▼ 1 修行の果て
「マスター、いきますよ、はああぁっっ!」
「おう来い、我が弟子オズよ、まぁ簡単には俺の防壁破れないと思うがやるだけやってみーーうぐぅうッ!!」
「……やった! ばっちしマスターの急所に当てたぞ! ……って大丈夫ですかちょっと!」
両手で前のほうを押さえ膝から落ちた俺のもとに、真っ青な顔の弟子が駆け寄ってくる。
何も俺達はふざけているわけではない。れっきとした修行の真っ最中、オズの一撃必殺が命中したのである。
「おまえ、中々やるじゃねえか、隠れて特訓でもしてんのか……? この分ならそろそろ、新しい禁止魔法を伝授してやってもいいぞ……あ、その前に治癒魔法かけて…」
「ほんとですか、マスター! ありがとうございますっ」
オズが明るい茶髪と同じ茶目を、喜びいっぱいに輝かせた。
ふふ。可愛い奴め。
普段は面倒な修行の世話も、弟子の成長を見た瞬間は気分も晴れ晴れとする。
そんな時、魔術師専用の訓練ルームに長身の男が入ってきた。
がっしりとした褐色の体に無表情を浮かべた、使役獣だ。
「お前達、なにを遊んでいるんだ? セラウェ。そろそろ俺の飯の時間だ、用意しろ」
「へーへー。貰う側なのに偉そうな奴だな。ちょっと待ってろよ、今オズに新しい技教えてやってんだ」
「そうだよロイザ、珍しく面倒くさがりのマスターに見てもらえるチャンスなんだから、まだ俺の時間だぞ」
立ち上がった弟子が、涼しげな顔の使役獣に胸を張る。
参ったなぁ、二人に取り合いされちゃってるよ、俺。
「修行か、人間はご苦労なことだな。誕生の時点であらゆる神秘の力を操れる俺には、その苦労がまるで理解出来ん」
「え〜いいよなぁ、ロイザは。何もしなくてもマスターより強いんだから。……あっ、そうだ。良かったらお前の魔法も、何か俺に教えてくれないか?」
何気に毒を吐いている弟子をジト目で見やると、急におかしなことを言い出した。こいつ、ちょっと一撃が決まったからって調子づいてないか。
嫌な予感がした俺は即座に「おいバカな事言ってんじゃねえっ」とつっこむ。
しかし予期せぬことに、ロイザはにやりと口角を上げたのである。
「ほう、幻獣の俺に身の程知らずの頼みをしてくるとは、さすがセラウェの弟子だな。いいだろう、特別な呪文を教えてやるから、真似出来るものならやってみろ。おそらく人には発音すら出来ないだろうが」
使役獣がオズに近寄り、耳元で何やら呟き始めた。
口の動きを注視したが、それは俺も初めて聞く言霊だ。
古代魔術を研究する師匠ですら、まだ全ての解明がなされていないロイザの力。
ここだけの話俺も興味があって、耳にしたものをそのまま詠唱してみたことがある。
しかし当たり前だが、どれも無惨なまでに失敗に終わった。
だからこそ、俺はこの時ものすごく嫌な空気を感じ取ったのだ。
ーーそう、オズが何やら急にやる気に満ちた表情で向き直った瞬間に。
「せっかくだ。お前の師に実験体になってもらえ。セラウェはこういう事に慣れているからな」
「……あっ? うそだろ、ちょ、やめろオズ、これはしゃれになんねえ……っ」
咄嗟の判断により、聖力の防護壁を発動させるも、辺りが白い霧に包まれる。
それを見た瞬間、三人の瞳が大きく見開かれた。全員びっくりしている。
いや、まさか成功なんてするはずがない。
こいつまだ七年目の若者だぞ。
そんな俺の予想は、もちろん当たった。だが例のごとく、止められなかった己の責任として、ものすごいピンチを被ってしまったのである。
◆ オズ視点 ◆
「あの、マスター……?」
白い煙が四散した後、目の前には、どこか瞳がうつろな自分の師が立っていた。
ぼうっとしていて、少し下を見たまま動かないでいる。
心配になった俺は駆け寄って肩を掴み、そっと揺らした。
「マスター、大丈夫ですか? すみませんいきなり……! でも思ったとおり失敗したみたいですね、はは…。 ロイザ、人を瞬間移動させる魔法なんて、やっぱり俺には無理だよ」
苦笑して使役獣を見ると、ロイザが怪訝な顔をして短く「ああ」とだけ呟いた。
そうしてマスターの前に行き、顎を取って上向かせる。
俺の師はやっと何かに気づいた表情になり、目を左右にゆっくり動かした。
「……あ? なんだ、これ。ここ、どこだ? お前ら」
「セラウェ。どうした? 混乱しているのか」
問い返された師は訳が分からないといった顔つきで、あたりを見回す。
途端に俺の中で、何やら言い様のない不安が沸きだした。
「マスター、今訓練してたんですよ。記憶が混濁してるんですか? ここは魔術師別館の訓練室ですよ」
「……訓練室? 俺達の家じゃなくて? ……つーかマジで、なんだこの場所……結界で、切り離されたみたいな……」
俺とロイザが顔を見合わせた。
どういうことだろう。明らかに様子がおかしい。
「今日出かける用事あったっけ? あ、そうだ。次の依頼いつだよ、オズ。外暗いし、そろそろ帰ろうぜ」
そわそわし始めた師に対し、俺は焦って顔を迫らせる。
「依頼って、なんの事ですか。任務ならしばらく入ってませんよ、ネイドさんがそう言ってましたから」
「……誰だそれ、ネイド…って。なぁ、お前大丈夫か。任務とか、何言ってるんだ」
まずい。
これはーー良くない。駄目だ。大変なことになっている。
瞬時に重大な事態に気づいた俺は、涙目になって使役獣に助けを求めた。
ロイザはまっすぐにマスターの瞳を見つめ、静かに口を開いた。
「セラウェ。俺達は今、どこに住んでいる? 直近の依頼は何だった」
「……なんだいきなり。ド田舎の森ん中だろうが。お前が毎日駆け回って狩りしてる……えっと、この前の依頼は……メシェール商会の爆薬納品だったな。もう忘れたのかよ、散々な目に合ったっつうのに、お前はお気楽だなほんとーー」
ぶつぶつごちる師に向かって、ロイザはため息を吐く。
そして俺が思ったことと同じことを呟いたのだった。
「なるほど。記憶がさっぱり抜け落ちてしまったらしい。それも約二年分だ。これは困ったな、オズ」
使役獣の台詞に、俺の目はすでにもう、涙で決壊寸前だった。
自分の行いを悔いるだけじゃない、記憶をどうやって元に戻すべきか、一人では何も分からないという事実に震えていた。
そして、この事は俺とロイザ以上に大変なショックを受ける人物が、いるということだ。
それはもちろん、この騎士団領内に住む団長であり、マスターの唯一無二の弟さんである、クレッドさんのことだった。
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