▼ 9 島のやばい慣習
「え、地図ですか?」
「ああ、そうだ。今後の狩猟採集の強化の為にも、島の全体図をもう一度確認しておきたい。でかいのをよこせ」
「承知いたしました、部族長。……あの、しかし、ケージャ様の装いなのですが、今お召しになられている浴衣は、島の男の平服ではなく……島民達の手前、お着替えになられるべきかと」
「なんだと? んな布切れ一枚でウロウロ出来るかッ、うっかり見えちゃったらどうすんだこの野郎!」
俺達兄弟がエルハンさんとともに、島の探索をしようという時。兄ちゃんと側近の彼は、さっきからグダグダとやり取りをしていた。
常人より羞恥心の少ない兄だが、さすがに部族民の際どい格好は受け入れられないようだ。
だがこれでは怪しまれてしまう。この人、少しは合わせようという気がないのか?
「兄ちゃん、言うこと聞けよ。民を代表する部族長なんだから、皆のお手本にならないと駄目だろ。ほら早く着替えて」
「はっ? お前裏切る気か? 同じ男のくせに自分だけ安全な浴衣姿だからってなぁーー」
「しかし部族長。奥方様は不用意に肌を見せることを禁じられておりますので…」
「当たり前だ!! 駄目に決まってるだろうがそんな卑猥な姿、優太はこのままでいいんだよ!」
なぜか半ギレしながら、結局兄は俺達の説得により、一度住居に戻り着替えを行った。
ムスっとした顔で扉から出てきた兄の、日に焼けた筋肉質な体躯に目を奪われる。
どういうわけか、俺は思わず「……え、ケージャ?」と口走ってしまった。
最初の出会いからそうだが、いつも半裸で威厳にあふれたあの男の印象が、強すぎたのだ。
しかし途端に兄ちゃんが短い茶髪をぐちゃぐちゃと掻き、鋭い褐色の瞳を恨めしそうに俺に向けてきた。
「優太。俺は俺だ。分かったな?」
「う、うん。ごめん、兄ちゃんだよ」
慌てて取り繕うと、短く息を吐いた兄が、今度は俺の頭をくしゃっと触る。
まずい。もう俺の本当の兄が戻ってきたのだ。謎は謎のままだが、今は前を向かないと駄目だ。
俺達三人は、島の奥まったとこにある森から沿岸部への道を歩くことにした。途中川にかかった橋を渡っているところで、兄が地図を見ながらうなりだした。
「なあ。これ何語だよ、読めるわけねーだろ……かろうじてこの場所が、中心の火山から東南にあるっつーことしか分かんねえぞ」
「ほんとだ……ここが東地区だから、真ん中の大きな森と山を囲んで、やっぱり島が四つの地区に分かれてるんだ。この火山のふもとに特別な印があるけど、これがムゥ婆の言ってた聖地『精霊の丘』ってやつ?」
「ああ、おそらくな。奴らここで妙な儀式をするとか言ってたが……やべえな、現実味を帯びてきたぜ」
後ろの離れたとこを歩く側近に聞こえないように、二人で地図を見つめる。沿岸部にはこの場所と同じ村らしきマークがいくつか見られる為、他にも集落があるのだろう。
「とにかく、この島思ったよりでけえぞ。一日で歩ける距離じゃねえ」
「そうかも。だいたい部族の集団が100以上って言ってたし……どうしよう兄ちゃん」
ぶつぶつ相談しながら開けたところに出る。そこは島民達の憩いの場である、大広場だった。
周りを木々や草花に囲まれ、燦々と光る太陽のもと、石畳の上には安らげる長椅子が並んでいる。しかし全てに華やかな紅白の飾りつけが施されていた。
昨日の結婚式から帰る途中、皆の祝福を受けながら、花婿に抱っこをされてここを通ったことを思い出し、急激に顔が熱くなった。
「おい、なんだこの過剰なデコレーションは……すげえお祭りムード満々なんだが」
兄ちゃんが苛立ちを隠さず、頭上のきらびやかな門を見上げる。すると急に背後に大きな気配を感じた。
「はい。昨夜の婚礼の儀より一週間は、お二人の祝福の期間が続きますので。ご覧ください、島の者達もみな、幸福に満ちあふれております」
エルハンさんの誇らしげな声に引かれて広場を見やると、俺達に嬉しそうに微笑む島民の姿が映し出された。
思わず兄が身じろぎ、俺の肩を抱いて後ろへ引っ張ろうとする。
するとどこからか、一人の少女がこちらへ向かってきた。
「わあ、奥方さま! 旦那さま!」
ピンクの浴衣を来た小さな子が、母親の手をふりほどいて俺の腰あたりに飛び込んできた。
びっくりして受け止めると、顔を上げてニカっと微笑まれる。
「きのうの結婚式、とってもきれいでした! おめでとうございますっ」
「あ、ありがとう。はは、照れるなぁ。見られちゃったか」
慌ててやって来た同じく浴衣姿の母親に頭を下げられるが、その後も二人から昨夜のお祝いと称賛を受けてしまい、その上どこからか取り出した花束までもらった。
俺は恐る恐る兄ちゃんを見る。すると体と同じく精悍な顔立ちが凍りついていた。
「旦那さまもすごくかっこよかったです、二人とも、おしあわせに!」
「……うん、そうだね。優太のことは俺がちゃんと守るから、心配しないでね。ありがとう、お嬢ちゃん」
兄は小さな子に笑顔を向けていたが、ピキピキとこめかみに血管を浮き上がらせていた。
どうしよう、絶対に怒ってる。それもそのはずだ。自分の知らないところで、違う人格の自分が、弟と結婚していたのだから。
その後もわらわらと集まってきてしまった皆を、エルハンさんが「お祝いの品々はもう受け取っている。どうしても渡したい者は各班長を通してくれ」と叫び、統制をとっていた。
「あ、あの……兄ちゃん、なんかごめん」
「なんでお前が謝んだよ。俺は自分に苛ついてんだ」
言いながら、なぜか兄ちゃんは俺の手をぎゅっと握った。視線はどこかを険しく捕らえているが、なんで小さい時みたいに手を繋いだままなのか分からない。
俺の疑問をよそに、周りの皆からは仲睦まじい夫婦として幸せそうに眺められるだけだった。
やっと広場を抜け、その後も島の中を見て回る。
自然に囲まれた小道に沿って、こざっぱりとした藁葺き屋根の住居が点在し、他にも炊事場や洗濯場で働く年代豊かな女性達や、鍛冶場や食材屋などで声を出す男達の姿が目に入った。
注意深く人々のやり取りを見ていると、どうやら島の中でお金は使われてないらしく、基本的に物々交換らしい。まるで昔ながらの原始的な生活ぶりで、現代文明に囚われた自分とのギャップに驚く。
「なるほどな。妙な伝承に侵されてるとはいえ、こうしてると、やばそうな奴はあまりいねえように思えるが……おい、エルハン。ちょっと武器庫の確認をしたいんだが。こういう一見安穏とした村にこそ、常に備えが必要だからな」
「武器庫、ですか。かしこまりました。……奥方様をお連れしても?」
「ああ。こいつはいつも俺のそばに置いておく。いいだろ、優太」
「えっ、うん。いいけど…」
妙に瞳をギラつかせ、念を押してくる。
兄ちゃんの奴、そんな物騒なとこに行ってどうするつもりだ? まさか突然切れて村を襲ったりしないよな…。
いやきっと今後の脱出に役立てるために、様子を見ておくのだろう。さすがに普段平和ボケした俺でも、想像がつく。
そうして俺達三人は、いったん島の探索ツアーを終わらせ、男達の武器庫へと向かったのだった。
◇
島の武器庫は、森の入り口付近にある穴蔵に存在していた。
赤い土壁に覆われた洞窟のような場所を進み、階段を降りて地下蔵へと入っていく。
なんだか朗らかな南国の雰囲気から一転して、不気味なアジトに迷い込んでしまったみたいだ。
天井のランプがちかちかと光る中、分厚い鉄扉の前で、俺達三人は立ち止まった。
「では私がーーお二人とも、少々お待ちください」
側近のエルハンさんが唐突に右手をかざし、何やら短い言語を呟くと、扉が青白い光に包まれた。
その後キィっと音を立てて開かれ、彼が先に室内へと足を踏み入れた。
「え、なに今の。ここ魔法が標準装備なの?」
「ちょ、兄ちゃん、しーっ」
初めて目にした魔法に、呆気に取られる兄の腕を慌てて引く。島の男達が精霊魔法を使えることはすでに話したのだが、いきなりファンタジーな現象を見せつけられ驚くのも無理はない。
でもこの様子じゃ、今の兄ちゃんはこの島の文字が解読出来なかった様に、きっと魔法の使い方も分からないのだろう。
入った場所は高さこそ無いものの、奥行きがとても広く、壁や分厚い棚にところせましと武器が並べられていた。
銀色に光る大剣や長剣、長弓や槍、厳つい斧までーー。一般人の俺にはまるで馴染みのない、ぶっそう極まりない品々に背筋が冷える。
しかし兄ちゃんは臆することなく、興味深そうに武器を手に取り、眺めたりしていた。
「へえ。本物はやっぱり迫力が違えな。手入れも行き届いてるし。お、このナイフは使いやすそうだ。何本か持ってくぞ」
「部族長。あちらの短剣も前回の交易の際、異国の刀師から取り寄せたもので、非常に切れ味が良いかと」
「おおマジか、それも頼む。色々と個人的に試したいんでな、鍛錬の為だ」
兄が袋に堂々と詰めていく間、俺はエルハンさんの「異国と交易」という言葉にピンときた。
どうやらこの島には、よそから船が来るらしい。最初に漂着した海岸にはそれらしき港など見当たらなかったが、どこかにあるのだろう。規模は分からないが、脱出するチャンスかもしれない。
顔を上げると、兄ちゃんもこっちを見て意味ありげに頷いた。
まぁここが異世界だとして、島からの逃亡が叶った後はどうするんだという不安はあるが、少なくとも夫婦のフリからは解放されるだろう。
「そういえばエルハンさん。武器庫ってここだけなんですか? まだ扉があるし、他のとこも見てみたいんですけど」
「はい、奥方様。もちろん他にも防具類などの装備倉庫や、島の戦士達の休憩所などもーー」
さらなる探りを入れようと、丁寧に解説してくれる彼の後をついていく。
ある木の扉に手をかけ、エルハンさんが微笑みながら振り向こうとした時だった。
大きな背中ごしに見えた室内から、見覚えのある金髪長身の男が出てきた。
「あっ、あなたは……!」
「これは奥方様、ごきげんよう。昨夜ぶりですね。皆もお揃いで」
結婚式で出会った、ルエンさんだ。優雅に会釈をする彼は腰にタオルを巻いた状態で、風呂あがりのように肌から湯気が出ていた。
ここはシャワーもあるのだろうか。美形の彼の色っぽさに圧倒されていると、肩をぐいと引き寄せられた。
「おい、誰だこいつ。いけすかねえ面だな」
「しっ。兄ちゃん、この人がルエンさんだよ。北地区の統括者って話しただろ」
彼がエルハンさんと喋っている間に、こっそり教える。
ここは戦士達の休憩所だから、きっと訓練でもした後なのかな、そう勝手に想像したのが間違いだった。
扉の向こうから急にもう一人、俺と同じ年頃の少年が現れる。
同じく濡れた体を拭いていて、俺達に気がつくと顔を真っ赤にした。
「あ、失礼しました…!」
まだ線の細い体を隠し、急いで出ようとする。しかしエルハンさんが彼を止める。
「待て。その体では行くな。ルエン、彼の痕を消してやれ」
「ん? ああ、すまない。今やろうと思ってたんだが、急に皆が来たものだから」
優しく少年の肩を抱いた彼は、首筋や胸元につけられた赤い痕に手をかざし、何かを唱えた。するとみるみるうちに肌が元通りになる。
……まさかとは思うが、今のって、き、キスマークとかいうやつ?
二人の間の淫靡な空気に固まった俺が振り向くと、そこには俺と同じく血の気を失った兄がいた。
「……おいおいおい、今のはなんだ? お前、このいたいけな少年に何をしていたんだ」
「何とは? この島の慣習通り、男の精霊力を注いでいたのですが。私は多くの者に求められるため、ちょうどこの地区へ来たついでに彼らの世話をしてあげようとーー」
「…はっ? なにドヤ顔でモテ自慢してんだお前、んな若い子食い散らかして許されると思ってんのかッ」
「落ち着いてください、部族長。ルエン。時と場所を考えろといつも言ってるだろう」
「それは申し訳ない。奥方様もいらしているとは思わなかったんだ。刺激の強いものを見せてしまいましたね」
エルハンさんにたしなめられた彼は、俺に小さく微笑んで頭を下げた。
少年をその場から帰したあと、タレ目がかった美しい目元が兄に向けられる。じっと見られて、兄は不快そうに目つきを歪めた。
「ところでケージャ。貴方の雰囲気、どこか昨日と違うような……何かあったのですか? 大丈夫ですか」
「……ああ? 心配されるようなことは何もねえよ。気にするな」
偉そうに部下であるルエンさんに凄んでいる。島の奇怪な風習を目の当たりにしてピリピリしているのだろう。でもやばい、すでに怪しまれている。
胃が痛む中、また側近のエルハンさんは「部族長は連日の準備でいくらか疲労が溜まっておられるのだ」とフォローしてくれていた。ありがたいが、この人は怪しまないのか?とそろそろ疑問である。
ルエンさんは兄を気にかけていたが、その対象が突然俺に変わった。
いきなり腕を伸ばし、腰にそっと手が添えられる。抱き締められるかと思い身構えた。
「ひゃあっ!」
「失礼。奥方様、浴衣の帯がずれていましたよ」
さりげなく位置を直され、にこりと笑む姿に男なのに見とれてしまった。
大人にこんな繊細な扱いされたことないからかも、と呑気に愛想笑いしていると、やはりこの男が怒った。
「こいつに勝手に触るんじゃねえ」
兄ちゃんが低い声ですごい切れている。所有を示すかのように俺は兄の背の後ろに引っ張られ、隠されてしまった。
「失礼しました。奥方様もお疲れになっているのではと、気になったもので。……そうだ。ぜひ北地区にも一度遊びにいらしてください。その美しい肌にもよい、大きな温泉があるのですよ。あなたもきっと気に入るでしょう」
この人、昨日よりも俺にぐいぐい来る。
全くタイプの違う兄は我慢の限界だったのか、これみよがしに俺の肩を抱いてきた。
「ほう。それは良さそうだな。じゃあ今度二人きりでしっぽり入るか。その豪華な温泉とやらに」
声高に告げたあと、なんと俺の頬にちゅっとキスをした。
反抗期だったときにやられた思い出がよみがえり、俺は瞬時に沸騰する。
「ちょっ、人前で何すんだてめえ!」
とっさにカッとなり、腹に一発拳をいれると兄が「ぐっ」と押さえてわざとらしく背を屈めた。
「あのな、お前は獰猛な小型犬か、全然痛くねえけど」
「手加減してやったんだっ」
兄弟喧嘩をしていると、笑みが混じった視線に気づいた。
「ふふ、可愛らしい見かけによらず、威勢のいい方ですね。貴方が羨ましいな、ケージャ」
睨み付ける兄と、「失礼なことを言うな」とため息をつくエルハンさん。
しばらくしてその場はやっと解散になる。ルエンさんはもうしばらくこの東地区で用を済ませてから戻ると言っていた。
島の散策だったはずなのに、結構疲れたな…。
帰り道、まだ兄のいらつく空気を感じながら、俺はどうしてもあることが気にかかっていた。
桟橋を歩く足を止め、後ろにいる側近の彼に近づく。
「エルハンさん、さっきのことだけど。俺が来る前、兄ちゃんは、その……他の人とそういう事してませんよね…?」
本人に聞いても分からないため、言葉を濁しつつ不安一杯で尋ねた。聞いていた兄も若干青い顔をして彼を見る。
「ええ、しておりませんよ、ご安心ください奥方様。ケージャ様は伝承に伝わる、部族の長となられる方ですから。あなただけのお人です」
エルハンさんは柔らかく諭すような表情で答えてくれた。
俺は心からほっとし、思わず兄の腕に抱きついた。
「よかったぁ…!」
兄を見上げると少しすねたようなバツの悪い顔で、「するわけねえだろ」と俺を胸に抱きよせてきた。ぎゅっと頭を抱えてきて、優しく触れられる。
ただの兄だけど、見知らぬ少年とそんなことをするなんて想像でも嫌だと思ったのだ。
「奥方様。昔からケージャ様はこうおっしゃっていました。『俺の妻となる者以外は抱かない。この体は妻に捧げると決めている』と。そうですよね、部族長」
エルハンさんが懐かしげに思いを馳せる。
俺は驚きつつも隣で歩く兄を見つめた。
「ええっ、そうなんだ。ああ見えて、ケージャって結構純粋だったのかなぁ」
今は無きもう一人の兄の人格に対し、ぽつりと呟いた言葉がまずかった。
振り向いた兄の、褐色の瞳がまっすぐ貫いてくる。
「……あのな。純粋な奴がお前を手込めにするか? 俺は許さねえぞ、人の体を好きにしやがって。俺は絶対に、あいつを二度とお前に触れさせないからな」
そこには静かに怒り狂った兄ちゃんがいた。俺のほっぺたはもどかしげに撫でられるが、唖然としたまま動けない。
その日から、俺の兄がだんだん独占欲を露にしていく日々が始まった。
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