▼ 3 夜に家で
俺と店長がバイト先の控え室で、禁断の触れ合いをしてから約二週間。
悲しいことに、あれ以来何も起こっていない。
ちょっとした遊びだったのだろうか。
いや、さすがに俺も大人の彼が、二十そこそこの俺に本気になってくれるなんて、大それたことは思っていない。
しかし己の貪欲な性欲は我慢の限界をきたしていた。
日曜の深夜過ぎ。
少し開けた窓から、アパートメントの玄関扉がバタンと閉まる音がした。
店長が帰ってきた。
俺はペンを止め勉強机から立ち上がり、急いで身だしなみを整えた。
部屋を出て階下へと向かう。
一階にある手洗いと風呂は共用なのだ。
玄関に出ると、コートを羽織り紙袋を抱えた店長がいた。
「おや。ロキ、まだ起きていたのですか」
「はい、ちょうどレポートが終わったとこっす。お帰りなさい店長!」
およそ夜のテンションでなく大袈裟にお辞儀をすると、笑い声が漏れた。
「ただいま。偶然とはいえ、そう言ってもらえるのは嬉しいものですね」
いや偶然ではない。俺はほぼやましい気持ちで、彼を待ち伏せしていたのだ。
仕事終わりの店長を堪能し、あわよくばーー
「ロキ。もう寝てしまいますか?」
「はいっ?」
寝る、という言葉を聞いただけで違う想像をした。
まさか誘われる…わけないよな。
そう思いながら速効で首を振り否定する。
「そうですか。もうこんな時間ですが、良かったら少しだけ私に付き合って頂けませんか」
「……も、もちろんです! 俺なんでも付き合いますよ、明日休日ですから!」
「私もです。ではこちらにどうぞ」
にこりと微笑み、店長の住居に招かれる。
ああ、我慢してきたが、まさかこんなチャンスが訪れるとは……。
暗色と淡色をうまく組み合わせた、モダンな室内はかなり広い空間だ。
経営するアンティークな喫茶店と趣は異なるが、洗練された家具や照明類に、彼の繊細なこだわりが伺える。
寝室らしき扉から、着替えて出てくる店長。部屋着も素敵だ。
朝はきっちりセットした黒髪を、無造作に崩していて色気がある。
さぞいい香りがするだろう。
テーブルの前で椅子に屈みこみ、視線で追う。
密室に二人になると、どうしてもあのときの秘め事が頭を過る。
「実は、君に新しいカクテルを試してもらいたいのです」
「……へっ? カクテルすか?」
「ええ。君はお酒が好きだと聞いてますし、かなり強いんですよね」
カウンターで準備をしながら、慣れた手つきで微笑む。
仕事の時の店長だ。
こっそりと自分を恥じた。
仕事の話だったのに、俺はなぜいつも卑猥な方向にしか考えられないんだ。
しかし内心、がくりと肩を落としていた。
「確かに強いですね。ダチには底なしのざるって呼ばれてますから、ハハ…。そういうことなら、俺に任せてください店長!」
「ありがとうございます。では君の味覚を頼りにさせてもらいますよ」
数種類の酒を飲み、意見を出し合う。
仕事に関わることだから真剣に取り組むが、店長の役に立てるというだけで嬉しい。
だが自分が酒に強いということに後悔した。
酔った勢いでしなだれかかるという真似も出来ない。
まぁ俺はもともと、甘えるタイプではないが……体格からしても似合わないしな。
「このウィスキーをベースにしたもの良いですね。男性客に受けると思いますよ。こっちのフルーツ系は女性が好きそうです。見た目も色も綺麗だし」
「なるほど。自信が持てました。やはり君に聞いてみて良かったです」
眼鏡の奥の瞳が、優しく細められる。
この笑顔の為ならば、俺は何でもしたくなる。
話が弾む。腕時計の針をちらっと確認し、まだ居てもいいだろうかと思案する。
「ロキ。もう眠くなりましたか?」
「いや全く眠くないです。ギンギンですよ。何でですか。あ、俺もしかしてお邪魔でしたか」
「違います。時間を気にしてるようだったので。すみません、君といるのが楽しく、つい引き留めてしまいますね」
そうやってまた、俺は店長の言葉に身が焦げるような思いに囚われる。
「同じです。楽しすぎて、帰りたくないです」
勇気を振り絞り、向かいの瞳を真っ直ぐ見つめる。
グラスを握っていた手を、テーブルの上で少し彼の手に近づけた。
やはり俺は堪え性がない。
この千載一遇のチャンスを棒にふるには、若すぎると思うーー。
「ロキ……何を考えているのですか」
「あなたのことです。店長」
「……ふむ。それは嬉しいですね」
微笑みで焦らしてくるようだ。
「君は何をしたいのですか」
「店長の隣に座りたいです」
「そんなことですか。どうぞ」
椅子を引いた彼の隣に回り、どさっと腰を下ろす。
背もたれに長い腕をかけ、大人の笑みで笑いかける店長が、眩しい。
距離を縮めるには、今しかない。
「あの……ですね」
「はい。何でしょう」
見つめ合い、言葉を言い出せない喉が、さらに渇くような沈黙が流れた。
「すごく、情熱的な視線ですね。こちらもドキドキしてきましたよ」
「してください。俺も同じですから」
ぐぐっと上半身を寄せる。
店長の分厚い胸板は、びくともしない。変わらぬ表情で見つめ返している。
「キスしてもいいですか、店長」
敗北した俺は焦燥に駆られたまま尋ねた。
すると、頬を手のひらに覆われた。
驚いた瞬間、唇を寄せ、重ねられる。
信じがたい幸福の中、俺はまた混乱に陥った。
どういうことだ。頼んだら店長はしてくれる系なのか?
口を離されて、瞳をじっと見つめられる。
「ロキ。君は、まだ我に返ってないんですか」
「え? どういう意味ですか」
「私のことです。この前、ああいう事をして、おそらく気が済んだのではないかと思ったのですが…」
黒い瞳をふせがちにそう告げられ、自分の中で焦りと、ちょっとした反発が芽生えた。
「何言ってるんですか、気が済むどころか、もっと酷くなりましたよ、ずっと店長のことばっか考えてーー」
「……本当ですか。……すみません。言っていいのか分かりませんが、その、最近君の声が全く聞こえなくなったので」
少し恥ずかしそうに眼鏡を直している。
どうやら俺のオナ声のことを言っているようだ。でも、そんなことを気にしていてくれたのか。
「……店長。さすがに俺もあんな恥ずかしいことがバレた後で、続けられませんよ。でもいつもちゃんとしてますから、あなたのこと考えて」
段々と羞恥に俯かせた頭を、わしゃわしゃと掻き乱した。
「個人的なことを聞いてすみません」
「どんどん聞いてください。どんな事でも店長に気にされるのは嬉しいです」
「そうですか……君は積極的なんですね」
「いや、俺はシャイですよ。ただあなたを前にすると、我慢できないんです」
はっきりと胸を張った俺に対し、店長がくすりと柔らかい笑みを見せた。
「ロキ。もう一度キスをしてもいいですか? この前は逃げられてしまいましたから」
びっくりしながらも俺が小さく頷くと、彼の唇がそっと触れた。
ドキドキと鼓動が音を鳴らす。もう俺は、店長から目が離せない。
「君は気づいてないかもしれませんが、キスをしている時、すごく仕草が可愛いです。……こうして、私に掴まってくるところが」
背に腕を回され、唇を塞がれる。
ああ、じんじんして蕩けそうになる。
俺は反対に、苦手だ。正確には、長いキスが。
気持ちが良すぎて自分を失いそうになるからだ。
「あまり、良くないですか? ロキ……」
しかもこの人は、口づけの合間に、色づいたハスキーな声で語りかけてくるのだ。
「分かってるでしょう、店長。俺やばいんですよ」
「……そうですね。ここですか」
店長の手が股間に触れる。
ズボンの上から優しく撫でられて、下腹部がのけぞった。
「な、なな、なんすか」
「触ってはいけませんか」
「いえめちゃくちゃ嬉しいっす」
顔を背けてなんとか伝えた。
「不思議な人ですね。迫ってきたかと思ったら、顔を真っ赤にして、恥ずかしがったりして」
店長が笑いながら、腰を上げた。そして信じられない言葉を発する。
「そこのソファに行きましょうか。君も寛ぎやすいでしょう」
茶色い革張りの広いソファだ。
まさかこんな展開が…起こるとは。
俺は遠慮がちに、ゆったりと座る彼の隣に腰を下ろす。
店長がシャツの袖を捲る。がっちりした腕に見とれていると、再び俺のに触れてきた。
「しますよ、ロキ」
「うぁっ、あ、あぁっ」
下着から硬く反りたったものを取り出し、優しく握り擦り始める。
「あ、店長っ」
「こんなに濡らして、どうしたのですか」
店長の手で直にシゴかれる日が来るなんて。
俺は明日死ぬのか? 幸せすぎて、状況を直視できない。
「ん、あぁ、駄目ですそんなに、しごいちゃ、で、出ますから」
「いいですよ、我慢しないで。……気持ちいいんですか?」
喘ぎしか出ないまま必死に頷く。
ガチガチのちんぽが男らしい大きな手に包まれ、悲鳴を上げて快感に耐えている。
何度も腰を悶えさせた俺はやがて、店長の丁寧な愛撫によって簡単に達してしまった。
「あ、く、ンあぁッ、出る……!!」
下半身をしならせ、前もって店長に露にされた腹筋の上に、盛大な吐精を行う。
その後も心臓が外にも聞こえてしまうぐらい、鳴り響いていた。
「ああ、思った通り凄いですね……君のを拭くのは二回目ですが、なんだか慣れてきました」
「す、すみません。またこんなに俺……あの、店長は……」
「ふふ。私は大丈夫ですよ。気にしないでください」
やんわりと断られるが、どこか意思の強さを感じた。
流れ的にまた店長の逸物を拝めるチャンスかと思ったのだが、やっぱりこの間の俺の振る舞いに、引かれたのだろうか。
いつもの押しが影を潜めていると、店長が再び甘い声音で俺に声をかける。
「他に、君のして欲しいことは? ロキ」
もうすでにお世話になったのに、聖人のような優しい眼差しだ。
ここで言っては駄目だ。
何度もそう思いつつ、俺は長らく持ち続けた愚かな願望を、もはや吐き出さずにはいられなかった。
「店長に抱かれたいです」
しかし俺の特攻も空しく、少し困り顔を見せた彼は、首を縦には振らなかった。
当然だ。わがままが過ぎるってもんだよな。最近調子に乗りすぎだ。
「それは、いけません。ロキ」
「……そうっすよね。店長に抜いてもらっただけでも凄いことなのに、俺なんか、抱けるわけないですよね。ゴツい男だし……」
「いいえ、そうではなくて。……その、今日は色々と準備が出来ていないので……」
え? なんの準備だ?
俺は驚きに目をしばたたかせた。
「俺なら準備万端ですよ、大丈夫ですよ店長」
「そう……ですか? しかし、恥ずかしながら……君の体を守る為の諸々が、まだ用意出来ていないのです。申し訳ありません」
「い、いやそんな。謝らないでください。あっ、あのローションとゴムなら俺の部屋にあります。うちに来ますか?」
頭を掻きながら聞いて、すぐに後悔した。
俺は、馬鹿か。
こんなこと自分からぺらぺら喋って、物凄い淫乱だと思われたのでは。
それはそれで美味しいかもしれないが、今は店長に嫌われたくない。
「いいえ。お誘いは嬉しいのですが、もし君を抱く機会があるならば、初めては私の部屋で迎えたいのです」
俺は店長の真摯な言葉にノックアウトされた。
この人は、俺をそんなふうに……まさか抱いてもいいと思ってくれていたのか?
どうしてだ。ひょっとして、俺の勘違いじゃなければ、脈があるのだろうか。
「あ、あの、店長。本気ですか?」
「ええ。君がしたいと思うのならば、ですよ」
「もちろんしたいっす! 当然ですよ、じゃあもう約束ですから、いいですね!」
前のめりになって迫ると、店長はいつもの微笑みで頷いてくれた。
これは夢じゃないよな。俺、本当に店長に抱かれる約束、しちゃったんだよな。
ああ……にわかには信じられないが、この夢のような出来事を、受け入れない理由がない。
幸せすぎて目の前が霞んできたぞーー。
俺はいつか訪れるだろうその日を、すでに激しく待ち望み始めていた。
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