セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼ 23 思いが育つ

兄貴の記憶が無くなってからもうすぐひと月が経とうとしている。
最初は絶望から始まり、少しずつ兄との触れ合いを経て、やっとデートまでこぎ着けた。

徐々に関係性が近づき、期待を持ったのも束の間。あの極悪人の妖術師メルエアデに愛する人を拐われ、その上秘密を暴露されて、地獄へまっ逆さまに落ちたかと思われた。

しかし兄の包み込むような深い愛情によって、なんと俺たち二人は、昨日まさに急展開を迎えたのだ。

「どうした、ハイデル。今日は随分機嫌が良さそうだな。剣のキレがいつにも増して素晴らしいぞ」
「そうか? まあ確かに良いことはあったが」

騎士団本部一階にある訓練場で、部下のユトナに話しかけられた。
互いに訓練着をまとい、立ち合いをしたばかりで汗を拭う。

窓際の机に置かれた飲み物を飲んでいると、奴の愉快そうな笑みが目に入った。
 
「なるほど。もうキスぐらいしたのか?」

何の躊躇いもなく投げられた問いに、一瞬水を吹き出しそうになるが、騎士達がいる前でそんな無様な姿は晒せずに耐えた。

「……まあな。いけそうだったから、してしまった」

至福の時を回想しながら、素直に呟く。
ある意味、これは二度目の……いや厳密には三度目のファーストキスだ。子供の時にもしているしな。

本当はそんなつもりはなかったのだが、触れることを兄が許してくれたことに便乗し、勝手な振る舞いで押しきってしまったのだ。

けれど、実に忘れがたい、素晴らしい口づけだった。
兄の柔らかい唇に触れたのは久方ぶりだ。渇いていた心に魂が吹き込まれ、やっと生き返った気がする。

「本当か? 凄いじゃないか。この分なら更に先に進めそうだな。頑張れよハイデル」
「そんな簡単にいくか。大体俺は当分これだけで満足できる。無理に先に進もうなんてことーー」
「おいあんたら。二人でなんつー話してんだ。他の騎士共に筒抜けだぞ」

渋い顔で剣を携え現れたのは、長身の騎士グレモリーだ。
顎で促され周りに視線をやると、確かに部下達の注目を浴びていた。

「だから何だ。ただの世間話だろう」
「……団長。あんたほんと我が道を行くタイプだよな。まぁいいけどよ、つーかあれか、マジで女出来たのかよ。どんなのだ?」

肩にがしりと腕を回され、にたついた顔で覗きこんでくる。
間違った情報に一言言いたい思いはあったが、口を閉ざして堪えた。

「グレモリーやめておけ。団長が自分の愛する相手のことを他の男にぺらぺら話すと思うか?」
「思わねえけどよお、やっぱ気になるだろうが。いいだろ、ちょっとぐらい教えろよ」

下卑た笑みで迫る騎士に、内心舌を打つ。

「……お前さっき俺の話を咎めていたよな、続きを聞きたがるなんてどんな破廉恥な思考しているんだ? そんな奴に大切な人のあれこれを教えられるか」
「あ? あんたこそ何考えてんだ。俺は別にそっち方向突っ込んだわけじゃねえ、まぁ団長が話したいってんなら無理に拒否りはしねえがーー」

何をごちゃごちゃと下らんことを言ってるんだ。もう付き合いきれん。
くるりと奴らに背を向けた時だった。訓練場の入り口に、制服姿の側近が現れる。

若干の焦り顔でこちらに向かってきて、ああまた業務上の揉め事が起きたかと、俺は肩を落とした。

「団長! 訓練中失礼します」
「よぉネイド。今俺ら個人的な話してんだわ。団長に女が出来たらしくてな、んでもっと突っ込んだ話を吐かせようと…」
「え、女…!? そんなプライベート話をあの団長がーーい、いやそれどころじゃないんだグレモリー、ちょっとどいてくれ」

俺と側近との間に立ちはだかった巨体が、無理矢理ぐいと退けられる。
ネイドは切羽詰まった表情で俺に耳打ちをしようとした。

「なんだ。用件なら早く言え」
「それがですね団長、ついさきほど中庭でセラウェさんを目撃しまして。しかもこの領内で見たこともない黒い外套をはおった男と一緒にいたんですよ。おそらくあれは魔術師でしょうか、セラウェさんが男の肩に身を預け始めて、私も急いで向かおうとしたんです。ですが二人の姿が急に消えてしまいーー」

側近から告げられた情報に、卒倒しそうになった。
見知らぬ男に、兄貴が連れ去られただと? しかもなんだその看過できない状況は。

なぜだ、この間そういうことがあったばかりだというのに、大体誰だそいつは。
この領内の警備はどうなってるんだと、団長でありながら行き場のない怒りで頭が割れそうになった。

「ふざけるな、なんでまた……クソッ、俺がすぐに向かう、そいつを捕らえるぞ!」

訓練着のまま長剣を取り出し、その場を素早く立ち去ろうとする。
後ろから「なんだなんだ? 面白いことか、団長。俺たちも行くぞ」とユトナの声が聞こえたが、俺はそれを断り一人で向かうことにした。

なんとなくだが、これまでの経験からして、俺と兄貴が現在抱える問題に関わる事柄のような予感がしたのだ。
わざわざ領内でそんな愚かな振る舞いをするのは、明らかに団長である俺が狙いだろう。

怒りをたぎらせながら、俺は兄の気配を探り始めた。






◆ セラウェ視点 ◆


騎士団領内の中を一人いつものようにぶらついた後、俺は静かな中庭へとやって来た。
木々に囲まれ、馬を連れた鎧の騎士達が厩舎へ向かうのを、遠目に見やる。

穏やかな時間なのだが、俺の心は時おり吹く風のように、昨日からざわめいていた。

クレッドと、完全に流れに身を任せた感じで、キスをしてしまった。
思い出す度に顔面から汗が吹き出しそうになり、俺はなんてことをしたんだと身震いする。

背後から押し寄せる罪悪感はあるものの、心のどこかで後悔していない自分が恐ろしく、もう訳が分からない。

そんなわけで俺はひとり、ベンチに座り終わりのない考え事をしていた。

「セラウェ。こんなところで何をしてるの? 暇なの君。僕も座るよ」

突如馴れ馴れしい言葉をかけられ、何事かと振り向く。
そこには左手に古めかしい魔法杖をもった、黒いケープの少年が立っていた。

黒髪に透き通るような白い肌をしており、赤いぱっちりとした目が、明らかに人間離れした不気味さを漂わせている。

「な、なんだお前。また知り合いか? 友達たくさんいすぎだろ、俺…」
「そうだよ。アルメアっていうんだ。まあ僕は君の友達の中でも、一段と優れた希代の呪術師だけどね」

形の良い目元を細める美少年に、ごくりと喉を鳴らす。
話をきくと、どうやらこいつはこの教会のものじゃないらしい。
確かにエブラルよりもさらに、暗く淀んだ膨大な魔力を内包しているのが伺えた。まだ幼いほんのガキっぽいのに…。

「あのー、来てもらって悪いんだけど、俺記憶が戻ってなくてさ。ハハ……お役に立てるかどうか」
「そうみたいだね。クレッドもさぞ色々溜まってることだろう。でも安心して、今日は僕が君に良いものを持ってきたから」

すぐ隣に腰を下ろしたアルメアという少年は、ケープの中からある物を取り出した。
絹のような上質な布にくるまれたそれを、俺に差し出す。

なんだこれ、甘いものか?
気になった俺はひとまず受け取り、中身を調べた。

すると眼前に、信じられないものが広がる。
それは何十枚にもおよぶ、手のひらサイズの四角い紙片だった。

「こ、これ……嘘だろ。まさか……初めて見た、こんなにたくさんの……写真、ってやつか?」

綺麗な発色で、実物そのものの被写体が二人、写っている。
資料などでなら見たことはあるが、これを渡されるということはーーいや、そんなことより。

「うん。よく撮れてるでしょう? 君とクレッド。魔界にハネムーンに行ったやつがまだ残ってたから。頼まれてた分の現像したやつを、君に渡そうと思って」

呪術師に教えられながら、ぱらぱらとめくった。
ほとんどが俺とクレッドの、二人の仲睦まじい写真だ。寄り添って、笑顔で、楽しそうな様子が分かる。

師匠が言っていたハネムーンというのは、本当だったのか。
昨日はゴタゴタしていたし、気にはなっていたが改めて聞くのも恥ずかしく、クレッドには尋ねられずにいた。

でもまさか、そんなような親密な旅行を、二人でしていたとは。
しかも魔界って……どんな手を使ってそんな異次元空間で旅してんだ。

「マジで……仲良さそうだ。俺たち……付き合ってたんだな…」

呟きながら、写真を食い入るように見つめる。
これはもう、言い訳出来ない。俺は完全に、弟と恋人同士だったのだ。
す、好き合っていたのだ、お互いに。

「どう、セラウェ。何か思い出した?」
「……いいや、……なんでだろう。どうして思い出せないんだ、俺」

頭を少し項垂れて、ため息を吐く。
自分でも分からないが、この状況が歯がゆかった。まるで自ら思い出したいと、思っているかのように。

それがどういうことなのか、記憶のない俺は本当に、分かっているのだろうか。

「ねえセラウェ。クレッドは絶対に言わないだろうから、代わりに僕が言うけど。君は思い出すべきなんだよ。過去に弟との道を自ら選んで、彼を愛すると決めたのは、何より君自身なんだから。君にはその責任があるんだ。誰が何を言ってもね」

俺の目をじっと見て、歯に衣着せぬ言い方で告げられた。
偉そうな言い草だが、反論は出来ない。全部図星だと、知っているからだ。

「分かってるよ……俺だってクレッドのこと考えてるし……あいつが望むようにしてやりたいって、思ってる…」

消え入りそうな声で述べるが、アルメアに顔を覗きこまれた。
少年の眼差しは不思議と、人を見透かしてくるような深い年季が感じられた。

「君は? 君の望みはなんなの、セラウェ」
「……えっ」

答えに窮する。
師匠にもお前の考えは何なのだと問われた。弟の思いを避けるようなことは考えていないが、まだ自発的に何かをしようとか、どうするべきかきちんと振り切れてないところが、俺の問題なのだ。

「だってさ、んな簡単にいかねえんだよ……すごく大事だからこそ、迷うってこともあるわけで……」

再び写真をめくりながら、独り言のようにこぼした。
しかしある瞬間、俺の手がぴたりと止まる。

視線がその一枚に落とされ、目が釘付けになった。
時が止まったかのように、じっと見つめていると、目の奥が急に、何かに襲われた。

それまで知らなかった感情に、心が覆われていく。

「これ、俺が撮ったのかな……」

写真には、クレッドが写っていた。
真っ白なベッドの上で、シーツにくるまり寝ているようだ。
またうつ伏せで、顔をこちらに向けて、穏やかな寝顔を見せている。

何故だろう。弟のそんな顔を見ていると、ただの写真なのに、胸が一気に苦しくなった。
気がつくと俺は、頬を静かに濡らしていた。

「セラウェ。どうして泣いてるの?」
「……わかんねえ。なんか、悲しい」

まだ会ったばかりの少年に、素直な思いを吐露する。
そうだ。悲しいのだ。
クレッドの寝顔を見ていると。

なぜ俺は、思い出せない?
こんな安心した顔で俺と一緒にいる弟を、まだ悲しませたままなのだろうか。

考えれば考えるほど、男のくせに涙が止まらなくなってくる。

「あいつに言うなよ。格好悪いから…」
「言わないよ。君がそう願うなら。……でもその涙は、もう一人のセラウェが流しているのかもしれないね」

少年が俺に寄り添い、静かに言葉を紡いだ。
もう一人の俺……そうかもしれない。

だって俺は、この写真が教えているように、クレッドと一緒にいることが幸せだったんだ。

「大丈夫だよ、セラウェ。僕は君に思い出すべきって言ったけど、君がそんな万能人間じゃないってことはよく知ってるから。そこが君の愛される由縁でもあるし」
「……なんだよお前……結構失礼な奴だな。どっちなんだよ。俺だって思い出せるもんなら思い出してえよ」

投げやりに話すと、くすりと笑い声が届いた。

「まあどちらにせよ、クレッドはそんな簡単に君を諦める男じゃないだろう? どんな君だとしても、絶対に離さないだろうから、安心しなよ」

こいつは何なんだ、傷心の俺を翻弄する気か?と文句を言いたくなった。
けれど一度止まって考えて、少しだけその言葉に心が軽くなったりもした。

俺は、あいつが離れていっちゃうの、一番怖いんだろうな。
だって、やっと手にしたんだ。
本当はずっと、気にかけてて欲しいんだ。
たとえこのまま記憶が戻らなくてもーー。

「……ずるいよな、そんなの……」

呟きながら、俺は肩を落とした。
でも段々と、思考がぼんやりして、眠気が襲ってくる。

この感じ……まただ。

「なあ、お前まさかあいつみたいに、……俺に変なことしてないよな」
「……え? なんのこと? 何もしてないよ、まだ。……どうしたの、セラウェ」

おいまだってどういうことだ。
問いただしたいのに、瞼が重く閉じてくる。

俺は奴の小さな肩に、ずるっと体を預けそうになった。
とにかく眠い。
最近、こんな調子で何かがおかしい。

アルメアが俺を呼ぶ声が聞こえたが、その後もしばらく、俺は目を覚ますことが出来なかった。



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