Otherside | ナノ

▼ 7 洗浄

ベルンホーンが狩った魂を持って訪れたのは、冥界一層の知る人ぞ知る地下街だった。
上では普通に金持ちの駐在員が暮らす一方で、入り組んだ地下迷路では様々な闇取引が行われていた。

「ほら、小綺麗な格好をしたお前を止めてよかっただろう? ここでは皆身分や素性を隠し、顔も見せたがらない」

悪魔がシスタのコートについた目深のフードをぽんと触り、微笑む。

偵察隊のように帽子で銀髪を隠し、黒縁眼鏡をかけた軽装のベルンホーンだが、魔族の中でも飛び抜けた長身とスタイルの良さは隠せていない。

「お前は目立っているがな。本当に大丈夫なのか」
「いいからついて来い。俺の知り合いの店はすぐそこだ」

地下の螺旋階段を颯爽と下りていく。どこまで深いのかと胸騒ぎがした頃、頑丈な鉄扉に突き当たった。

洞窟のごとく荒々しい壁にかこまれる中、ベルンホーンが呪文を唱え、結界を解いて鍵を開ける。
扉の奥は窓のない鍛冶場に似た空間が広がり、鋼鉄のシャンデリアの下には壁一面の鎌や刀、鉄球など武器類が飾られていた。

職人らしき筋肉の塊のような男が、カウンター裏で座ったまま顔を上げる。

「よお、久しぶりじゃねえか。ベルンホーン。なんか売りに来たのか?」
「ジェイン。いや、今日は洗浄を頼みに来たんだ。時間あるか?」
「なくてもお前のためなら空けるぜ」

にやっと人の悪そうな笑みで立ち上がる。どすどすと足音を鳴らす男は隣の悪魔よりもさらに大きく、シスタは首が痛くなるほど見上げた。
髪を撫でつけた髭面に不躾に眺められる。

「そいつは奴隷か? お前、何体目だ。可哀想なことしやがって」
「静かにしろ。ひどい目に合わせたことは一度もないぞ。こいつは特別なんだ。今までとは違う」

頭上でなされる会話に頭痛がする。
けれどシスタは特段驚きもしなかった。この上級悪魔がこれまで奴隷を何度も囲っていようとも。

魔族のベルンホーンは長命で、魂を追い求めてきたと言っていた。
だからシスタ自身が今気に入られているように見えても、永遠に時間があるわけではない事も分かっていた。

二人は店主のジェインに案内され、店の奥で待機する。
しばらくして作業着に変わった大男が大きな椅子にどすんと腰を下ろした。

机を挟み、まるでこの間の銀行での一幕のように、ベルンホーンが差し出した三つの魂をモノクル越しに観察し始めた。

「ほう、なるほど……中級が三体ねえ……派手にやったもんだ。怖いものなしだな、エアフルトの坊っちゃんは」
「はっ。こいつらは全員地上で好きに人間狩りしていた前科多犯の奴らだ。消えても問題ない」
「だがなぁ……契約外のことなんだろ? バレたら管理局の免許停止になるぞ」
「だからお前のとこに来たんじゃないか。その素晴らしい腕を買ってな」

悪魔は本来むさ苦しい男に向けるものじゃない妖艶な笑みを浮かべる。
ジェインもまた怪しいにやけ顔で答え、依頼を受け入れた。

「くっく。俺は金とコネで何でもやる男だ。それと友情でもな。待ってろ、すぐに終わらせる。希望はあるか?」
「そうだな……シスタ。お前はこいつらをどんな魂に生まれ変わらせたら良いと思う?」

突然尋ねられ、油断していた青年は「えっ?」と声を出した。
二人の興味津々の顔が答えを急いている。

「なぜ私に聞く? 専門外だ」
「いいから答えろ。お前の思考回路が知りたいんだ」

難題を押し付けられ、仕方なく頭を巡らせた。

「まっさらで無垢な、高潔な魂がいい。もう悪いことが出来ないように」

真剣に答えを出したのだが、男達の爆笑をさらった。

「ひっでえやつだ! 俺達魔族のアイデンティティを崩壊させやがって!」
「ふっふっふ、平然と苦しみを与えるとはお前も俺達の仲間になったようだな。悪魔は転生しても悪魔にしかなれない。こいつらは来世でどのような人格になるのだろうか、わずかに興味が湧いてきたよ」

そうやって笑い話にしていたが、やがて職人は作業場へ消え仕事に専念し始めた。
二人は店内に移動し、終わるのを気長に待つ。

「ディーエも前に洗うと言っていただろう? あいつはどうなったんだ」
「あそこはいわば正規店だからな。悪いようにはしない。ただ記憶を消すだけさ。姿形も別物になるけどな」
「ならば今回のも同じようにすればいいんじゃないか? この店なら出来そうだが」
「もちろん出来る。だが由来が分からないように徹底的に作り変えてくれるのがあの男なんだ。……それにな、処理も大事だがさらに重要なのはその後だ、シスタ。魂の長期の所持は違法になる。鮮度が失われ壊れてしまうからな。だから今回の中級共の魂は、非公式オークションに流すことにしたよ」

そのために洗浄したのだとシスタは理解した。
正規に報告しづらい用途で買う者たちがいるのだ。

「うまくいけば結構な額になるし、俺達もこの件を終わらせることができる。良かったな、シスタ」

悪魔はどこか他人事のように、軽々しく告げたのだった。




ここに来たベルンホーンには、奴隷に秘密でもうひとつ目的があった。
厳つい工具で騒音を出しながら作業するジェインの手際を眺める。

「お前に聞きたいんだが、以前トロイエという魂がここで取引されなかったか?」
「あぁ? 依頼人ならまだしも、魂の名前なんて覚えちゃいねえよ」

ベルンホーンはすでにトロイエという中級悪魔は死んでいる可能性を考えていた。だが二層の市役所には死亡届も出されていなかったため、このような地下の洗浄屋に持ち込まれたのではと推測したのだ。

「いや、待てよ……なんかその名前聞いたことあるな」

突然思い立った職人は、別室から分厚い名簿を持ってきた。

「あ! あったぞ、トロイエ。個人名か? それだけだ。奴は上級悪魔だ」
「……なんだと!?」

思わず声を上げる。ベルンホーンはめずらしく顔を引きつらせて黙った。 

上級ならば話は変わってくる。中級だったのが上級に昇格したのだろうか。

中級悪魔が上級悪魔にあがるのは、数年に一度の稀なことだ。
シスタの親友の件は冥界ではこの二、三年ほどの話だが、この間管理局で尋ねた時は門前払いを食らった。

「あいつ、知ってて嘘ついたのか? いや……隠すようなことではないはずだ」

受付の男を思い出し頭をひねる。
簡単に事情を話すと、ジェインは頭を巡らせ情報を補足しようとした。

「待て待て待て、記憶を呼び戻すぞ…………そうだ、トロイエという奴は確かに来た。あれはなんだ? 鎧姿だったな。魔族の魔剣士みたいな……いかにも悪魔という風体じゃなかったから覚えてるよ」
「奴はここに何しに来たんだ」
「魂を売りに来たのさ。とくに変わったもんじゃなかったと思うぜ。ほら書いてある、人間の男の魂ひとつ」
「それはどんな魂だ!?」
「流石に覚えてねえよそんなもん」

勢いに引かれたが、ベルンホーンはそれがシスタの親友のものであれば楽だと、やや楽観的な考えをした。もしそうならすでに事が済んでいるからだ。

「トロイエ……上級か。奴に接触する必要があるな」

上級悪魔といっても冥界だけで千人いる。魔界に住んでいたらさらに数は膨らむ。

「おいおい。まさか上級を狩るだなんて言うなよ、うちでは絶対やらないからな」
「しないさ。目当ては魂のほうだ」

ただ、交渉次第ではどうなるか分からない。そのぐらいベルンホーンはシスタへの執着心を見せていた。





帰る前に、ベルンホーンはシスタにある場所を見せたくなり連れて行った。
冥界の階層間に伸びるトンネルの反対の空に、対となるように曲線に流れる「魂の川」だ。

川べりは大小さまざまな形の白石が敷き詰められ、水の色が反射していた。

「きれいだ……そう思うべきじゃないのかもしれないが……」

これは冥界三層から一層をまたぐ広大な川の流れである。
水中の白い点滅は魂で、ほとんどが地上で亡くなった人間のものだという。

死神がわざわざ集めたもの以外の魂で、たいていは価値が低い。まれに原石が紛れ込んでる可能性もあるようだが。

「光の強さが皆違うな」
「ああ。光の輝きは一等、二等、三等、そして特等に分かれているんだ。お前は特等だ。間違いない」

褒めたつもりだが、悪魔の基準で言われてもシスタには複雑で響かなかった。

「輝きは何によるんだ? 高潔さか」
「そうだな。それだけじゃないが……説明が難しい。心に語りかけてくるものだよ」

ベルンホーンはなぜそこまで魂に魅入られているのか。
この川の流れを見ていたら、少しはシスタにも感じ取れる。

皆自分の生を負えた魂だ。その結末は納得のいくものや、不運に見舞われたもの、それぞれだろう。

「私も無数の魂のひとつに過ぎないよ、ベルンホーン。高潔さなんて微塵もないしな」

シスタが物思いにふける顔を見せる。
この世界に来た理由と親友のことを思い描いているのだと、ベルンホーンは想像した。
それはあまり楽しい気分ではなかった。

「何を考えている?」
「……何も」

横顔をこちらにそっと向かせた。
屋敷で見せるような、色めいた目つきにシスタは動きを止める。

「お前は特別だ。ここをのほほんと泳いでいる魂とは違う」
「……そういう言い方をするな」
「なぜ? お前の友人の魂はそこにはいないぞ」

やけに冷たく響いた台詞に、青い瞳が揺れ始める。

「ではどこにいるんだ? 何か分かるのか? 教えてくれ、ベルンホーン」

自分でけしかけたくせに悪魔は心の中で舌打ちをする。

青年のこの顔だ。自分にすがりつく眼差しは、抱き潰したくなるほど愛しいものだが、結局いつも他の者のためなのだ。

「愛しているのか? その男を」
「……何を言い出すんだ? 馬鹿馬鹿しい」
「生きているのか死んでるのか分からない存在のために、お前はわざわざ死んだんだ。愛以外に何がある?」

詰め寄られ、シスタは静かに怒りを溜め始めた。

「黙れ、口を出すな。あいつとは小さい頃からの仲だった。一緒に育ち、あのくだらない時間がずっと続くと思っていた。それだけが病弱な私にとって生き生きと日々を彩るものだった。それを……お前の短絡的な思考で単純化するな」
「愛は単純なものだ。複雑だと思っているのは目が眩んで視えていない本人だけさ」
「うるさい! お前に人間の何が分かる!」

青年が声を張り上げたとき、その青い瞳はぎりぎりと憎しみの瞳で悪魔を映していた。

「お前は所詮悪魔だ。人の心など理解できない」

拳を握りしめ、シスタは沈んだ魔力を急速に肉体の表面にまとわせた。ほぼ衝動的にその場で転移魔法を唱える。

見事な速さだった。ベルンホーンが言葉を発しようとしたとき、青年の姿はもうなかった。

魂の川辺に残された悪魔は、目を見開いたまま立ち尽くす。

「……んっ? おい、シスタ? どこだ」

間抜けな声が水流にかき消され、少しずつ時間が経っていく。

ベルンホーンははっと我に返った。
奴隷には制限魔法を施していて、解除した覚えはない。
シスタの華麗な技に感心しながらも、後頭部をぐしゃぐしゃと掻き乱し唸った。

「くそっ、信じられん。俺を一人残してどこかに行ってしまうとは。……そんなに酷いことを言ったか? 俺は……」

緑の瞳は視線を下げ、瞳孔が縦に開く。
何度か瞬きしながら、思考をまとめようとした。



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