セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼ 19 師匠の企み

師匠が家を出てから何時間経ったのだろう。俺は依然としてナザレスとともに監禁されていた。
この別荘は二階建てでいくつも部屋があり、歩き回って全ての扉や窓を調べたが、どれも結界で固く閉ざされていてビクともしなかった。

外は段々日が落ちて薄暗くなっており、室内からむなしく静かな湖面を眺めているしかなかった。

「あ〜マジでふざけんな。早くここから出せよこのっ……。くそ、腹減ってきた……」

居間へ戻り、テーブルに顔を突っ伏したまま唸る。
恨めしげに後ろのソファへ目をやると、手を頭の後ろで組み、余裕の佇まいを見せる男がにやりと笑う。

「なんだよ、お腹空いたのか。ここには何もねえぞ、あんた冷蔵庫何回もチェックしてただろ」
「……分かってるよ。でも空いたもんは空いたんだよっ。なあ、お前なんか買ってきてくれない? 俺家で待ってるから」

なるべくお茶目な笑顔で頼むが、奴は首を縦には振らない。

「セラウェ。いくら可愛い顔でお願いしてもな、それは聞けねえ。おっさんの命令破ったら後が怖えんだよ。知ってるだろ?」
「それは知ってるけどさぁ……あ、そうだ。じゃあ一緒に行かねえか? 少し歩けば総菜屋とかあんだろ、たぶん」

頑張って近くにすり寄り、奴の好意を利用しようと食い下がった。
俺のストーカーなら少しぐらい言うこと聞いてくれてもいいだろ、と安易なことを考えたのだ。

だがこいつはさすが師匠の使役獣らしく、最低限の躾は行き届いているらしい。

「だーめだ。あんたと買い物はそりゃしてえけど、あいにくこの別荘はでかい森に面していてな、この湖も含めた一帯があの男の私有地なんだよ。諦めな」

また俺の頭をぽんぽんと触り、目をやらしく細めて諭してくる。
……そんな気はしていたが、俺はさらなる絶望に陥った。

こんな状況、やっぱり自ら抜け出す隙はない。
弟はきっと俺のことを探してるかもしれない。でもいくら勇猛な騎士団長とはいえ、何の手がかりもなしに、違法者の隠れ家を見つけられるわけないのだ。

「ふっざけんなよ……俺いつまでここでダラダラしてなきゃなんねえんだ。皆心配するし、帰んなきゃいけねえのに」

呟いて、あまりの焦燥に立ち上がった。
バルコニーから見える湖に向かい、歩きだす。扉を開け外に出ると、後ろからナザレスも追ってきた。

俺はかまわず柵から身を乗り出し、すうっと大きく息を吸う。

「誰かー!! 助けてくれえーっっ!! 俺はここだ! クレッド! ロイザ! オズー!!」
「ちょっ、あんた何いきなり叫んでんだ、やめろよおい」

背後から腕が伸びてきて体を抱えられる。
片方の手が俺の口を覆い、もごもごと声が出せなくなる。カチンと来た俺は口を開けて奴の指を思いきり噛んでやった。

どうせ大した打撃にはならないのだから、せめてもの抵抗だ。
心の中で舌を出そうとすると、耳のすぐそばに奴の口元が当てられた。

「んん? それいいなぁ……どうせなら舐めてくれねえ? ほら、先っぽ…」

言いながら二本の指を俺の口内にゆっくり侵入させようとしてくる。
そのまま舌を撫でて、中をくちゅくちゅと掻き回してきた。

そんな非常識な行為をされたことがない俺は、一気に全身が冷え体を震わせた。

「んっ……んむ、んはっ!」
「……ああー……やらしい……もっと吸ってセラウェ」
「っく、ぅ、や……めっ……んうっ」
「はぁ、すげえ、あんたの舌えろすぎ、気持ちい、やばーー」

その時、男の荒い息が突然停止した。と同時に背後でドスン!と大きな打撃音が響いた。

「ゥグッッ」

ナザレスの呻き声と共に体が解放され、俺は振り向いて後ずさる。
そこには奴の首にぶっとい腕を回し、ぎりぎりと容赦なく締め付ける巨体の姿があった。

「てめえは何してんだクソ野郎! 弟子に手出すなっつったのが分からねえのか、このちっちぇえ兎の脳みそじゃ!」
「……ぐ、あぁあッ、ちょ、たんま、おっさん! 死ぬ! 死ぬから!」
「ああ死ね! 何べんでも殺してやるぜこの淫乱黒兎がッ」

本気の形相で使役獣を痛め付ける師匠に、呆然とする。
惨事を恐れた俺が思わず「あ…もういいから、マジで死ぬぞそいつ」と止めに入るほど、ちびりそうな光景だった。

しばらくして、何故か俺まで己の不注意をこっぴどく怒られ、二人して再び居間の中へと閉じ込められた。
床の上に正座をし、正面のソファに座った師匠をさりげなく見やる。

「あ、あのーお帰り師匠。遅かったな。どこ行ってたんだ?」
「腹減ったろう、セラウェ。ほら、飯を買ってきてやったぞ。食え」
「……えっ。ありがとう」

テーブルに置かれた紙袋を漁ると、確かに暖かい出来合いの食事が入っていた。
なけなしの気力を取り戻すために、とりあえず食べることにした。

「おっさん、俺の飯は? 早く魔力くれよ」
「てめえは抜きだ。マスでもかいてろ」

食事中に下品な台詞を耳にし、ぶっと吐き出しそうになるのを堪える。
隣であぐらをかいて座るナザレスは、まったく意に介さない風に、俺のことを再びいやらしい目付きで見てきた。

「へえ、いいんだ。我慢なんかしたら、またセラウェのこと襲っちまうかもなぁ、俺」
「……あ!? ふさげんなよてめえこっち見んな変態っ!」
「そうか。そこまで言うならここに来い。ナザレス」

俺達のやり取りを冷めた目で眺めていた師匠が、低い声で命じた。
使役獣は鼻歌まじりで立ち上がり、師匠のすぐ前に移動し、また腰を下ろす。

きっと魔力供給を行うのだろうと、俺は興味津々で見ていた。
……あれ、でも何故だろう。
この状況、また前にもあったような気がする。不思議だ。

ぼんやりと思い出そうとしていると、どさり、と突然人が倒れる音がした。
あっという間の出来事で、気がつくとナザレスが床に横たわっていた。

「えっ? 何したんだあんた、まさか本当に……やったんじゃ…」
「馬鹿かお前は。こいつを作るのにどれだけ苦労したと思ってんだ、殺るわけねえだろ。よく見ろ、寝てるだけだ」

顎で指し示され、近づいて観察してみる。
奴はなぜかうっとりした表情で、黒目を開けたまま静かになっていた。

これ、寝てるのか? なんか薬でもやって休んでるみたいに見えるんだが。
こんな魔力供給ってあったっけ。

……まあいいや、なんか関わりたくない。

「そんで、師匠。用事は何だったんだよ。済んだならもう俺を帰してくれよ。弟子達も心配してるからさ」
「まだ済んでねえ。おら、飯食ったら今度はこれだ」

師匠が胸ポケットから、突然小さな瓶を取り出す。
透明な水晶の中には、紫色の怪しげな液体が入っていた。

俺はその物体と男の顔を交互に見た。

「これ……何だよ。まさか俺に飲めとか言わないよな。……いや、まあ正直ちょっとは気になるけど、流れ的にぜってーヤバいもんだろうし、いくら俺でもーー」
「これはな、セラウェ。記憶を完全に抹消させる魔法薬だ。よくトラウマ療法なんかに使われている、ほらあれだ、忘れたくても忘れられない記憶に悩む奴がいるだろう。拷問とか虐待とか、凄惨な現場に立ち会った人間とかがよ。そういう状況に使われるブツだが、もちろん俺個人がお前用に改良したものだから、効き目はさらに抜群だ。さあ飲め」

ぺらぺらと説明をされたが、一瞬何を言ってるのか分からず、俺は思考を停止した。
だが段々、その恐ろしい内容に目眩が襲ってくる。

記憶を完全に無くす……?
なんでそんなもんをわざわざ、用意してきてんだ。

「冗談だろ、何考えてんだあんた、いくらなんでも横暴すぎるぞ。飲めって言われて飲むわけねえだろ。しかもなんだ? 俺が無くした記憶が、弟とのことが……トラウマとか凄惨だとか、そんな風に言ってんじゃねえよ!」

机を叩いて精一杯抗議をした。だって酷すぎるだろう、人の頭を何だと思ってるんだ。

「お前、正気か? セラウェ。今のお前なら分かるだろう、これを飲めば二人揃って正常に戻れるんだぞ、お前ら兄弟。さっき言ったよな、弟の将来がどうのこうのってよ。本当にそう考えてんなら、お前が断りゃいいだけの話だろうが。まあ俺はあいつのことなんざどうでもいいんだ、お前が真っ当に戻りさえすりゃあな」

師匠がこれ以上ないほど真剣な眼差しで、説得をしてきた。
俺は言葉に詰まる。
この人なりに弟子のことを考えて言っているのだということは、理解は出来るのだが……俺はやっぱりどう考えても、自分からこの薬を飲もうという気には、なれないのだ。

「無理だよ……出来ねえ」
「なんでだよ。お前には今記憶がねえんだろ? じゃあいいじゃねえか。同じことだろ、思い出せねえんだから」
「……でも、クレッドは……あいつはどうなるんだ」

胸の痛みを隠さずにこぼすと、じろりと鋭い視線が向けられる。

「じゃあお前は、事実を知ってもまだ、記憶を取り戻したいっていうのか? んな馬鹿げたことがあるか、バカ弟子」
「……お、俺は……」

本当はどうしたいのだろう。
ただ弟のことが心配なんだ。これ以上、傷ついてほしくない。傷つけたくないと思っているんだ。

「あいつを悲しませたくない……」

膝をぎゅっと掴んで気持ちを吐き出した。
じっと黙っていると、深いため息が聞こえた。

「あいつのことはいい。お前はどうしたいんだよ。受け止めきれんのか? あの男がこのまま大人しくしてるとは思えねえな、俺には」
「……あ? どういう意味だよ」
「子供じゃねえんだから分かるだろ。お前のことだ、ぼーっとしてるとヤられちまうぞ」

……またその話か。獣にしろ師匠にしろ、なんでよってたかって俺をその手の話題で攻めてくるんだ。

ふざけんなよ、俺だってガキじゃねえ、馬鹿にすんなと言いたいところだが、師匠の憤怒の表情が怖い。

「あいつはそんな奴じゃねえ。いつも優しいし」
「ばーか。野郎は皆けだものなんだよ、お前以外はな、セラウェ」
「うるせえなっ、そこの獣と一緒にすんな! 何の根拠があってそんなこと言うんだよ、何も知らないくせに!」
「はっ、お前よりは知ってるぜ。何も覚えてねえのはてめえだろうが」

悔しいが言い返せない。
だが含みのある言い方が気になった。
この男、クレッドとすでに知り合っていた理由は、十中八九俺を介してだろうが、他に何かあったのだろうか?

だが簡単に口を割るとは思えない。
それに、もう夜も更けてきて俺は疲れていた。

眠気もあるし、どうせ逃げられないなら少し休みたい。
明日は平日で、弟は仕事がある。そうでなくても、俺の居場所は分からないと思うが……どこかで期待がなくせなかった。

「師匠、部屋借りていいだろ。俺もう寝たい。話のつづきは明日にしようぜ」
「……ああ、そうだな。飲みたくなったら言えよ」
「飲まねえよ、しつけえな! つーか寝てる間に薬盛ったりするなよ!」
「あのなあ、俺は身内にはそんな非道な真似しねえよ。大体そのつもりならお前の飯にあらかじめぶっかけとくわ。んな事やってねえだろ? な?」

あっけらかんと言い聞かせる師を、唖然と見やる。
そうだ、こうは言ってるがさっきのご飯大丈夫だよな。
まさか騙されてないよな。わざわざ説明してきたし、そこまで終わってはないだろう、師匠も……たぶん。

心理的にも肉体的にも疲れ果てた俺は、のっそりと立ち上がった。

「じゃあおやすみ。……あっ、この獣俺の部屋には入れんなよ。絶対だぞ」
「ああ、分かってるよ。こいつは朝までこのままお寝んねだ。心配すんな」

師匠がごつい指で奴の頭を小突くが、ナザレスはまだぽうっとした表情で夢見心地だ。
なんか怖え。さっさとずらかろう。

足早に居間を去った俺は、二階の奥にある一室へと向かい、休むことに決めたのだった。



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