セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼ 24 青年の魔術師

訓練場を飛び出た俺は、必死に兄貴の気配を辿ろうとした。
だが、奇妙なことにまったく痕跡がない。まるでどこかに神隠しに遭ってしまったかのようだ。

こんなことは初めてで、頭に混乱を来した。
まさか俺の兄は、今までよりもさらに危険な目に合っているというのか?

本格的な装備をして救出に向かわねばーー

身震いを抑えながら団長室へと入った時だった。
中央のソファ近くに立ち、黒い外套の後ろ姿を見せる男がいた。

背が高く黒髪で、ちらと覗いた真っ白な肌の横顔は、人間離れした雰囲気を発している。

「……なっ、貴様、どうやってこの部屋に侵入した!」

長剣に手を伸ばし、一気に引き抜いて構える。
すると男が、何かを両手に持ち…いや、抱えているのが分かった。

くるりと向き直り、俺はその横抱きにされている人物を見て仰天した。
すやすやと健やかな寝顔を見せている、俺の兄本人だった。

「あ、兄貴! お前……何をしている、早く離せ!」

奴に迫るが、涼しげな赤い目元は少しも動揺を見せず、それどころか俺を見て気だるそうなため息を吐いた。
兄を近くのソファへと下ろし、再びこちらに向かい合う。

立ち居振舞いからして、魔術師だ。
素直に言うことを飲んだように見えたが、何を企んでいるんだ?

「俺だ、クレッド。そう敵意を向けるな」

男は突然俺の名を呼び、にやりと口角を上げた。
馴れ馴れしい口調にも腹が立つが、風貌からしてこんないけ好かない奴に、面識などない。

「お前など知らん。誰だ一体。兄貴から離れろ」
「……ふう。この姿はそれほど脅威に映るか? まあ無理もない。普段のあどけない姿からは想像もつかないほど、魅力的な男だろうからな」

髪を掻き上げ、自信ありげに言い放つ男に苛立ちが隠せなくなった瞬間。
男は兄貴のそばに立ち、なんとその上着の中へと手を忍ばせた。

この野郎、死にたいのか?

一気に頭に血が上り詰め寄った時だった。
魔術師の手には何枚かの写真が握られていた。それは明らかに、見覚えのあるものだった。

「俺はアルメアだ。今日はこれをセラウェに渡そうと思ってな」

ぴらぴらと見せた後、俺に差し出してくる。
こいつが、あのアルメア…だと?

驚愕の思いで見つめるが、そう言われれば黒髪と赤目、真っ黒な闇の出で立ちは少年を彷彿とさせる。

それにこの写真ーーああすでに懐かしくも感じる、俺と兄貴がハネムーンで撮り溜めたやつだ。

「本当なのか……なんだその風貌は。仮の姿か」
「馬鹿を言え。お前には話したことがなかったか? これが本当の俺だ。いつもの子供の姿はエネルギー消費を抑える為にやっている。何度も変化するのも意外に力を食うのでな。というわけだから、お前の不安は払拭してやりたいが、しばらくはこのままで我慢しろ」

偉そうにのたまう魔術師を訝しんで眺めた。
なぜ口調まで違うのか気になったが、今はそれよりも兄貴だ。

俺が近くにしゃがみこむと、兄は小さく寝息を立てたまま、胸を上下に動かしていた。
……良かった、眠っているだけみたいだ。
だが何故こんなことに。

「おい。目的は分かったが、どうして兄貴は寝ているんだ? お前何かしたのか? 大体なんで大人の姿になる必要がある」

何度目か分からない嫌な予感が過りながら、矢継ぎ早に尋ねた。
アルメアはわざとらしく肩をすくめ、向かいのソファへと腰を下ろした。

「俺は何もしていない。少し考えれば分からないか? セラウェが話の途中で寝てしまったから、わざわざこの姿になって運んでやったんだろう。お前のもとまで」

足を組み説明されるが、簡単には信じられない。自然と眉間に皺が寄っていく。

「俺の側近が二人の姿を見ている。姿が消えてからここに来るまで、そう短くない時間があったはずだ。さっきまで俺は必死に探していたんだからな。お前絶対何かしたんだろう」

早口でまくしたて、奴に凄んだ。
経験上、魔術師の言うことは信用出来なかった。兄貴以外は。

奴の漂わせる不気味なオーラに負けじと気迫を出すと、アルメアはきょとんとした顔をした。
そしてすぐに、小さく笑い始める。

「くっくっく……鋭いなお前。見られていたか。では仕方ない。まああれだ、確かに屋敷に一度持ち帰り、調べさせてもらった」
「……やっぱりか、ふざけるな、勝手なことを!」
「そう怒るな、クレッド。魔術師たるもの、対象への触診は当然の行為であり、始めの一歩だ」
「しょ、触診だと!?」
「ああ。だがエブラルに聞いていた通り、外から記憶を垣間見ることは不可能だった。奴の術式を一度解いた後でもな。……幻獣の神秘魔法というものは、実に興味深い。深層心理に繋がりをもつ使役獣ゆえか、まるで本人の心に鍵がかけられているようだ」

アルメアの冷静な見解に、俺は頭を抱えた。

「つまり、部外者の手ではどうすることも出来ない、というわけだな。予感はしていたが……」

しかし、記憶喪失になってから、もうひと月が経過している。
一過性のものにしては、長すぎやしないか?

今の兄との進展具合に、心が浮き足立っていたのは本当だ。
だが勿論、期待を捨てることなど出来ない。俺と兄貴の間には、あまりに大切な忘れがたい思い出が、多く存在しているのだ。

俺は兄の顔に目線を落とし、黒髪にそっと手を伸ばした。
優しく撫でて、滅多なことでは起きない愛しい寝顔を見つめる。

「アルメア。兄貴に写真を見せて、どうだった……?」

ぽつりと問う。
反応を知るのは怖かったが、俺はもう逃げている場合ではないのだ。自分を受け入れてもらいたいのならば、兄の全てを受け入れる覚悟があった。

「そうだな……悪くはなかったぞ。セラウェには言うなと言われたが、感極まっている様子もあった。それに、どうやらセラウェも思い出したいと考えているようだ。お前の為にな。喜べ、クレッド」

激励を与えるかのように伝えられ、率直に胸が熱くなる。
兄貴は優しい人なのだ。昔から、俺のことを考えてくれている。

無理をさせていないか、本当はすごく気になっていた。
けれど、止められないのだ。一度知ってしまった甘美な味を、決して忘れることが出来ないように。

「勿論、兄貴には思い出して欲しい。でももしこのままでも、俺は……兄貴を手離すことは出来ないと思う。だから、頑張るしかないんだ」

手のひらを握りしめ、決意を口にした。
何度も悩んで迷ったあげく、やはり長年築き上げた想いに嘘をつくことは無理なのだと、ようやく考えるに至ったのだ。

「ああ、それでいい。人の一生は短い。お前はもう大切なものを見つけたのだから、その為に生きるべきだ。どんな困難があろうとな」

涼しげな瞳に捕らえられ、俺は一瞬その言葉に魅入られた。

「……お前にしては良いことを言うな。その姿だと中々説得力を感じるぞ」
「そうか? セラウェには評判が悪かったが、お前には好評らしい。見る目があるじゃないか」
「いや別に好きなわけではないが。助言がすんなり腹に落ちてきただけだ」

思わず突っ込むと、アルメアは楽しそうに笑った。こんな風に会話をしていると、調子が狂ってくる。

問題が起きてからというものの、周りの人間に世話になることが多い。
気持ちの整理がつかない中で、少なからず感謝している自分にも、驚きがあった。

「なあ。兄貴はいつ起きるんだ…?」
「さあな。しばらく見張っていてやれ。ひょっとすると眠気が不安定なのは、記憶にも何らかの影響が起こっているせいかもしれない」

奴の言葉も一理あると思い、頷く。
兄貴のことが心配だ。目覚めた時には、俺がそばにいてあげたい。

「さて。帰る前に聞きたいことがあってな」
「なんだ?」
「……クレッド。お前のアレは、今度はいつだ?」

片眉を上げて突如放たれた問いに、ぎくりとした。
だが俺がよく相談をしている内容が、すぐに過る。

ずばり、月に数度の発情のことだ。

「あれは……もうすぐだと思う。お前にも話した通り、この間はちょうど任務で領内を出ていた。だから助かったが……」

そうだ。兄貴にも知られずに、厳しく辛い時間をなんとか一人で、乗り切ることが出来た。
とはいえ、遠くまで距離を取り、戦闘に忙殺されたことによる奇跡のようなものだった。

「そうか。次はどうするつもりだ? また任務を入れられるか」
「いや……分からない。調整はするが」

自分の責任とはいえ、記憶を失う前ですら、この呪いのおかげで兄貴には大きな負担をかけてきた。

しかし今だけは、この欲望を愛する人にぶつけるわけにはいかない。
なんとしてでも、まだ俺を知らない無垢な兄を、守らなければならないのだ。

アルメアは考え込むように腕を組み、俺を見た。

「もし大変なようなら、俺がその間セラウェを預かってやってもいい。ほら、これをやろう」

黒い外套の胸元から、薄い赤紙を取り出し、机の上に置いた。
なんのつもりだと目を凝らすが、よく分からない。

「預かるってどういう意味だ。お前のとこは安全か? というかこれは何だ」
「これは魔法鳥を形成する特殊な紙片だ。目には見えないが、一族の文字が刻んである。助けが必要な時はこれにメッセージを書け。伝書鳩のようなものだ、すぐに俺のもとへと飛んでくるようになっている」

説明を受け理解はしたが、まだ半信半疑だった。
魔術師たちの連絡道具として、その存在は知っていたものの、こんな型を見るのは初めてだったのだ。

「ありがたいが……まあ、最後の手段に取っておこう」
「何故だ? 俺の屋敷は世界一安全な場所だぞ」
「どこがだ。美少女ーーいやたくさんの美少年達に取り囲まれてたのを、俺はまだ忘れてないぞ」
「ああ。彼らはもういない。安心しろ、今は俺と執事の二人暮らしだ」

アルメアは端正な顔立ちに似合わず、頬をほんのり赤く染めて明かした。
団長室に一瞬沈黙が訪れたが、俺はわざとらしく咳払いをする。

「…………。そうか、良かったな。じゃあ尚更そっとしておいたほうがいいんじゃないか」
「べ、別に構わん。俺とお前達の仲だろう。困ったときはお互い様だ」

ふっと横を向きながら、アルメアが口にした。
この男は執事の話題に触れると、途端に表情を崩す。子供の時もそうだが、あれはなんとなく微笑ましく感じられた。

だが今の姿では、なんというか反応に困るのだが。

もしかして俺も兄貴の話をする時、こんな風に、らしくない表情を晒しているのだろうか。
……いや、おそらくもっと酷いだろう。

「まあいい。とにかく困ったら俺を頼れ。セラウェにもそう伝えておけよ、クレッド」

魔術師は立ち上がり、調子を取り戻したのか、不敵な笑みを浮かべた。
ひとまず俺も了承して礼を言い、奴が去るのを見送る。

残された静かな部屋には、兄の小さな息だけが響き、まだ俺の中で安心と心配が交差する。
とこか安全な場所に寝かせておかなければ。そう考えた末に、俺は兄貴をそっと抱き抱え、連れて行くことに決めた。



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