前で白衣の男と助手の男が、好き勝手に話をしている。

信じられない。
この装飾品に、そんな意味があったなんて。
だからずっと身に付けろとか言ってたのか。

「でも、おかしいよ。ムゥ婆に何も言われてない。だって、この一週間ずっとフリしてきたのに……とっくにバレてるんじゃないの?」
「……ああ、きな臭えババアだ。本当は何か知ってて、泳がせてんじゃないのか。……島の連中だってそうだ。あのルエンとラドって奴ら以外、誰も俺の変化に突っ込んでこなかっただろう」

俺たちがこそこそと話をしていると、医術師のジルツが俺に視線を向けてきた。

「長老のことはこちらでも注意しておこう。わが国から見ても、この島の生態を含め、『碧の民』の部族はまだまだ調査が足りないのだ。ーーユータ。しかし腕輪を見るに、君は少なからず兄と性交をしているな」

突然投げられた鋭い指摘に、ぎくりと背筋が張る。

「そ、それは……正確には兄ちゃんじゃなくて、部族長のケージャが」

兄の前でその話を出さないで欲しかった。
けれど説明しないわけにはいかないと、少しずつオブラートに包みながら、彼との間に起こったことを伝えた。

「そうか。おかしな事があるものだ。性交時に人格が入れ替わったとーー。いや、射精が終わった時なのだな?」
「はい……そうですけど」

もう勘弁してほしい。医者だからって、こんな皆の前で、恥ずかしくてたまらない。

「それでは話は簡単だ。原理は不明だが、性交自体が人格の入れ替わりを引き起こしている可能性がある。君たちも、もう気づいてはいるのだろう? もう一度性交を行ってみれば、元の人格に戻るかもしれない。さあ、さっそく試してみてくれたまえ」

冷静で淀みのない台詞に、耳を疑う。
隣の兄ちゃんは案の定、ブチ切れて立ち上がった。

「てめえ、今の話聞いてたか、俺とこいつは兄弟なんだぞ! 可愛い弟に、んな可哀想なこと出来るわけねえだろッ! それに俺はもう、そいつに体を使わせる気なんか微塵もねえんだよ!」

青筋を立てて激昂している。
兄を必死になだめながらも、内心ほっとしている俺に、医術師の容赦ない言葉が追い討ちをかける。

「しかし君達の話を信じるには、他の人格と話すしかない。私に会わせてくれれば、きっと力になれるはずだ」

同じ状況を作り出せば、またケージャが戻ってくる?
本当にそうなのか?

兄ちゃんとあんなことをもう一度するなんて、俺には考えられない。
でもそれ以上に、思うことがあった。

「嫌だよ。また兄ちゃんがいなくなるのは嫌だ。つらいよ、俺……」

別人になるということは、その間消えてしまうのと同じことだ。
せっかく戻ってきたのに。

隣に腰を下ろした兄の腕が伸ばされる。肩を抱かれて、力なく体を預けた。

「俺は消えない。お前のそばにいるって言っただろ。な?」

二人でしんみりしていると、医術師のジルツは、後ろに立っている助手に顔を向けた。

「ふむ。私が悪者のようになってしまっているな。セフィ、お前はどう思う」
「兄弟に性交を促すことですか。俺はむごいと思いますが」

坊主頭の筋肉質な男が、ちらりと俺を見た。
無表情だが、憐れまれているのだろうか。同じ男として情けなくなる。

「だが、残念だが時間はあまりないのだ。来月には儀式が行われる。長老の思惑は知らないが、このまま黙っているとは思えない。彼女の伝承にかける熱量は、凄まじいものがあるからな。……それに、もうひとつ可能性を示しておこう」

医術師の声音がやや深刻さを帯びた時、俺と兄は顔を上げた。

「ケージャ。君が駄目になった場合…」
「俺は啓司だ。二度とその名前で呼ぶな」
「ーーいいだろう、ケイジ。もし君が反抗し続ければ、伝承の達成に亀裂が入る。そうなれば、きっと君は言うことを聞かない人間として、部族から排除されるだろう。そうなって困るのは、君自身と、君の弟のユータだ」

一瞬兄を狼狽えさせた彼の言葉に対し、俺の中で大きな反発心が芽生えた。

「何言ってんだよ、そんなのあるわけないよ、だって俺たちが伝説の夫婦なんだろ?」
「ユータ。私を含め、君達は伝承のことを詳しく分かっていない。まずはケージャのほうに、何か手がかりを見つけなければならないのだ。それに最悪の場合、君が他の男の手に渡ってしまう可能性もあるのだよ」

じっと見据えられて放たれた言葉が、うまく理解できない。
だが同時に部族の男たちの半裸が思い浮かび、ぞっとした。

「おい……やめろ。これ以上おぞましいことを言うな」

兄の言葉が遠のいて聞こえる。

「他の男って、どういう意味…? 無理だよ、嫌だ、俺……そんなの、絶対無理に決まってんだろ!」

今までになくパニックに陥った俺は、居ても立ってもいられなくなり、立ち上がろうとした。
なぜだろう、すでに信じがたい経験をしてきた俺なのに、感じたことのない拒絶反応が出る。

「優太、おい、落ち着け!」

兄に抱きしめられても、体の震えが止まらない。

「いやだ、嫌だってば、兄ちゃんのほうがマシだ、……兄ちゃんじゃないと嫌だ!!」

気がつくと俺は本心からそう叫んでいた。

兄の褐色の瞳が大きく見開かれ、まっすぐ突き刺さる。
だって本当なんだ、俺がこんなことをしているのは、出来るのは、大事な兄だからでーー。

「ゆ、優太……。分かった、大丈夫だ。お前をそんな目に合わせるわけがない。お前のそばには俺がいるんだ。兄貴の、この俺がな……」

取り乱した俺に焦ったのか、兄ちゃんの瞳は揺れていた。
思わず胸に抱き寄せられ、頭を優しく撫でられるが、反抗する気も起きなかった。

そうだよ。
おかしいって思われようが、夫婦のフリが苦しかろうが、兄ちゃんじゃないと、やっぱり駄目だ。

一緒に帰るって、約束したんだから。

しんとした部屋の中で、ふと医術師のため息が落ちる。

「君たちの強い絆は理解した。どちらにせよ、前向きに考えてくれ。こちらでも調査は行うつもりだ」

その後ジルツは、次回の問診の日時を伝えてきた。
その際、伝承の本を持ってくるようにとも告げた。俺たち兄弟はこの世界の言葉は分かるが、字が読めない為、彼に託すことにしたのだ。

医術師と助手は契約が満了するまで、この診療所に滞在しているらしく、何かあればいつでも来るようにと言われた。

俺と兄ちゃんは、どうなるんだろう。
決意をしたばかりなのに、とんでもない問題に直面してしまった。



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