▼ 13 団長、宣言する
「デシエ。お前、わざわざ俺を説教しに、地上へ降りてきたのか?」
俺と執事は洞窟の中にいた。
黒スーツで貫禄ばっちりに見下ろしてくる執事に対抗し、俺もコウモリから立派な悪魔の姿に変化した。
とはいえ、幼い頃からよく知る厳格な教育係を前に、尻尾をさわりながらタジタジしてしまう。
「ええ、そうですよ。貴方の兄上、ゼフィル様のご命令で」
「うそ! 兄上が? なんでだよ。俺が魔界からやって来て、まだそれ程時間経ってないだろ?」
地上に来てもうすぐふた月ほど。人間界では三倍の速度で時が経過するため、魔族の俺には、まだちょっとした休暇程度の感覚だ。
兄上はわりとせっかちなのかもしれない。それとも、あの冷酷無慈悲なお方でも、俺の体が恋しくなったのか?
ほくそ笑んでいると、執事が俺の前に歩みだした。
魔族らしくすらっとした長身で、無駄のない筋肉の張り具合。
俺の好きなマッチョとは違うが、真っ白な肌に美麗な顔立ちを含め、見惚れるような男だ。
「やはり……その淫紋のせいですね。ルニア。服を脱ぎなさい」
「ひゃえっ?」
普段は優しげな橙色の瞳が、スッと厳しさをまとう。
俺は言われた通り、ズボンを下ろした。
ベリアスにつけられた淫紋を、執事が地面に跪き、じろじろと眺めている。
「んあぁ……そんな見ないでぇ」
「何を一人で盛り上がってるんです。こんなに勃たせて……はしたない方だ」
責めながら、口元は愉快そうに吊り上がっている。
びくびくと痙攣する俺のチンポに触れ、指で優しくこすり始めた。
「あっあっ、気持ち、いい」
「一体誰が貴方にこんな刻印を……あの騎士団にいる者ですか」
「んうぅ、あ、あ、口でして、舐めて……っ」
「正直に言えば、してあげますよ」
濃いブラウンの柔らかな髪をくしゃっと触ると、デシエが上目遣いで色っぽく微笑んだ。
ああ、懐かしい。
昔もこうして二人きりで、性教育を受けたっけ。
「んあ、あう、早くぅ…!」
「では言いなさい、ルニア。誰なのです?」
「や、やだ、ああぁッ」
手の扱きに負けて、念願の口淫をされる前に、びゅるるるっと射精してしまった。
思いがけず麗しい執事の顔に、ちょびっとぶっかけてしまう。
「貴方は……」
デシエはスーツから取り出した白ハンカチで、ぴきっと青筋が立っている顔を拭いた。
まずい。またやってしまった!
「いけませんね。昔から同じ失敗ばかりして。まだまだ教育が足りないようだ」
言いながらへたっとした俺のチンポを口に含み、綺麗に舌で拭ってくれた。
「んああぁっ」と続けて叫ぶ俺を、呆れを滲ませた愛情深い瞳で見つめてくる。
「では行きましょう。貴方の顔を久しぶりに見れたことは嬉しいですが、ただで帰るわけにはいきません」
「えっ。ちょっ、どこ行くんだよ?」
「決まってるでしょう。あの騎士団ですよ。エアフルト公爵家の御子息に対して、ふざけた淫紋を施した輩にご挨拶をしなければ」
「駄目だって! 俺は大丈夫だから、もう帰れよッ」
ベリアスに会わせるのはまずい。
俺の目的がバレてしまえば、もっと怒りを買うだろう。
必死に目をウルウルさせて、自分より数段魔力量が上の悪魔を引き留めようとした。
「ま、待ってデシエ、いやだぁぁ、駄目だぁっっ」
しかし結局、執事に聞き入れられることはなかった。
俺は再びコウモリ姿となり、大きく翼を広げた目の前の鷲によって捕らえられ、大空をはばたくことになったのである。
◆
とっくに夜が空けて、すでに日が上っている。
砂漠にぽつぽつと浮かぶ野営地を上空から見下ろすと、なにやら騎士たちの喧騒が聞こえてきた。
黒ローブの上級騎士たちと、それに追随する白ローブの従騎士たちがそれぞれ、数十人ほど集まっていた。
あ、ベリアスがいる!
それに、副団長のネイガンと、隊長のリーディスも皆勢揃いだ。
騎士たちの前には、灰色のローブを身にまとった数人の男たちが立っていた。
手には魔法杖を持っている。
あれはきっと騎士団と連携を行う教会の魔術師たちーー悪魔の宿敵、白魔法使いの聖職者だ。
ただならぬ雰囲気……何か事件でも起こったのか?
『ルニア、彼らが何か話していますよ。貴方にも聞かせてあげましょう』
俺を鉤爪で掴んだままのデシエの声が、脳内に響き渡る。
特殊防護を張っているおかげで、俺達の存在は下方にいる騎士や魔術師らも気づいていないようだ。
奴らの会話に小さな耳を澄ませる。
「ベリアス殿。今日こそ貴方が匿っているあの悪魔を、引き渡してもらいますよ」
「何の話だ。騎士団がお前達に与える物など、武力以外に存在しないが」
えっ。
どうやら話の種はこの俺らしい。
灰ローブのリーダーらしき者と騎士団長が、一触即発の雰囲気になっている。
「しらばっくれても無駄ですよ。私達が何も知らないとお思いか? あの悪魔は騎士団内の結界を動き回り、あまつさえ簡易温泉でもあのような変態行為を……」
「なんだと? 温泉?」
まずい。魔術師たちに全てバレていたのか。
よく見ると騎士の中に、俺と温泉で営みを行ったアルシャの姿もあり、ちらちらと団長を気にしている。
すると副団長のネイガンが前に出た。
「おい。お前ら騎士団内にも無断で結界を張っていたのか。取り決めを忘れたか、魔術師共!」
「防護のつもりですよ。脳筋のあなた方には分からないでしょうが」
「の、脳筋だと……ふざけやがってッ」
普段は優しく慈悲深いネイガンが怒り狂っている。
「ベリアス殿。貴方があの悪魔を手先にして、どのように我々を陥れるつもりか知りませんが、無駄なことです。あんな淫靡な小悪魔、いつでも祓う事など出来るのですから」
魔術師の言葉に、他の灰ローブたちがうんうんと頷いている。
どういう事だ。
ベリアスは、俺を利用しようとしていたのか?
何故だか頭がぐらつき、胸がずきりと痛んだ。
心だけでなく、胴体を掴んだ爪にもぎゅうっと力が込められ、痛みが走る。
『……そういう事か。ルニア。やはりあの男が原因なのですね。さあ、下に降りますよ』
『えっ? ちょっと待てよ、まだ……行くなって!』
思わず大声を上げると、デシエの動きがぴたりと止まった。
同時にベリアスの低い声が聞こえてきた。
「ーー俺はあいつを利用しようと思ったことは、一度もない。お前ら聖職者に近づけようとした事もな」
落ち着き払った声質からは、いつもの無表情が想像できた。
確かにこの男は自由に飛び回ろうとする俺を、どちらかと言えば拘束、いや束縛していた。
「そうだぞ。ベリアスはルニアを悪用しようなんて、考えてないぞ。なあ、リーディス」
「えっ俺に振るのかよ。まあなぁ、団長がそこまで言うなんて、ちょっと不気味だけどな」
リーディスが鼻にかかった笑い声で答えた。
すると灰ローブから、魔術師の怪訝な顔つきが僅かに覗いた。
「なにを……いくら騎士殿たちがかばい合ったところで信じられませんね。ではなぜあんな悪魔を飼いならしているのです? 団に良い影響があるとは思えませんが」
至極もっともな意見だが、そこを突かれたら痛い。
ベリアスは何と言うのだろう?
この男の本心が少しは垣間見えるのだろうか。
「確かにな。無責任だとは思うが、俺にも分からねえよ。……ただ一つ言えるのは、あいつの事が気に入ったからだ。あいつはお前ら魔術師のように、小賢しいところがない。素直で面白みがあるから、そばに置いている。それだけだ」
口調は素っ気ないものだったが、その台詞が聞こえた途端、なぜか注意を強く引かれた。
こいつは、そんな風に思っていたのか。
ベリアスは俺の体ではなく、性質を気に入ってくれてたというのか?
そんな事、全くの初めての経験だ。
飾り気のない騎士の告白が、柄にもなく自分の胸に響いてきた。
心臓がどきどきと高鳴り、急に居ても立ってもいられなくなった。
『デシエ、俺、あいつのとこに行ってくる……!』
気がつくと、俺は掴まれていた体を振り切り、すごい勢いで降下を始めた。
『ルニア!』という執事の驚く声が聞こえたが、俺はかまわずベリアスを目指して飛んで行った。
やがて騎士たちの姿が近づき、何人かがこちらを見た。
灰ローブの魔術師を含め、ベリアスも気がついたようだ。
小さな黒翼を広げ、黒ローブの胸にバタッ!とへばりつく。
周りはしん、としていた。
俺はすかさず人の姿となったのだが、勢い余って、本来の黒い角と尻尾も出してしまった。
全裸じゃなかったことだけが救いだ。
「ベリアス……」
うっとりと見上げると、何故か騎士には、ふるふると怒りの形相で見下されていた。
え、なんだよ。
感動の再会かと思ったが、違うのか?
「お前……ッ、どこ行ってたんだ! 何故俺の言うことを欠片も聞かねえんだ! いい加減にしろよッ!」
大声で怒鳴られ耳がキンキンと痛くなる。
金髪金眼の雄々しい騎士に恫喝され、呆気に取られたのは俺だけでなく、周りの騎士たちも固まっていた。
「悪かったよ。そんな怒るなって、恥ずかしいだろ……」
猫なで声を出し、硬い鎧に体をすり寄せると、ベリアスは腕の中にがっちりと抱き寄せてきた。
ゴホッと咳払いをし、前にいる灰ローブの魔術師たちを見やる。
「いいか。こいつは単なる無邪気な魔族だ。害はない。手出しはするな」
そう告げた途端、魔術師たちは苦虫を噛み潰したような顔になった。
同時に、後ろに整列した騎士たちが一斉にガチャ!と鎧の姿勢をただす音が聞こえた。
ちらっと振り向くと、黒ローブも白ローブも俺と目を合わせた瞬間、サッと視線を逸らした。
あれ。
一体どうしたというんだ。
騎士たちの中には見知った顔があった。
従騎士のミラトは、悔しそうな可愛い顔で俺を睨んでいる。
アルシャは羨望の眼差しで団長を見た後、こちらを切なげに見つめてきた。
近くにいたリーディスは、呆れ顔で腕組みをしていた。
ネイガンはまるで保護者的視線で、俺に優しい笑みを投げかけてくる。
俺を腕の中に捕まえている男を見上げると、やはりいつものムスッとした顔だった。
「ベリアス、俺はあんたのものなの?」
「そうだ。何度も言ってるだろ。ようやく分かったのか、お前」
頭に鎧の手を置かれ、無造作に撫でられる。
どうやら俺は、改めて騎士団長の所有物である事を、皆に知らしめられたらしい。
騎士団員を食らいたいという俺の野望は、このまま潰えてしまうのだろうか?
しかしまだ懸念が残っている。
上空で俺たちの様子を見ていた執事のデシエだ。
俺が空を見上げると、奴は忽然と姿を消していた。
? もう帰ったのか。
公爵家の職務第一の執事が、あっさり手を引くとは思えない。
けれどとりあえずは、無事ベリアスのもとへと戻って来れたようだった。
俺はほっとしながら、この後行われるだろうお仕置きに、体を疼かせていた。
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