▼ 38 アルメアの話
俺は、黒のローブをまとう男に連れ去られた。これは転移魔法だ。
恐る恐る瞳を開けると、長髪を結わえたスーツ姿の、執事らしき男が立っていた。
「セラウェ様。お久しぶりでございます。この度は大変な状況におかれ、私も深く心を痛めておりました。どうぞ、御身のお早い回復をお祈り申し上げます」
「……は、はあ。ご丁寧にどうも」
つられて互いにお辞儀をしてしまうが、ちょっと待てよここどこだ、この人誰だと辺りを見回す。そこは壁も床も真っ黒な、窓ひとつない洋館のように見えた。
居間というには広すぎる室内に、金細工の装飾がなされた調度品が並び、蝋燭の明かりがぼわぼわっと仄暗い雰囲気を醸している。
「ノイシュ。こいつに温かい飲み物を入れてやってくれ。質の良いブランデーもな。これから話が長くなりそうなんでな」
「はい。畏まりました、アルメア様」
突然背後の上の方から声がして、驚いた俺は振り向く。まるで気配がなかったので存在を忘れていたのだが、その黒ローブの男は俺を涼しい眼差しで見下ろした。
執事よりもさらに透き通った、人間離れした真っ白な肌。瞳は赤く目が合うと底知れぬ恐怖が湧く。
「あ、あんたっ、何者だ! ていうかここはどこだ! なぜ俺をいきなり誘拐したッ」
惨めに後ずさりながら喚く。姿形やオーラから同じく魔術師だと推測するが、悲しいことに実力の差は歴然だ。なんというか、師匠やエブラルと同等かそれ以上の魔力量をひしひしと感じるのだ。
「誘拐だと? どう見ても、お前の弟から託された形だろう。そもそも目の前でお前を拐わせるなど、あのクレッドが許すと思うか、セラウェ」
……なんだこいつ、馴れ馴れしく俺達の名前を呼び捨てしやがって。
でも、……確かに奴の言う通りかもしれない。さっきのことを振り返ると、この魔術師を召喚したのは紛れもなく俺の弟だったからだ。
じろりと訝しんでいると、奴は軽く息を吐いて「ついて来い」と言い歩き出した。
仕方なく俺はひらりと舞う黒ローブの後を追い、建物の中を進んだ。
辿り着いたのは、壁を埋め尽くす蔵書と机や長椅子が並ぶ、書斎室のような場所だった。ここには一つだけ夜の森を映す大きな窓があり、それを背にして魔術師は座った。促された俺も警戒しながら正面に腰を下ろす。
「それで、俺が誰かという話だったな。この前会ったばかりだが、覚えてるはずもないな。お前は話している途中で寝てしまったのだから」
「あ?」
「黒髪赤目の美少年、といえば分かるか。セラウェ。写真をわざわざ渡しに来てやっただろう」
足を組み、偉そうな態度の美形の男が、口元を上げて話す。
……えっ。写真?
確かに俺はあの時、俺達兄弟が親しくしているという魔術師の少年と会っていた。
「えっ嘘だろ! お前、だって、え? 年は? なにそれ、魔法で成長してんのっ?」
そういえば不気味さや特徴が似ていると思いだし、俺は一気にテンションが上がり、話に耳を傾けた。どんな技かは見当もつかないが、これほどの術者ならば可能に思えたのだ。
「逆だ。普通に考えれば、この形こそが俺の真の姿だろう。まあいい、今のお前は以前よりさらに無知だろうから、信じられないかもしれないが。ーーとにかく、俺の名はアルメア・ヴェルガロンだ。数世紀前に魔界から地上に下った吸血一族の末裔であり、今は半魔族としてここに暮らしている。執事とともにな」
突如意味不明なことを自慢気に言われ、目が点になった。
「いやいやいや。吸血一族? 何言ってんすかあんた。じゃあ人間じゃないの? 俺にそんな凄い友達いるわけないでしょ! 師匠もびっくりだよ!」
笑い飛ばして足を鳴らすが、肘掛けに腕を置いたままのアルメアの視線は鋭い。
なんだか滲み出る冷たいオーラが人間のそれではなく、俺は微妙に震え上がった。
「一応言っておくが、俺は呪術師のエブラルとは旧友でな。お前達の呪いを介して、お前の師メルエアデとも知り合っている。今回の記憶喪失の件では、教会の司祭も交え、クレッドにお前の相談もされている。ちなみにお前達をハネムーンで魔界に連れて行ったのもこの俺だ。……どうだ、信じたか?」
落ち着いた声音には逆に「さっさと信じろ」という脅しのようなものが感じられた。
威圧的な文言にびびった俺は「あ…そうなんすか」とひとまず納得する。師匠のことも知ってるとは、やはり只者じゃない。
ーーそれに、今こいつ「呪い」って言ったよな。クレッドと同じだ。
急激に頭の中が寒々してきて、身震いがした。
「セラウェ様。どうぞ体を暖めてください。他にもご用があればなんなりと」
「あっ、はい。どうもすみません」
部屋に現れ奉仕してくれる執事に礼を言うが、内心パニック状態である。
いや、冷静にならなければ。結局まだ大事なことが知れてないのだ。
「それで、アルメア。あんたのことはとりあえず信じるよ。でもその、呪いって……なんなんだ? あいつも、クレッドも同じこと言ってて、そんでーー」
身を乗り出すと、奴は酒の入ったグラスを手のひらで暖めながら、視線をこちらに向けた。
「セラウェ。お前、炎の魔女タルヤのことを知っているか」
「……えっ。ああ、知っているが……。凄惨な儀式を裏でこそこそやってるとかいう、悪名高い女だろ」
いきなり話が飛んだと思ったが、魔術界隈で奴の名を知らない者はもぐりだ。
というか今この男から突如その名を出されて、猛烈に心臓が鳴っている。なぜなら俺は4、5年前にその魔女と接点があったからだ。
詳細は省くが、簡潔に言えば俺はその女と依頼の件で一悶着起こし、奴の持ち物を密かに燃やしたことがある。
「ああ、その通りだ。恥ずべきことだが、その女の甥がこの俺だ。奴は長らく我が一族の汚点であったが、二年ほど前、リメリア教会に悪行が暴かれ始末された。ソラサーグ聖騎士団の指揮によってな」
俺が顔を上げると、奴は頷く。驚愕的な事実にいったん言葉を失うが、ソラサーグってことは、もしや。
「おい、それクレッドも関係してんのか? まさか、あいつがやったのか。それで呪いを受けたとか」
「ようやく察してくれたか。そうだ、団長であるクレッドが教会の聖剣により、魔女を葬った。だが呪いはお前にもかかっていたのだ。これは、兄弟に関する呪詛だったからな」
な、なんだ。話が一気に大事になってきた。完全に寝耳に水だが、俺は顔面蒼白である。
俺にも呪いがかかっていただと?まさかあのペット小屋炎上事件のせいでーー。
奴の語りに耳を傾けていると、アルメアも勿論俺の所業をすでに把握していた。
しかし後に、クレッド共々受けることになるその呪いというのが、俺の想像の斜め上だったのだ。
「……は!? お、おおおおお男と100回性交って、冗談だろ? なんだその、ふざけた猥褻的な呪詛はっ!」
「嘘ではない。だが安心しろ、お前達兄弟はその呪いを無事にやってのけ、解いたんだよ。そして俺はその手助けをした。新たな呪いの上書きという、魔女と血縁の者にしか出来ない方法でな」
ふふん、と鼻を鳴らすアルメアだが、俺は全身の力が抜け、熱のまわった頭をがくっと落とした。
恥ずかしくて前が向けない。隣で静かに立っている執事も聞いているのに、まるで逃げ場がない。
「やべえよ、何してんだ俺達……恥ずすぎるっ、もう忘れてくれこの話!」
「ふふ。お前は記憶を失っても挙動は同じだな。俺はエブラルと同じ呪術師で、お前も同じ道を歩む魔導師だろう。恥ずかしがることはない」
いや無理だろう。弟とそんなことをやり遂げてしまったことが、すでに皆に知られていたなんて。ていうか教会の奴や師匠もだし、オズもロイザも皆知ってるんじゃーー。
それなのに俺はのほほんと何食わぬ顔で過ごしていて、弟だってそんな破廉恥な事をしていたのに、あんなに甘々な感じで俺に接していたりして。
「大丈夫か、セラウェ」
「大丈夫じゃねえよアホか」
「お前の弟、クレッドを疎ましく思うか?」
「…………は?」
素で質問の意図が分からず、とぼけた声が出てしまった。
奴は真剣な顔で俺をじっと見つめる。
「よく考えてみろ、あいつの気持ちを。こんなことを実の兄に簡単に話せる男はそういない。クレッドは常に悩んでいたぞ。自分達の関係がお前に知れたら、離れていってしまうかもしれない、とな」
……それは、俺も感じたことだ。あいつは一人で苦しんでいた。さっきもそうだ。
呪いのことを言いづらそうにしていたのは、当然だろう。
でも俺は、自分でもよく分からないが、そこまで取り乱してはいなかった。なんというか、単純にただただ恥ずかしい。それだけだった。
「あのな……大体、なんであいつだけのせいになるんだ。呪いを受けたのは二人だし、ひゃ、百回もしたんだろう? なら確実に半分は俺の責任だろ。俺だって良い年した立派な男だぞ。確かにな、あいつと比べりゃ受け身なとこもあるかもしれないが、そんなヤバイ呪いを受けて、解いた後もあいつと付き合ってたんだろうが。じゃあもう自己責任じゃないかよ、俺はあいつが好きだったんだってこと、もう明白だろ」
長台詞が自然に出てくるが、ほんとにその通りだと思った。
あいつは、気にしすぎだ。いや気持ちは痛いほど分かるが、自分一人で背負い過ぎなのだ。
二人が恋人同士なら、責任は半々だ。まあ責任感の強い弟のことだから、俺のことをずっとずっと、考えてくれていたのだろうが。
アルメアは、なぜか正面でくっくっ、と笑っていた。俺の開き直りがウケたのか。ただの本音なんだけどな。
「セラウェ。お前は最高だな。今の言葉、そっくりクレッドに聞かせてやれ。というかお前も、中々男らしいとこがあるじゃないか。意外と肝が据わっている」
「ああ、ありがとよ。んじゃ話も聞いたし、俺そろそろ帰るわ。……なんかあいつのこと、気になるんだよ。様子が変だったし、やっぱ一人にしておけないからさ」
呪いの話を気に病ませたままなのは嫌だった。もう一度、顔を見て話をしたい。
そんなこと気にするなと、言ってやりたかった。
てっきり後押しされると思ったが、アルメアはやや顔色を渋くした。
「いや、今は止めておけ。せっかく俺がここに連れてきたのに、無駄になるからな」
「……どういう意味だよ」
「呪いの上書きの話だ。タルヤの呪詛は強大でな、ある程度の代償を要した。俺はそれを、クレッドに課したんだ」
魔術師はさらに語り始めた。
呪いの話はなんとか聞き流した俺だったが、さすがに聞き捨てならない台詞に頭が再度沸き上がる。
「……あ? 俺への発情、だと? しかも月に何度も? 馬鹿かてめえ!」
「それは前にもお前に言われたな。しかし止むを得ないことだったのだ。許せ、セラウェ」
向けられる自信家の笑みは、まるで悪びれる様子もない。
それであいつは今日、苦しんでいたのか。まさか俺に、発情していたとは。
「かわいそうじゃねえかよ、早く帰んねえと!」
立ち上がるとアルメアも立ち上がった。目の前で見下ろされて息を飲む。
「話を聞いていたか。俺が植えつけた呪詛は、お前が思うより数十倍も過酷なものだ。あいつはそれに毎月対峙している。まあ、以前のお前も共に、だがな。しかしセラウェ、今のお前には無理だ。それが分かっているから、クレッドもお前を遠ざけたのではないか?」
む、無理って言ったって……そんなに?
どんだけ発情しちゃってんだよ、俺の弟。
考え込んだ俺にアルメアはその後も「おとなしくしていろ」だの諭してきた。
一旦また腰を下ろした俺だが、感情が治まらない。不思議だ。あんな話を聞いた後なのに、俺は今すぐあいつに会いたくてたまらなくなっていた。
前の自分がそうさせているのかもしれない、でも、それだけじゃない気がしていた。
「……いや、やっぱり、俺は行く。クレッドのとこに帰るよ。そうしなきゃいけないんだ。伝えたいことを伝えないと自分が、納得出来ない。ありがとな、アルメア」
格好つけた風に告げて、部屋を立ち去ろうとした。
今度はアルメアは止めなかった。しかし前を歩き出す俺に声をかける。
「いいのか、セラウェ。お前、初めてなんだろう」
「な、なんの話だ。今そういう具体的なこと言うのやめてくれ」
「待て。お前に渡しておこう」
アルメアはそう告げて部屋の中にある別の扉の奥に消えた。しばらくして戻ってきた奴の手には、透明な液体の入った小瓶が握られていた。
我が物顔で俺に手渡してくる。
「えっ? これなに」
「少しぐらい頭を使え、セラウェ」
「……はあ? 偉そうな奴だな。全然分かんないんですけど」
「性行為に使用するものだ。魔界製の高品質な代物なのでな、ありがたく受け取るがいい」
ええー!
この青年、綺麗な面してとんでもないことをさらりと言い放ってやがる、と唖然とした俺は反射的に近くの執事を見た。
しかしなぜか彼は一瞬我に返った表情をした後で目を伏せ、軽く会釈をした。
俺達の様子を見ていたのか、アルメアが急に顔を赤らめさせ、不自然な咳払いをする。
「勘違いするな、俺はまだ使ったことはない、そうだろうノイシュ!」
「ーーはい。アルメア様。まだ、ですね」
二人の微妙な空気感に俺は首をひねった。そのやり取り何なんだよ。まさかこの主と執事、ただならぬ関係ーーいや、別に知りたくないが。
「ええと、とにかく助かる。じゃあ俺はもう行くわ。転移魔法で戻れるよな」
「ああ。気を付けろよ、セラウェ。どうしようもなくなれば、クレッドに泣きつけ。お前の言うことならば、理性を失したあいつにも届くかもしれない」
最後に恐ろしいことを助言され、そんなに大変な状況なのかと足が怯む。
しかし余計に弟が心配になった。
俺は、覚悟を決める。
全てを受け止める思いで、クレッドに会いに戻るのだ。
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