▼ SS 兄上とのトーク
我が不肖の弟ルニアが、汚らわしい人間の男に奪われてから数ヶ月。私は下界に何度も使者や電報を送った。そしてようやく今日、四度目の接見の機会を得た。
ふっ。あいつの反抗期もようやく治まってきたようだ。
服装を整え、壁に備えられた魔石の前に座る。
「ルニア。私だ」
時差の為に向こうの映像が遅れるのも構わず、平常で声をかけた。
やがて幼子のようにあくびをする弟が映しだされる。
『……ああ、兄上。おはようございます』
「まだ寝ていたのか? あの男はどこにいる」
低い机の前にあぐらをかくルニアの周りには、他者の気配はない。
『仕事ですよ。俺達と違って暇じゃないんで。……ねえ兄上、やっぱり毎週水曜日にトークするの止めませんか。兄弟なんだし月一でも十分でしょう』
「またその話か、お前も存外しつこい弟だな。兄の言いつけは素直に守るがいい。それでなくともお前を穢れた地上に置いたままであるという事が、私は我慢ならないのだ」
感情的にならず控えめに告げてやると、ルニアのわざとらしいため息が聞こえた。
夜伽の時間以外は飽きやすい弟のことだ。そろそろ話題を変えてやろう。
「裸になれ、ルニア。私の前で衣服など必要ないだろう?」
薄い布地の衣服からのぞく首筋に、先ほどから視線を奪われていた。
『懲りませんね、兄上。まあそのぐらいならいいか……逆らっても後が怖いし。浮気にならないよな…』
ぶつぶつと言いながら、一糸纏わぬ白肌が現れる。
何度抱いたか分からぬほどだが、見るたびに色艶が増していく肢体は、否応なくこちらの劣情を誘う。
我が弟の色香は一族の中でも、特別に値する代物なのだ。
「ふふ、素直な良い子ではないか。昔のお前に戻ったようだ。……では次は下肢を開き、自らの手で愛ーー」
『調子乗んなよ兄上。んなこと出来るわけないだろ。あっそうだ、兄上が最初に見せてくれるっていうなら、考えてもいいですけどね』
にこりと表情を変え、悪戯っぽく片目を閉じて見せた。
私は軽くため息をつく。弟は変わってしまった。
もう兄の言うことを純粋に聞き入れるだけの子供では、なくなってしまったのだ。
しかしだからこそ、時にはどちらが上に立つ者なのかを、思い知らせてやる必要がある。
「ふん、よいぞ。お前が懇願するのならば、しかと目に焼きつけるがいい」
『えっ?』
弟との交わりでは無論そのような屈辱的な行為をするはずもなかったが、奴を焦らせてみたくなった。
椅子の上で前をくつろげようとした私に、ルニアの絶叫が響き渡る。
『うわああああ! ちょ、止めてください兄上、俺兄上のそんな姿見たくなーー』
すると、弟の背後から扉が開く音がした。
眉を吊り上げ、手をぴたりと止めた私は、その方向を睨み付ける。
二度と視界に入れるつもりのなかった男の姿が、現れた。
同じく気配に気づいたルニアが、突然見せたこともない目映い笑顔を浮かべ、振り返る。
すぐに立ち上がり、見切れている長身の男の制服に飛び込むと、奴の広い腕に抱き締められた。
『べリアス! どうしたんだ、こんな時間に? まだお昼だぞ』
『ああ、書類を家に忘れてな。そんなことはいい。……ルニア、お前はなぜ全裸なんだ?』
男は自分の制服の上着を脱ぐと、ルニアの白肌をすべて覆うように上からくるませた。
私はその不愉快な光景に大きく舌を打つ。
『おい。てめえルニアに何しようとしやがった。ただのお喋りしか許した覚えはねえぞ』
「……許しだと? 笑わせるな。なぜ、お前のような下賤の者の許可がいるのだ。大体ルニアは自分から肌を見せたのだぞ、まだ兄との密事が忘れられないのだろうな?」
目を細めて問いかけると、弟が顔色を一変させた。
『兄上! 嘘はやめてください、貴方が俺に命令したんでしょうが!』
「ふん、お前が応じたのだから同じことだ。いい加減己の気持ちに素直になるといい」
『もう余計なこと言わないでくださいよ、後でべリアスにどんな目に合わされると思ってるんだ!』
黒目を剥いて反抗するが、じわりと染まっていく目元が、奴のあふれ出る色欲を表している。
仕置きの想像をし、興奮しているのだろう。私が仕込んだことなのだから、すぐに分かる。相変わらずの淫乱だ。
相手をしてやろうと思ったところで、その透き通るような白い頬が武骨な手に覆われた。
『んん……っ』
この男ーー私の前でルニアに接吻をするとは。
ああ、今すぐこの爪で奴の喉を掻っ切ってやりたい。
『ルニア。お前なんだか顔が笑ってるな? 何を期待してるんだよ』
『……えっ、いや……それは……あんたの…』
『俺の……なんだ?』
『あ、兄上の前で恥ずかしいだろ。言わせるなよ』
『別にいいだろう。お前はもう俺が手に入れたんだから、奴には関係のないことだ……』
二人の口づけが響く。
普段氷のように冷静な私が、つい部屋のもの全てを一瞬で破壊しそうになった。
だがエアフルト公爵家次期当主の身で、余裕を失した素振りなど見せてはならない。
無心で数秒耐えた後、咳払いをする。
『あっ、兄上。申し訳ありません、待たせてしまって』
「まあいい。ルニア、今日は実はお前に贈り物があってな」
自然な笑みを作り、手に握った黒水晶の魔石をちらつかせた。
「これは魔界の最高級豪華客船、サン・レフィアス号の乗船券なのだ。七泊八日、二人一組の権利をお前に与えようと、この私がわざわざ入手してーー」
『ほっ本当ですか兄上、……俺とべリアスにまさかそんな素晴らしいものを用意してくれてたなんて……!』
言葉を遮られて喜ばれ、唖然とした。
気がつくとルニアは子供のようにはしゃぎ、憎き騎士に飛び付いていた。
『すごいぞべリアス、俺クルーズなんて初めてだ! あんたと一緒に行けるなんて信じられねえ!』
『ちょっと待て、ルニア。俺は魔界に旅行なんざ……一週間だと? そんなに休めるわけねえだろ、俺は団長だぞ』
勝手に話し始めた二人にしびれを切らした私は、口を挟んだ。
「おい、私の話を聞け。だれがお前に行かせると言った。私とルニアの二人旅に決まってるだろう。調子に乗るな人間ふぜいが」
当然の主張を吐き出すと、ふてぶてしい表情に睨み付けられる。この男、実に忌々しい。
弟の執着さえなければ、即刻切り刻んで鳥に食わせてやっているところだ。
だがルニアの悲壮な声が鳴り響いた。
『ええっ? 兄上と? そんなの無理ですよ! だって兄上絶対俺に手出すでしょう? そんな危ない旅行に誰が行くんですか』
「ふふ、なんだ。もう想像しているのか? お前を抱くことは否定しないが、久しぶりだ。いつもより優しくしてやろう。どうだ、ルニアーー」
『てめえ……願望はそこまでにしろ、お前にルニアを預けるわけねえだろ。返すつもりもねえくせによ』
預ける? 返すだと…? 一体誰に向かってものを言っているのか。
そもそもルニアは私の所有物で、外に出したのは確かに誤りだったが、この男さえいなければ弟はまだこの手の中にあったというのに。
『俺、でもそのクルーズ乗りたい…。旅行なんて行ったことないし、昔からずっと城の中か近場をぶらついてただけだ……』
弟の悲しげな顔に、柄にもなく胸がちくりと痛む。
穢れに触れさせぬため、用意した箱庭での窮屈な暮らしをさせていたのは、他でもなく私だったからだ。
「お前、そんなにその男と一緒に行きたいのか」
『……はっ、はい。行きたいです兄上…!』
また輝きを取り戻しそうになった表情をみて、心が揺らぐ。
自分らしくもない、複雑な感情が冷えた心に動きを与えていく。
今さらになって私は弟の気持ちを、少しでも取り戻したかったのかもしれない。
「ならばいい。どうしてもというのなら、そいつと行け。……たまには弟のわがままも聞いてやらんとな」
ここに居ること自体が最大の我儘だが、なぜか私はルニアの言うことを呑むことにした。
『やったああ! ありがとうございます兄上! べリアス、楽しみだな!』
ルニアは改めて喜びを露にし、この場の誰よりもはしゃいでいた。
弟のこのような姿は、見たことがない。
すべて知っていると思っていたルニアの一面が、垣間見えた時だった。
『おい。本当にいいのか? 何かの罠だったら承知しねえぞ』
男が偉そうに顔を近づけてきた。
本当に、こいつだけは、いつか息の根を止めてやろうか。
「黙れ。私はそんなに暇ではない。……クソッ、なぜいつもいつもお前を選ぶのだ。お前に私の気持ちが分かるか?」
『知らねえよ。俺が言えるのは、大事なもんは手放したらおしまいだってことだけだ。だから俺はルニアを離さねえ、絶対にな』
金色の瞳が強い意思を持って告げる。
言い負かすつもりが、言葉が出なかった。
いや、私はまだこんな輩に平伏しはしない。敗北と決まったわけではない。
「ルニアを楽しませろよ。あいつはわりと子供じみたことが好みだ。王道でもてなしてやるといい」
『任せろ。あいつの世話は慣れてきた。言うことはあんまり聞かないけどな』
にやりと笑う男が憎らしい。
だが今回だけは、引いてやるとしようーー我が愛する弟、ルニアのためだ。
(ハイデル兄弟102話の裏話)
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